2 静謐なる祈りの朝
朝の光がステンドグラスを透かし、アルブレヒト皇国が威信をかけて建設した聖光教会アルテンベルク教区会の礼拝堂は、静かな祈りに満たされていた。
「神が与えてくださった今日という一日を素晴らしいものにできるかは、あなた方次第です。神に祈り、神に尽くしましょう。それでは、聖光の導きがありますように」
壇上に立つ大司祭の言葉に、白や薄青の修道服を纏った聖女や司祭たちは右手を胸に当て、目を伏せる。やがて祈りが終わると、皆それぞれの務めに散っていった。
「イレーネ様」
朝の淡い光を湛えた廊下を歩いていたイレーネに声をかけたのは、聖女ソフィアだった。明るい金の巻き毛に青い瞳を持つ華やかな美女だが、幼少期に家が没落し、わずかな聖力を頼りに聖女として身を立てている。
「あら、ソフィア様」
イレーネが柔らかく微笑むと、ソフィアも応えるように微笑んだ。
「今日は昨日の出来事もありましたもの。お休みになっては? 大司祭様もお許しくださるでしょう」
「そうですよ! 大司祭様が休んではどうかって言ってくださったのに、イレーネ様が断ってしまったんです!」
元気に口を挟んだのは、世話係の聖女見習いエリナだった。茶色の癖毛とそばかすが愛らしい娘である。
「……私は大聖女ですもの。休んではいられませんわ」
儚げに笑うイレーネに、エリナは眉を下げた。
「本日のお勤めはどちらです?」とソフィア。
「聖遺物への祈りを」
「それならば負担も少ないですわね。安心しました」
「はい」
ソフィアは安堵の吐息を漏らすと、エリナの肩を二度軽く叩いた。
「イレーネ様をよく見てあげて。すぐ無理をなさるから」
「はい!」
ソフィアはもう一度イレーネに向き合い、微笑む。
「では、私は施療院に参ります。恵みの一日を」
「恵みの一日を」
ソフィアの姿が去ると、エリナはぽつりと言った。
「ソフィア様は本当に美しくてお優しいですねぇ」
「えぇ。……孤児だった私とは、やはり根本的に違う気がします」
「えぇー。イレーネ様も優しくて、美しくて上品です!」
「はいはい。ありがとう。ふふ」
少し間をおいてから、イレーネはふっと小さく笑った。
「でも、優しくて美しい人より……私は普通の女の子になりたいわ」
「え?」
「なんでもない」
孤児だったこと――それがイレーネの諦観の理由の一つだった。孤児の身から大聖女として立ち、安定した衣食住を与えられる生活を得られたこと。その報いとして、皇王に叩かれ罵られるのも「仕方のないこと」だと受け入れていた。
だが、自由への憧れだけは――彼女の心の奥底で、消えることなく息づき続けていた。
「あぁ、イレーネ」
廊下の向こうから、大司祭マルケルスが柔らかく手を上げて歩み寄ってきた。茶色の短髪にはすでに白いものが混じり始め、琥珀色の瞳は穏やかだが、その奥に苦労を滲ませている。年の頃は四十手前、柔和な笑みが似合う人物であった。
「大司祭様」
「体調は大丈夫ですか?」
「おかげさまで問題ありません」
「……そうですか。実は、まもなく隣国セレスタ王国の第二王子殿下が我が国に留学なさる。その下見として明日、使者がこちらに参る予定です。対応を頼めますか?」
「明日ですね。かしこまりました」
大司祭は彼女の頬を見て眉を寄せる。
「まだ腫れが残っていますね」
掌を添えると、温かな光が淡く流れ込んだ。
「私の力ではこれが限度です。申し訳ない」
「いえ、ありがとうございます」
「エリナ、イレーネをしっかり見てあげなさい。頑張りすぎるから」
「さっきソフィア様にも言われましたー」
「ははは、そうか。では、よろしく頼みます。恵みの一日を」
大司祭を見送り、二人は深く頭を下げる。目を合わせ、少しだけ笑みを交わした。
廊下の窓から射し込む陽の光は穏やかで、鳥の囀りが静かな朝を満たしていた。




