36 祭りの始まり、影の誓い
豊穣祭は三日三晩続く盛大な祭典である。
最終日には王城のバルコニーに皇王や教皇、大聖女たちが並び、皇王自らの演説が行われ、夜空を彩る花火をもって幕が閉じるのが恒例だった。
◇◇◇
初日、教会の慈善ブースは例年になく人手に溢れていた。
「こちらは人が余っているくらいですわ。イレーネ様はユリウス様とお祭りを見ていらして」
ソフィアの言葉にイレーネは思わず目を瞬く。豊穣祭は聖職者たちが外へ出ることを許された唯一の機会である。例年通りなら聖職者たちは外へ出たがるはずなのに、今年は誰もが競うように教会の仕事を引き受けていた。
「行ってらっしゃーい!」
ベネディクトとエリナが揃って手を振る。
イレーネは口元に手を当て、困ったように視線を落とした。
ちょうどその時、ユリウスが現れる。
普段は奉仕活動に合わせた質素な服装だが、この日は違った。上質な布地で仕立てられた深い色合いのスーツに、控えめな金のカフスと指輪を一つ。派手さを避けつつも、彼が今日のために装いを整えてきたことがひと目でわかる。手には、白い小さな花が一輪、握られていた。
「みなさん、こんにちは。イレーネ様……」
いつもは簡単にまとめるか下ろしている麦色の髪が、この日はソフィアの手によって丁寧に編み込まれていた。白地の修道服に金糸のスカラプリオ、白いベルト。いつもと変わらぬはずの装いが、髪型ひとつで驚くほど愛らしく映る。
「……かわいい」
直球の一言に、イレーネの頬は瞬く間に赤く染まる。
「もっと言ってあげてくださいませ。イレーネ様は、こうした装いもとてもお似合いなのですから」
ソフィアがウィンクする。
「イレーネ様、お綺麗です!」
エリナがにこにこと言い添えた。
ユリウスは持っていた白い花をそっと彼女の髪に飾る。
「みなさんの大聖女様を、お借りします」
「はい、行ってらっしゃいませ」
当たり前のように差し出された手に導かれるまま、イレーネは一歩を踏み出した。
教会を出るとき、仲間たちが朗らかに手を振ってくれる。イレーネは一瞬ためらいながらも、静かに手を振り返した。
――今日だけは、許されるかしら。
心の奥で小さくそう呟いた。
◇◇◇
二人の背中が遠ざかり、やがて人の波に紛れて見えなくなる。
その瞬間、ブースに残った三人は顔を見合わせ、短く頷き合った。
「この三日間が勝負ですよね!」
エリナの声が小さく弾む。
「えぇ、やり抜きますわよ」
ソフィアが真剣な瞳を向ける。
「俺たちならやれるさ」
ベネディクトが力強く言う。
笑顔に包まれた祭りの喧騒の裏で、確かな決意が結ばれていた。




