リミアの赤い鉛筆
ここは村の巨木の上に建つ、風変わりな宿「銀竜亭」。
昼は静かでも、夜になると冒険者たちが集い、ジョッキを鳴らし、どうでもいい話に花を咲かせる。
この夜も、酒場の片隅には3人の若者の姿があった——
登場人物
・リミア(人間♀)
道具屋の店員。おしゃべり大好き。仕事終わりに銀竜亭に行くのが日課。
・ヴァネッサ(エルフ♀)
魔術が得意な褐色エルフ。人間で言うとアラサーくらい。
・エメ(ティーフリング♀)
薬の扱いに長けたティーフリングの娘。聞き役になることが多いが、冷静で頼れる存在。
リミアがテーブルに突っ伏して、手帳に何やら書き込んでいる。エールのジョッキもつまみの皿も手つかずで、赤鉛筆の先だけがせわしなく動いていた。
「さっきから、何を書いてるの?」
ヴァネッサがジョッキを揺らしながら覗き込むと、リミアは顔を上げてにっこり。
「カレンダーだよ! ほら、簡単なメモとか、あと……」
リミアは赤鉛筆を持ち直すと、にこりと笑った。
「今日の日付に×つけるの、忘れててさ」
そう言って、赤鉛筆でキュッと力強く書き込む。
「……その日が終わった印? 何のために?」
エメが眉をひそめる。
「んーとねー、んーーー……なんでだろ?」
「忘れちゃうから?」
「いや、そんなに忘れないけど……ほら、ずっとそうしてきたからクセみたいなもんかな?」
リミアが口を尖らせると、ヴァネッサが笑った。
「エメは手帳とか持ってる?」
リミアが問いかけると、
「持ってない」
と、エメはあっさり答える。
「私は日記とかも続かないからなあ」
ヴァネッサがジョッキを傾けながら言った。
「カレンダーに×つけるっていう発想もなかったなあ」
「えー、でも意外と便利だよ? 今日は終わった!って感じで」
リミアは胸を張るように言う。
そこでエメがふと思いついたように問いかけた。
「じゃあ聞くけど、今日は何日?」
「え、えーっと……あ! 待って待って!」
リミアがあわてて手帳を開き、パラパラとページをめくる。
「ほら、見て見て! こんな時に×を付けてると便利なのです!」
自慢げに赤鉛筆の印を指差すリミアに、エメはジョッキを手に無言で口をつけた。
(なるほど、そうきたか……)
無表情のまま、エールの泡に顔を沈めるエメ。その様子を見たヴァネッサは、思わずクスクスと笑い声を漏らす。
「こんなに便利なんだから! そうだ!ヴァネッサのも×つけてあげるね!」
「えっ、あ、じゃあ……お願いしよっかな?」
「まかせてくださいな!」
赤鉛筆を構えて、リミアは満面の笑みでヴァネッサの手帳に次々と×を付けていく。その様子を見たヴァネッサとエメは、ふと顔を見合わせる。二人とも何も言わないが、やれやれとした表情を浮かべた。
楽しそうに赤鉛筆を走らせるリミア。ヴァネッサは口元をほころばせて、くすっと笑い、エメは静かにジョッキのエールを持ち上げる。
ちゃぷ、ちゃぷ……と音を立てて揺れる琥珀色の液体に、視線を落としたまま口をつけた。
しばらくして、リミアがひと息つきながら、「できたっ!」とばかりに手帳のページをヴァネッサの目の前に差し出した。
ヴァネッサは受け取った手帳に目を落とし、ふと眉を上げてから、苦笑交じりに言葉を投げかけた。
「ねえ、リミア。 ×が明後日まで付いちゃってるよ?」
「……えっ」
ピタリと動きを止めるリミア。
そのやり取りを聞いていたエメが、ジョッキを掲げて小さく笑った。
「未来からお越しのリミア嬢に乾杯」
ヴァネッサも笑いながらジョッキを掲げた。
ふたりのジョッキが、コツンと軽やかにぶつかる音を立てた。
こうして今日も、銀竜亭の夜はふけていく。