30 影の同盟
カエリウスの仮の邸宅、応接間。
昼下がりの光が青地のカーテンを透かし、細やかな刺繍の影を床に落としていた。磨き上げられた家具と異国風の装飾品が整然と並び、柔らかな香がかすかに漂う。室内は、主の華やかな気配にふさわしく明るく開かれている――はずだった。
「殿下、お連れしました」
アドリアンが低く告げる。ソファに腰掛けていたカエリウスは、鷹揚に頷くとゆっくり立ち上がり、長い髪を背に流してジャケットを整えた。
扉が開く。
重い足取りとともに入ってきたのは、聖光教会教皇グレゴリウス。深い法衣の裾が床を引きずり、巨木が歩むかのような存在感が部屋に流れ込んだ。途端に、さっきまで柔らかかった空気が冷え、重く沈み込む。まるで光の色までもが褪せたかのように。
カエリウスはその中心で、艶然と微笑んだ。青い瞳はガラスのように澄み、背に編まれた長い髪がわずかに揺れて光を散らす。彼が手を差し出せば、まるで異国の孔雀が静かに羽を広げているかのようだった。
「まさか、このような重鎮を私の安宿で迎えられるとは思いませんでしたよ」
グレゴリウスはわずかに頷き、その手をゆっくり握り返す。指先のひとつひとつに重さが宿るような握手だった。
「殿下のお時間を頂戴できたこと、深く感謝いたします」
その低く重い声だけで、部屋の空気がさらに張りつめた。
「さて――今日は何のお話を」
「まずは感謝を。殿下が“あの者”を教会に送ってくださったこと」
カエリウスの眉がわずかに動いた。だが笑みは崩さない。
「へぇ。私のユリウスが、そちらで役に立てているなら何よりです」
「えぇ。彼がもたらした小さな光は、一見些細に思えて……しかし確かに大きなものを揺り動かした」
グレゴリウスの声は、長い年月を生きた樹木の幹が鳴る音のようだった。
「長くこの皇国の教会は閉ざされすぎていた。疑うことも、考えることも忘れていた。だが彼の語った“外”の常識が、眠っていた疑念を呼び覚まし……ついには“還俗”という言葉が、若き聖職者たちの口からこぼれたのです」
その言葉に、カエリウスの澄んだ青い瞳がわずかに細められる。
「なるほど。それは随分と面白い兆しですね」
そして軽く肩をすくめ、わざと大げさに言ってのける。
「……ただ、勘違いしないでいただきたい。私の祖国セレスタは確かに洗練された国ですが――宗教に関しては、あまりに軽んじられている。あちらの教会は“開かれすぎた”がゆえに、厳粛さを失ってしまったのです」
カエリウスは目を細め、笑みを深める。まるで光の刃を隠し持つ宝石のように。
「だからこそ、私は思うのです。閉ざされすぎた皇国の教会と、開きすぎたセレスタの教会。そのどちらでもない、新しい姿が必要なのではないかな、と」
グレゴリウスの瞳がわずかに揺れた。
「……興味深いご意見ですな」
「貴方とは……もっと話をしてみたいですね」
「それは私にとっても、望外の喜びですな」
カエリウスは艶然と唇を吊り上げ、軽やかに笑う。
グレゴリウスはほんのわずか、口端を上げるだけだった。
その場に控えていたアドリアンは、背筋を走る寒気を抑えられず、指先が小さく震えた。華やかな王子と、巨木のような教皇――二人が向かい合うこの部屋は、もはや別世界の空気を孕んでいた。




