39 大聖女追放
「イレーネ様は大聖女に相応しくない!」
「イレーネ様を追放せよ!」
バルコニーへ通じる扉の前。波のように押し寄せる叫びに、イレーネは思わずユリウスを見上げた。
彼は静かに頷き、「大丈夫。信じて」と囁きながら、添えられた手を強く握ってくれる。
従者たちが重い扉を開け放つ。途端に轟音のような声が雪崩れ込み、イレーネの体を震わせた。
「イレーネ様は大聖女に相応しくない!」
「イレーネ様を追放せよ!」
「なぜ……」
大聖女としてのこれまでが、足元から崩れ落ちる。目の前が暗くなるほどの恐怖。
足が震え、立っているのもやっとの中、ユリウスがそっと肩を支えた。
「大丈夫。……大丈夫ですよ」
彼の手に自分の手を重ねることで、かろうじて立ち続けられた。
やがて教皇グレゴリウス、賓客のセレスタ王国第二王子カエリウスがバルコニーに並び、最後に皇王レオポルドが姿を現す。
「先ほどからこれは一体なんだ!」
怒声が響くが、民衆の鬨の声に呑まれていく。皇王の側近たちの顔は青ざめていた。
「黙れ! 騒ぐな!」
欄干に立った皇王が怒りをぶつける。だが声は止まらない。
「イレーネ様は大聖女に相応しくない!」
「イレーネ様を追放せよ!」
「陛下、恐れながら」
背後からグレゴリウスの声が響く。
「古経典に“相応しくない者は聖女にあらず”という文言が見つかっております。民の声は、もはや無視できませぬ」
「教皇! 何を勝手なことを!」
「はははっ」
カエリウスが楽しげに肩をすくめ、しかしその青い瞳は氷のように冷たかった。
「皇国ご自慢の大聖女が、これほど民から嫌われているとは――そんな者、追放してしまえばよろしい」
その言葉は、軽く放たれたように聞こえた。
だが場にいた誰もが理解した。これは他国の王子の一笑ではない。セレスタ王国を背負い、王の影として動く彼が放つ、揺るがぬ意思だった。
“ブリューナクの槍”――。
勝利をもたらす言葉の刃が、今まさに皇王レオポルドの胸を突き刺した。
これまで大聖女を誇示し、利用し、他国に向けて「皇国の象徴」として見せつけてきたのは自分自身だ。その存在を、よりによって他国に「不要」と切り捨てられる。これほどの屈辱があるだろうか。
だが同時に、もはや抗う術も見失っていた。
怒声をあげても、民の叫びは止まらない。側近たちの顔は蒼白に歪み、皇国の威信は音を立てて揺らいでいく。
――逡巡。
それでもなお、大聖女を囲っておく意味があるのか。
レオポルドは拳を握りしめ、欄干に叩きつけた。
「……大聖女を、教会から、追放する……!」
その絞り出すような言葉に、グレゴリウスはすかさず冷ややかに肩へ手を置き、切り返す。
「恐れながら――大聖女は教会の所属。政権から切り離されるべき存在です。あなたにその権限はない」
皇王は憎悪のこもった瞳で教皇を睨みつける。だが、次の瞬間――。
グレゴリウスは欄干の前に進み出て、片手を高く掲げた。
その動作だけで、群衆の声が一斉に鎮まる。
「聖光教会教皇グレゴリウスが宣告する。
今、この時をもって――大聖女イレーネを教会から追放する!」
その宣告は夕空へ澄み渡り、国全土に響き渡る裁きの声となった。




