第20話 試着室のカーテンと、見慣れない君の姿
映画館を出た僕たちは、休日の熱気で賑わうショッピングモールの各フロアを練り歩いていた。
いや、「練り歩いていた」というのは正確じゃない。
「ほら伊織、次はあっちの雑貨屋さん! その後、三階の洋服も見たいから!」
「ちょ、待って! ひなた、歩くの早すぎ!」
僕の両手には、すでにひなたの戦利品である紙袋が三つほどぶら下がっている。
今日のミッションは「日頃の感謝を込めた荷物持ち」だ。覚悟はしていたけれど、女の子の買い物の体力というのは、和菓子の生地を練り上げるのとはまた別の筋肉を使うらしい。
「情けないわねー。毎日重い臼とか杵とか持ってる和菓子職人の跡取りが、これくらいの紙袋でへばってどうするのよ」
「餅つきとショッピングは使う筋肉が違うんだよ……」
僕が息を切らしていると、ひなたは悪戯っぽく笑って、あるアパレルショップの前で足を止めた。
そこは、普段ひなたが着ているようなカジュアルな服よりも、少しだけ大人っぽくてフェミニンな雰囲気のブランドだった。
「……ねえ、伊織」
「ん?」
「ちょっと、付き合って」
ひなたは僕の袖をちょこんと摘むと、そのままショップの中へと引っ張っていった。
店内には、春から初夏にかけての爽やかなパステルカラーの服がずらりと並んでいる。
ひなたは真剣な顔つきでハンガーをいくつか手に取り、鏡の前で合わせ始めた。
「……ねえ、これとこれ、どっちがいいと思う?」
振り返ったひなたの両手には、爽やかな水色のオフショルダーのトップスと、ふんわりとしたオフホワイトのシフォンワンピースが握られていた。
「えっと……どっちも似合うと思うけど」
「そういう無難な答えは求めてないの! もう、参考にならないわね……よし、こっち!」
ひなたはオフホワイトのワンピースをひったくるように手にすると、スタスタと試着室へと消えていった。
残された僕は、店内の端っこで紙袋を抱えたまま、手持ち無沙汰に待機する羽目になった。
(ひなたがワンピース、か……。あいつ、普段はデニムとかショートパンツばっかりだから、なんか想像つかないな)
僕の頭の中にあるひなたのイメージは、三角巾にエプロン姿で「いらっしゃいませ!」と元気に声を張る『三色堂の看板娘』か、僕の背中をバシバシ叩く『口うるさい妹分』のどちらかだ。
そんなことをぼんやりと考えていると。
「……い、伊織。着替えたわよ」
シャッ、と軽い音を立てて、試着室のカーテンが開いた。
「お、早かっ――」
振り返った僕は、そこから先の言葉を失った。
試着室の鏡の前に立っていたのは、僕の知らない女の子だった。
オフホワイトのシフォンワンピースは、ひなたの華奢なシルエットを柔らかく包み込んでいる。少し高めのウエストラインから広がるふんわりとしたスカートが、動くたびに軽やかに揺れた。
デコルテが少しだけ広く開いたデザインのせいで、普段は見えない華奢な鎖骨が覗いている。
ハーフアップにされた髪と、その清楚で少し背伸びした装いが相まって、いつもよりずっと大人びて見えた。
「……ど、どうかな? 変じゃない……?」
ひなたは顔を真っ赤にして、恥ずかしそうに両手でスカートの裾をぎゅっと握りしめている。
上目遣いで僕の反応を窺うその表情には、いつもの気の強い「看板娘」の面影は微塵もない。
(……可愛い)
ドクン、と。
さっき映画館で手が触れた時よりも、はるかに大きな音が胸の奥で鳴った。
僕の目にかかっていた分厚い『手のかかる妹』というフィルターが、ガチャンと音を立てて外れ落ちるのを感じた。
「……伊織? な、なんか言いなさいよ! やっぱり似合わない? 変に背伸びしすぎたっていうか、私らしくないって――」
「いや」
僕は慌てて首を横に振った。
喉がカラカラに乾いて、声が上擦りそうになるのを必死に抑える。
「……すごく、似合ってる。綺麗だ」
「えっ……」
「本当に。なんか、いつもと全然違って……その、純粋に見惚れてた。ごめん」
僕が正直に白状すると、ひなたの動きがピタリと止まった。
そして、顔から首筋にかけて、一瞬で茹でダコのように真っ赤に染め上げた。
「ば……っ! ばか!! なに真顔で恥ずかしいこと言ってんのよ!!」
「いや、本当のことだし!」
「もうっ! あんたって本当に、そういうところ無自覚なんだから! 減点! 一万点減点!!」
ひなたは真っ赤な顔でシャッ!と勢いよくカーテンを閉めてしまった。
だけど、閉まる直前に見えた彼女の口元は、だらしないくらいに嬉しそうに緩んでいたのを、僕は見逃さなかった。
カーテンの向こう側から、バタバタと着替える音と、「バカ伊織……」という小さな呟きが聞こえてくる。
僕は自分の心臓が、今まで経験したことのないリズムで早鐘を打っているのを自覚しながら、ただ呆然と試着室の前に立ち尽くしていた。
(……どうしよう。今日のひなた、本当に心臓に悪い)
両手に抱えた紙袋の重さなんて、もうすっかり忘れていた。




