第11話 女神の「あーん」は、突然に
お昼休みの中庭。
僕はベンチの端っこに座り、購買の焼きそばパンをかじっていた。
視線の先、ハナミズキの木の下には、今日も麗しの宗教画が展開されている。
学園のアイドル、森園ななか先輩と、彼女を甲斐甲斐しくお世話する女子生徒たちだ。
今日も先輩は「あーん」と卵焼きを口に運ばれ、幸せそうにほっぺをぷっくりさせている。
(……今日も平和だな)
和菓子職人を目指す者として、あの至福の表情を遠くから拝めるだけで、午後からの授業も頑張れるというものだ。
そう思ってパンを飲み込んだ、その時だった。
「……あっ」
輪の中心にいた先輩が、ふいに顔を上げた。
長い亜麻色の髪がさらりと揺れ、潤んだ瞳が一直線に僕を捉える。
トコトコ。いや、スレンダーな長身だからスッと、と言うべきか。
とにかく先輩は、お世話係の女子たちにするりと背を向け、迷いなくこちらへ歩いてきたのだ。
「い、伊織くん」
「な、ななか先輩? どうしたんですか、ご飯の途中に」
僕の目の前で立ち止まった先輩は、少しもじもじと身をよじらせていた。
そして、制服のポケットから、そっと何かを取り出す。
「……これ」
差し出されたのは、パステルカラーのウサギの形をした、謎の巨大マシュマロだった。
(……なんだろう、この絶妙にファンシーで、食べるのがもったいないチョイスは)
「……昨日の、おしるこの、お礼。……お小遣い、少し残ってたから」
先輩はマシュマロを両手で大事そうに包み込み、僕の顔を下から覗き込んでくる。
すらりとした長身の先輩が、少し背中を丸め、上目遣いで小首をかしげる。
その破壊力たるや、凄まじい。
「……食べて、くれる?」
ドクンッ!!
心臓が、肋骨を突き破りそうな勢いで跳ねた。
その鈴を転がしたような甘い声と、期待に満ちた純粋すぎる瞳。
こんなの、断れる男がこの世に存在するわけがない。
「も、もちろんです! ありがとうございます、いただきます――」
僕が手を伸ばそうとした、その瞬間。
先輩の細く白い指が、すっと僕の唇の前に迫ってきた。
指先につままれたウサギのマシュマロが、ふにふにと揺れている。
「…………あーん」
「えっ」
「……伊織くん、いつも私に美味しいもの、くれるから。……今日は、私の番」
女神が、微笑んでいる。
天然のカウンター攻撃。周囲の時が止まった気がした。
僕は抵抗を諦め、真っ赤になりながら、言われるがままに口を開けた。
パクッ。
「……っ!」
ふわふわした甘さが、口いっぱいに広がる。
それ以上に、先輩の指先がほんの少しだけ唇に触れた事実が、僕の脳のキャパシティを限界突破させていた。顔から火が出そうだ。
「……おいしい?」
「お、おいひいです……っ」
動揺のあまり上手く喋れない僕を見て、先輩はふにゃりと、それはもう天使のように笑った。
「……よかった。……午後も、がんばろうね」
満足げに微笑むと、先輩は再びトコトコと自分のグループへと戻っていく。
嵐は去った。
僕は真っ赤な顔で、マシュマロの甘韻に浸っていた……のだけれど。
「……なっ! ななかがあーんした!?」
「一年生の男子に!? 嘘でしょ、私たちのななかが!!」
「えっ、あの子誰!? ギルティ! 完全なるギルティよ!!」
中庭の空気が、一気に沸騰した。
先輩が戻った途端、取り残された女子生徒たちが、僕の方を指差して阿鼻叫喚のパニックに陥っている。
当の先輩は「? なんでみんな騒いでるの?」と、不思議そうに小首をかしげていた。
……僕の平和な学園生活は、先輩の天然な「あーん」によって終了のお知らせを告げられてしまったのかもしれない。
でも、口の中に残る甘さは、どうしようもないくらいに幸せだった。




