第10話 激辛チゲと、涙目のぱんぱんほっぺ
放課後の校舎裏。自動販売機が並ぶスペースに、その「女神」は降臨していた。
すらりとした百七十センチの長身。夕日に照らされた亜麻色の髪。
森園ななか先輩は、自販機の前に立ち、まるで彫刻のようにピタリと固まっていた。
通りがかる生徒たちは、遠巻きにささやき合っている。
「見て、ななか先輩……」
「あんなに真剣な顔して。何か深い悩みでもあるのかな」
いや、違う。
お節介な和菓子屋の息子である僕の目には、彼女の背中が悲鳴を上げているのが見えていた。
先輩の両手には、真っ赤なパッケージが不穏な空気を醸し出す『情熱の激辛チゲスープ』が握られている。
そして、自販機のディスプレイで輝く『特製おしるこ(粒入り)』と、手元の赤い缶を、何度も何度も悲しそうに交互に見比べていた。
……困っている。
これは、明らかにおしるこを買うつもりが、押し間違えて激辛スープを出してしまって困っている。
「あ、あの、ななか先輩――」
「……っ! い、伊織くん……」
声をかけると、先輩はビクッと肩を揺らし、涙目でこちらを振り返った。
「これ……おしるこ、じゃない……?」
「はい。それは情熱のチゲスープですね」
「……おしるこのボタン押した、つもりだったの。……缶も赤かったから、小豆の情熱的なのかと、思って……」
そんな天然すぎる理由で、貴重なお小遣いを犠牲にしてしまったらしい。
「……でも、せっかく出逢えたから。……いただきます」
「えっ、待って先輩! それはお団子のタレみたいな甘じょっぱさとは、全然別物の――」
僕が止める間もなく、先輩はカチリとプルタブを開け、淑やかに一口飲んでしまった。
「……っ!!??……ふ、……ふぐぅ……ッ!!」
次の瞬間。
シュッとした綺麗なフェイスラインが、辛さの大爆発によってフグのように「ぱんぱん」に膨らんだ。
「……からっ。……お口の中が、……大パニック……」
潤んだ瞳。赤くなった鼻先。
先輩は「はふはふ」と口を手で仰ぎながら、今にも泣き出しそうな顔でその場にしゃがみ込んでしまった。
長身をちんまりと丸めて、チゲの缶を抱えながら「ううぅ……」と唸る姿は、完全に迷子の大型犬だ。
「ほら、先輩。こっちが本物です」
僕は苦笑いしつつ、自分の小銭で『特製おしるこ』のボタンを正しく押し、温かい缶を彼女の手に握らせた。
先輩は救世主を見るような目で僕を見上げると、大切そうにおしるこを一口。
「……んぅ……あまい。……平和……」
今度は、正真正銘、幸福感に満ちた「ぷっくり」が戻ってきた。
熱くなった舌を優しい甘さが包み込み、先輩の表情がみるみるとろけていく。
「……ありがと。伊織くん、……また、助けてもらったね」
「いえ。自販機のボタンくらい、いつでも押しに来ますから」
先輩は両手でおしるこの缶を包み込み、幸せそうに「もぐもぐ」と小豆の粒を追いかけている。
周りのみんなが噂するようなミステリアスな空気なんて、そこにはもう、どこにもない。
ただ、僕の隣でとろけるように笑っている、世界一いとおしくて残念な天使がいるだけなのだ。
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