34 月下の握手
仮邸の応接間は、深い沈黙に支配されていた。
灯は落とされ、月光だけが窓から差し込み、二人の影を長く伸ばしている。
カエリウスは足を組み、紅茶を口に含みながら、わざとらしいほどの笑みを浮かべた。
「私は、所詮よそ者ですからね。皇国の内情に深く立ち入れるわけではないのです」
その軽やかな言葉を受けても、グレゴリウスは膝に置いた拳を微動だにさせず、ただ重苦しい沈黙で返した。
張り詰めた気配が、月光を帯びて室内を覆い尽くす。
長い静寂ののち、グレゴリウスが低く呟いた。
「……しかし、殿下の投じるその一手は、やがてブリューナクの槍となるでしょう。その重みを、私は承知しています」
カエリウスの瞳が細く光る。微笑は崩れぬまま、鋭い気配を纏って立ち上がった。
そして、月光の下でゆるやかに手を差し伸べる。
「教皇猊下の築く、新しい、開かれた教会のために」
グレゴリウスもまた立ち上がり、重々しい仕草でその手を握り返した。
「そして、殿下がお支えするセレスタ王国の安寧のために」
二人の手が強く結ばれた瞬間、応接間の空気はさらに凍りつく。
それは盟約であり、決戦の幕開けを告げる、月下の握手だった。
◇◇◇
カエリウスは窓枠にもたれ、闇に沈む夜空を見上げた。アドリアンがそばに控え、微かな息遣いで主人の顔を窺う。
「アドリアン、いよいよだな」とカエリウスは軽く呟く。声には悪戯めいた高揚が混じる。
「なぜ教皇が大聖女を還俗させるという大事を選んだか、不思議に思うか? ……理由は単純だ。
宰相も財務卿も軍務卿も、皇王の犬。教皇は聖騎士団を取り上げられ、ただ名ばかりの長にされていた。
そこで彼は考えた。三賢人を皇王から引き剥がし、世論を味方につけ、教会を民衆の手に戻す、と。
三賢人は皇王自身の無能さと、我がセレスタ王国の介入により、引き剥がすことに成功した。
次にやることは――大聖女イレーネの還俗だ。皇王の横暴のせいで苦しめられてきた彼女を救うために、教会が民の声を受けて大事件を起こす。これを成せば、セレスタ王国、賢人たち、それから世間の手前、皇王が教会に手を出す余地をなくせる。
お前は教会に触れていい人間じゃない、と、はっきり叩きつけてやるんだ」
アドリアンは顔を真っ青にしながら、しかし不敵に笑う主人の姿を見続けた。
窓外の月は変わらず冷たい光を降らせていた。応接間の影が長く伸びる。静謐の中で、彼らの計画は、いよいよ動き出そうとしていた。




