旅立ち
朝7時を過ぎた頃2人の母親は、それぞれの子供たちを起こしに行く。
翔の母親は2階の翔の部屋のドアをノックもせずに開ける。
ベッドの上には花柄のパジャマを着た翔が夏用毛布に包まり未だに寝ていた。
ベッドの脇では龍一君が日課の腹筋を行い、翔の勉強机の前には恭平君が居てパソコンを覗いている。
「ほら翔起きなさい。
あんたたちも歯を磨いて顔を洗ちゃいなさい、今日は人数が多いんだから」
その声で鍋島の小母さんに気が付いた2人が、声をそろえて挨拶した。
「「おはようございます」」
「おはよう、ほら翔! サッサと起きなさい」
1階の客間の戸を開けた鈴の母親の目に飛び込んで来たのは、パジャマ代わりのTシャツを胸のあたりまでまくり上げ、腹をむき出しにしてタオルケットを足下に蹴り飛ばして大の字になって眠る娘と、早い段階で布団から蹴り出されたと思われるゴン太が、情けない表情で頭を上げこちらを見ている姿である。
娘のだらしない寝姿を見て母親は大きなため息を1ツつき、娘を起こしにかかった。
「ハァー! 鈴ちゃん、起きなさい、ほら起きて。
鈴! 人様の家でいつまで寝ているの、早く起きなさい! 」
食堂に洗顔したりシャワーを浴びたりした子供たちが、ポツリポツリと集まって来る。
集まって来た子供たちを迎えたのは、食堂のテーブルの上に所狭しと並べられた料理の数々。
アンコときな粉と胡麻の牡丹餅、カボチャの煮付けにキンピラゴボウ、甘い卵焼きに甘くない卵焼き、オニオンリングとカリカリベーコンに生姜焼き、コロッケに肉じゃが、トロトロのオムレツに唐揚げ。
ササミとキュウリのサラダにワカメとキュウリの酢の物、カレーにオムライス、散らし寿司に稲荷寿司、味噌と醤油の焼きおにぎりに色々な具が入った海苔や大葉で巻いたおにぎり、卵サンドにトマトやレタスの野菜サンド。
焼きトウモロコシに蒸かしたジャガイモ、キュウリとナスの浅漬けにワカメと豆腐それにジャガイモの味噌汁、その他諸々を見て子供たちは目を丸くした。
「どうしたの、これ?」
「これ、全部朝食なの?」
ゴン太にドッグフードと水を出してやりながら、鍋島の小母さんが答える。
「食材を残して置いても腐らせるだけだから、皆んなの好物を作ってみたのよ。
残したら容器に詰めて持たせるから、早く食べなさい」
子供たちは「いただきます」の言葉とともに、大好物の料理に舌鼓を打つ。
鈴が甘い卵焼きとキュウリの浅漬けを頬張りながら母親に問う。
「これお婆ちゃんの牡丹餅?」
「アンコのはお婆ちゃんが作った家から持ってきた物、きな粉とゴマのは私が作ったやつ。
お婆ちゃん程美味く作れなかったけどね」
きな粉の牡丹餅を口一杯に頬張った鈴が返事を返す。
「ほんなくとぬうう……ううすうよ」
(そんなことないよ、おいしいよ)
「あんたはー、口の中の物を飲み込んでから喋りなさい。
全く、小さな子供じゃないんだから、でも、ありがとう」
デブが味噌と醤油の焼きおにぎりを両手に1個ずつ持ち、焦げ目の所を美味しそうに頬張り、がっつきすぎて胸につっかえそうになって慌てて味噌汁を飲む。
「恭平君、そんなにがっつかなくても、タップリあるからゆっくり食べなさい」
そう言いながら鍋島の小母さんが、デブの前に冷えた麦茶が入ったコップを置く。
マッチョがササミとキュウリのサラダと甘くない卵焼きをおかずにして、オムライスを頬張る。
生姜焼きと唐揚げをおかずにちらし寿司を頬張っているナヨに、母親が注意した。
「翔ちゃん、野菜もちゃんと食べなさい」
慌ててキンピラゴボウの皿に箸を伸ばし、ナヨは返事を返す。
「分かっているわよ。
お肉ばっかり食べていると、お肌が荒れてきちゃうもの。
でもお母ちゃんの生姜焼き美味しくて、つい手が伸びちゃうのよ」
子供達は腹一杯、母親達の愛情が詰まった朝食を食べ。
朝食のあと子供たちは麦茶を飲みながら食後の休息を取っていた。
「わ、私、こ、こんなに朝食、食べたの初めて」
鈴がポッコリ膨らんだ腹をさすりながら呟く。
「ダイエットしていたのに、元の木阿弥だわ」
同じように膨らんだ腹をさすりながらナヨが同調する。
「え! そうなの?
小母さんの作った美味しい朝食、久しぶりに食べさせてもらったけど。
俺いつもこれくらいは普通に食うぞ」
「カップラーメンやお菓子で腹を膨らませるから、そんなに太るんだ。
デブお前も俺みたく腹筋や腕立てしろよ。
でも小母さんの美味しい料理、これで食い収めかぁ」
子供たちが残った大量の料理を容器に詰めて貰い、車の冷蔵庫に入れようと冷蔵庫を開けると冷蔵庫の中はすでに満杯であった。
「お母ちゃん、冷蔵庫一杯だよ?」
「だから、鈴ちゃんと恭平君が持っている方は、痛みが早いからお昼に。
翔ちゃんと龍一君が持っている方は、酢飯とかで少し長持ちするから夕食に。
冷蔵庫の中身は、明日から痛む前に食べきりなさい」
6人は必要な物を積み残していないか再確認する。
車の上のキャリアと車の中は、座席とベッドの上の寝るスペースを除き、押し込むように詰め込まれた食料品や生活必需品に救急箱。
ポリタンク数本に入れられた水に、給油缶数本に入ったガソリン。
壊れやすい車の部品に予備のタイヤ、それに修理道具。
着替えの服に下着にタオルと簡易トイレ。
テントなどのアウトドア用品の品々。
対ゾンビ用の場合によっては対人間用の武器、槍にボウガン、立花さんの所から持ってきた散弾銃に火炎ビンなどの数々。
ゴン太のドッグフードにおやつの骨ガム。
などがぎっしりと詰め込まれている。
キャリアは防水のためブルーシートで包まれ、紐やゴムバンドで幾重にも縛りつけられていた。
鈴と立花の小母さん、ナヨと鍋島の小母さん、2組の親子は抱き合い別れを惜しむ。
その2組の親子を見ながらデブとマッチョは、門の前に屯する多数のゾンビの退かせかたを話し合う。
「1体、1体、槍で突き刺し倒すしかないのでは?」
「でもさ、それだと門の前にゾンビの死体が山盛りになるのと違うか?」
2人の話しを聞きつけた鍋島の小母さんが、2人に声をかけて来る。
「大丈夫! あたしに考えがあるんだ。
そろそろお別れの時間だね、皆んな車に乗りなさい」
そう子供達に声をかけてから鍋島の小母さんは脚立を持ち塀の一角に立てかけ、塀を乗り越えて行く。
「お母ちゃん、何するの?」
鍋島の小母さんが塀の外に出て行ってから数分程経った時、数台の車の盗難防止の防犯ブザーが一斉に鳴り響く音が聞こえて来た。
ブザーの音に引きつけられ、整備工場の周りに屯していた多数のゾンビの群れが音の方へ移動を始める。
そのゾンビの群れとすれ違うように鍋島の小母さんが小走りで戻ってきて、立花の小母さんに門を開けて貰い中に滑り込んだ。
「お母ちゃん、もしかして有馬さんの所のベンツ?」
「うん、6台全部フロントガラス叩き割ってやった」
子供たちが座っている席はステップワゴンで学校から逃走するときと同じだった。
運転席にナヨ、助手席にノートパソコンとボウガンを持ったデブ、運転席の後ろに散弾銃を抱えたマッチョ、助手席の後ろにボウガンを抱えた鈴が座っており、違うのは鈴とマッチョの足下にゴン太が寝そべっている事くらいである。
「じゃあ行くね、お母ちゃん」
「絶対に生き残るんだよ。
あんたたちもだからね、恭平君、龍一君」
「分かっているわよ、お母ちゃん! 今まで育ててくれてありがとう」
目を真っ赤にさせたナヨが返事を返す。
「今日までお世話になりました、ありがとうございました」
「小母さん、今まで美味しい御飯ありがとうございます」
デブとマッチョの目も潤んでいた。
「鈴ちゃん、皆んなの足を引っ張るのじゃないわよ」
「分かっているわよ。
最後の最後まで説教しないでよ」
2人の目は喋っている言葉と裏腹に涙で潤んでいた。
2人の母親が鉄格子の門を左右に大きく開ける。
4人の若人と1匹の犬は手を大きく振る2人の母親の見送りを受けながら、未知の世界に旅立つのであった。