11 戒律の影
灰色の雲が空を覆い、石造りの回廊には冷たい風が吹き抜けていた。
厚い石壁と重い鉄門に囲まれた教会は、外界を拒むかのように静まり返っている。礼拝堂や生活棟、作業所まですべてがこの中に収まり、聖職者たちは外に出ることなく日々を過ごしていた。
その内部では、さらに見えない壁がある。
聖力を持つ者――聖女、聖女見習い、司祭、助祭――は「高等聖職者」と呼ばれ、生涯をこの教会に捧げることを義務付けられている。教会の外に出ることさえほとんど許されない。
一方、聖力を持たない者は「奉仕者」として仕え、生活の中では彼らに従う立場にあった。奉仕者にも序列はあるが、それでも高等聖職者に比べれば戒律は緩やかである。
――それが、この聖域の「当然」とされた秩序だった。
図書室にて。この日ユリウスは司祭ベネディクトと共に、一般書の整理を任されていた。
図書室は広さこそないが、壁一面に木製の書架が並び、分厚い宗教関連の書物と、子ども向けの素朴な教育書とがぎっしりと詰め込まれている。華やかさや余裕はなく、ただ「知識を蓄える箱」としての無骨さが際立っていた。
「殿下付きのお方に、こんな雑務をさせてしまって……申し訳ありません」
ベネディクトは腕まくりをしながらも朗らかに笑う。
「いえ、むしろ気が紛れます。私はこういう作業も嫌いではありません」
二人で埃を払いながら、しばらくするとベネディクトがぽつりと漏らした。
「……イレーネ様は、本当にお気の毒な方なんです」
「お気の毒、とは?」
ベネディクトはユリウスを見ることなく、作業を続けながら静かに言葉を繋いでいく。
「大聖女に選ばれた理由は、ただ初代と同じ瞳の色をしていたからなんです。聖力の強さではなく、それだけで。もっと自由に生きられたはずなのに……」
ユリウスは埃を払った本を取り出し、ラベルを眺めながら種類ごとに並べていく。ふと、ベネディクトを見た。
「……例えば、還俗という道はないのですか?」
ユリウスの問いに、ベネディクトは手を止めて目を見開く。
「……え?」
「セレスタの教会では、もし本人が望めば還俗はそう難しいことではありません。
修道生活が合わないと分かれば、普通の人生に戻る者もいます」
ベネディクトは手で口元に触れてから、苦笑した。
「はは。聖光教会では聞いたことがありません。聖力を持って生まれた者は、見つかった時点で聖職者として一生を終えるのが当然です。……だから、気の毒だとしか言えないのです」
ユリウスも一瞬だけ作業を止めて、本の上に手を置く。
「では、血を残すこともないのですか?」
「はい。聖職者が子を持つなど、あり得ません。……というより、戒律があまりにも厳しいのです」
ベネディクトは作業を再開しながらも、少し声を落とした。
「姦淫は御法度。昔、駆け落ちを企てた聖女は鞭打ちと虫責め。
聖職者同士で恋に落ちた者は、鞭打ちの上に水責めに遭い、死ねばその遺体は門前に晒されたと伝え聞きます。とても……考えられることではありません」
「……!」
ユリウスは目を見開き、言葉を失った。
「市民は、そうした“覚悟”を尊敬してくださいます。だから我々は、その期待に応えるべきだと……ずっと思ってきました」
完全に作業する手を止めたユリウスは、手振りを加えながらベネディクトに訴えるように話す。
「セレスタでは逆です。魔力を持つ者は、強弱にかかわらず子を残すよう求められます。“あるかないか”は遺伝することが多いから。……聖力も同じではありませんか?」
ベネディクトも作業をやめて、絶句した。今まで一度も疑わなかった常識が、ユリウスの言葉で音を立てて崩れかけているのを感じた。
ユリウスは悟る――この教会は、聖職者を閉じ込める牢獄だ。イレーネもまた、その中に囚われているのだ。




