出発の準備
子供たちの無事を喜ぶナヨの母親にデブが声を掛ける。
「小母さん、いくら度胸があるからってあんな事したら危ないですよ」
「大丈夫よ。
あたしはもう感染しているから、ゾンビに襲われないの」
「えぇ!?」
ナヨの母親の言葉を聞き子供たちが驚愕の声を上げた。
「ど、どういう事なのよ? お母ちゃん」
鍋島の小母さんはゾンビに噛まれたらしい、包帯が巻かれた左腕を見せながら答える。
「さっき昼食を食べながらテレビを見ていたら、ニュースで流れていたんだけど。
噛まれて直ぐ死んだ人はその場でゾンビになるけど、噛まれただけの人は最低24時間はゾンビにならないんだって」
その言葉に鈴と立花の小母さんが身体を震わせながら悲鳴を上げた。
「そんな、嘘でしょ?」
「そんなの嘘よ! お母さーん」
悲鳴で2人に気が付いた鍋島の小母さんが子供たちに聞いてくる。
「こちらの方達は?」
デブが2人を紹介した。
「2年の立花鈴音さんと、彼女のお母さんです」
「鍋島でございます、宜しく。
ま、宜しくって言っても、あたしの場合は明日までの縁ですけどね」
立花の小母さんは歯をカタカタと鳴らして身体を震わせ、自分の腕の傷を見せながら鍋島の小母さんに質問する。
「わ、私も噛まれました。
で、で、でも、鍋島さんは何故そんなに平気な顔をしていられるのですか?」
「そりゃ、あたしも死ぬのは怖いですよ。
でもこの子の無事な顔が見られたし、この子を家から送り出せると思うと本望かなと思うんですよ」
鍋島の小母さんは横にいる息子の頭を撫でながら答えた。
「どういう事ですか?」
「この騒動は全世界で起こっているらしいですけど、殆どの人が家族の安否が分からないままに、逃げ惑い死んでいると思います。
そんな中であたしは子供たちが無事で、あたしが人間でいられるうちにあたしの下から巣立って行くのが見られるのなら仕方がないかなと思ったら、割り切れちゃったってところかな」
「そこまで割り切れるなんて凄いですね、私は駄目です」
「娘さん2年生でしょ。
という事は2年後には大学進学で家を出る筈だったんだから、少し早くなったと思えばいいんじゃないかしら」
「そう言われれば、そうなのですけど……」
2人の会話にナヨが割り込む。
「お母ちゃん、あの車、大友さんの車でしょ? 改造しちゃって良いの?」
ナヨは話し掛けながらキャンピングカー仕様のハイエースワゴンを指差した。
そのメタリックブルーのキャンピングカー仕様のハイエースワゴンワイドは、フロントガラスやドアの窓枠に金網が溶接され、その他の窓にも覗き窓の穴が空けられた鉄板が溶接されている。
「うん、大友さんの車、あんた達が明日乗って行く車よ」
「どういう事?」
「あたしは噛まれて明日にはゾンビになっちゃうから、ゾンビになる前にあんた達を送り出したいの。
あの車キャンピングカー仕様だから車内にトイレやシャワー、それに冷蔵庫に電子レンジなんかが装備されているからね」
鍋島の小母さんはそこで一度話しを切り、ゴン太を指差しながら話しを再開した。
「チョット! その犬静かにさせて、そんなに吠え立ててたら此処ら辺のゾンビが全部集まって来ちゃうわ!」
門の外に屯するゾンビにゴン太が吠えつき、その吠え声を聞きつけたゾンビがドンドン集まって来るという悪循環になっている。
鈴が静かにさせようと声を掛けるが余り効果は無い。
「吠えないように口を縛るとかしないと、明日置いて行く事になるわよ」
「はい、ゴン太! 静かにして! 」
鈴が叱ると吠えるのを止めるが、直ぐに吠えるのを再開する。
ゴン太を相手に悪戦苦闘している鈴を見ながらナヨがまた母親に声を掛けた。
「お母ちゃん、改造手伝うよ」
「後はバンパーのところを強化するだけだから、翔ちゃんは自分の荷物を纏めて来なさい。
恭平君と龍一君の家に置きっぱなしだった服や下着、カバンに入れて事務所に置いてあるから一緒に持って来て。
恭平君、龍一君、2人は荷物を運び入れて」
「分かったわ」
「「はい、分かりました」」
返事を返して子供たちは動きだす。
続いて鍋島の小母さんは立花さんの方を向き話しを続けた。
「申し訳ありませんが立花さん、あたしこっちに掛かり切りになるのでお構いできません、だから事務所でテレビを観ていて下さい」
「こんな時に私だけテレビを見ているなんて、出来ません」
「ごめんなさい、言い方が悪かったわ。
暇だからテレビを見るのではなく、子供たちが明日出発するのに必要な情報を見つけて欲しいのです、この傷に関する情報のように」
「あ、そういう事なんですね、それなら観させてもらいます」
次に鈴を見て話しを続ける。
「その犬ゾンビを見ると吠えだすようだから、事務所の中に入れちゃいなさい」
「はい」
デブとマッチョがステップワゴンの荷台にある荷物をハイエースワゴンのロッカーに無造作に入れようとするのに、鍋島の小母さんが注意した。
「服などの軽い物は、着替えの服と下着やタオルなど必要最小限の物以外は、屋根のキャリアに載せてちょうだい。
また台風が来るかも知れないから、カバンごとゴミ袋で包んでしっかり防水対策してね」
そこに自分の荷物と友人たちの荷物を持ったナヨと、ゴン太を母親に任せた鈴が戻って来る。
「皆んな揃ったから言うけど、積み込んだ荷物の置き場所は4人で共有しなさい。
そうすれば必要な物を出すときに他の人が仕舞った物でも直ぐに出せるから」
鍋島の小母さんはステップワゴンの荷台に転がっている、マッチョが作った即席の槍を見ながら話しを続けた。
「自分たちの服などの荷物と、食料品や水に予備のガソリンなど全てを積み終わったら、武器を作りなさい」
「「「「はい」」」」
4人は口を揃えて返事を返し動き始める。
数時間後、周りがすっかり暗くなった頃に車の改造と荷物の積み込みや武器の製造が終わった。
人数よりかなり多めに作られた2~3メートル程の鉄パイプや木の先を尖らせた槍や、人数分のボウガンとそれに使用する200本程の矢。
それらの槍なども車に積み込まれる。
「取り敢えず準備は整ったね、じゃ翔ちゃんたちはお風呂に入っちゃいなさい、鈴ちゃんは後でね」
5人は住居兼事務所に向かう。
事務所の中では立花の小母さんがゾンビの気配を感じる度に唸りだすゴン太をその度に抱きしめ、宥めながらテレビを見ていた。
鍋島の小母さんが尋ねる。
「何か必要な情報はありましたか?」
「幾つかありました。
このニュースを流していたのは民放1局だけなのですが。
数カ月程前から世界中で、末期癌の人や全身に大火傷を負った人達が奇跡の回復を見せるニュースが流れていましたよね、その人たちが最初にゾンビになったらしいです。
あと、ゾンビ菌に感染するルートは噛まれた事によるも゙のだけでは無く、輸血やキスを含む性交などによっても感染するとの事です」
それを聞いて顔を赤らめた鈴が話しに割り込む。
「お爺ちゃん、もしかしてそれで感染したのかな?」
それにデブが説明を求める。
「どういう事だ? 鈴、詳しく教えてくれないか」
「お爺ちゃん肺癌で半年前から入院していたんですが、先月喀血して輸血を受けたんです。
そうしたらお爺ちゃんなんか元気になってきて、お医者さんも肺の癌が小さくなってきているって驚いていました。
それで病状が回復してきたからってお盆の前に一時帰宅が許されて、帰って来ていたんですが……」
立花の小母さんが話しに加わった。
「お爺ちゃんの例を見ると本当の事かも知れないのだけど、そのニュースを流していたのはその局だけで、他の局はそんな事一言も言ってないのよ。
それと、此れもその局だけが流していたニュースなんですが、ゾンビの倒し方は映画の中みたく頭を攻撃すれば倒せるけど、頭全体ではなく脳幹と言われる部分を傷つけないと倒せないらしいです。
だからアメリカで撮られた映像が流されていて、警官がゾンビの頭を拳銃で撃ち倒したと思って不用意にゾンビに近づいた所を噛まれるという事例が、映っていました」
そこまで立花の小母さんが話した所でナヨが割り込む。
「デブ、あなた気が付いていたの?」
「何を?」
「だってあなた、1矢でゾンビを倒していたじゃない」
「ああ、あれは偶然だよ。
さっき小母さんに手伝ってもらって作成したボウガンと違って、学校で作成したボウガンは威力が乏しく頭蓋骨を打ち抜く事が出来ないから、ゾンビの目を狙って射抜いたら1矢で倒す事が出来ただけ」
「なあーんだ、まぐれか」
鈴が話しに加わる。
「でも、先程作成したボウガンだと頭蓋骨を打ち抜けるかも知れませんが。
脳幹を傷つけない限り倒せないって事は、頭蓋骨を打ち抜けるだけでなくどこを狙うかって事になりますよね。
という事は、目を狙って射るのが正解って事ではないんですか?
それにゾンビを見ていて気が付いたんですけど、ゾンビって瞬きしないから目は狙いやすいと思います」
「偉いわー、鈴ちゃんもちゃんとゾンビを観察しているのね、私も見習わなくちゃ」
ナヨが誉めると鈴は照れたように頭を掻いた。
そこでまた立花の小母さんが話しを続ける。
「高速道路や国道はお盆初日の大渋滞に加えて、高速道路や国道沿いの市町村からゾンビから逃げようとする人たちの車が加わった事により、国道はまだましだけど、高速道路は少しでも隙間があると我先に先に進もうとその隙間に突っ込んで行く車のせいで、二進も三進も行かない状態になっているらしいです。
そしてその二進も三進も行かない状態で車に閉じこめられた人達に、料金所などから高速道路に入り込んで来たゾンビが襲いかかっているそうです」
立花の小母さんが話した事をテレビが流し始めた。
テレビの画面には、二進も三進も行かない車の上を荷物や子供を抱え徒歩で逃げる人たちや這いずるように車の上を移動するゾンビがいて、徒歩で逃げる人たちや割れた車の窓から侵入して閉じ込められている人たちを襲うところが映っている。
画像が切り替わり、何処かの高速道路のトンネルで火災が発生している様子が映し出された。
真っ黒な煙がモクモクと噴き出しているトンネルの出入り口から、辛うじて逃げ出て来た人たちにゾンビが襲いかかりその肉を食い千切る様子や、獲物にありつけなかったゾンビが真っ黒な煙が噴き出ているトンネルの中に入って行くところが映し出されている。
映しだされている画像を見ながら鍋島の小母さんが話す。
「高速道路や国道は駄目ね、でも迂回路も今頃一杯になっているかも知れないわね。
車にナビは付いているけど、恭平君にパソコンで道路情報を確かめて貰いながら、進んだ方が良いかも知れないわ」
鍋島の小母さんの言葉に子供たちが頷く。
テレビの画像がまた切り替わり、逃げ足を求めて空港や駅に殺到する人たちが映し出される。
だが、空撮するヘリコプターに同乗しているリポーターの話しやテレビの画面に映るテロップは、航空機や電車は全て運休している事を伝えていた。
空港や駅でも殺到する人たちにその事が伝えられているが納得しない人達が暴徒化しそうな状況になっていて、派遣された自衛官や警察官に対し何時暴徒の射殺命令が出されてもおかしくない状況になっているらしい。
電車が全て運休している事を聞いた1部の避難民が、線路上を徒歩で移動を始めている所も映し出されている。
画面がまた切り替わってスタジオが映されニュースキャスターが、警察や自衛隊にゾンビと略奪者の射殺命令が出された事を話していた。
略奪者は現場を見つけたら問答無用で射殺。
ゾンビは誰何され言葉を発するなど人間だと証明出来なければ射殺され、ゾンビ化した人の家族などがそれを妨害した場合、一緒に射殺されている事をニュースキャスターが話している。
テレビを見ていた6人の耳に、パンパンパンという拳銃の発砲音が繁華街の方向から聞こえて来た。
拳銃の発砲音を遠くに聞きながらデブがある不安を口にする。
「さっき商店街で略奪されている店舗があったけど、此処は大丈夫かな?」
それに鍋島の小母さんが門の方を見ながら答えた。
「大丈夫でしょ、門の前や塀の周りにゾンビが屯している限りはね」
「それって、諸刃の剣じゃないですか?」
「そういう事ね。
さああんたたちは風呂に入って来なさい」
続いて立花の小母さんの方を向いて声をかける。
「奥さん、すいませんが夕食の支度手伝って頂けますか?」
「はい、喜んで」
「私も手伝います」
ソファーに座っていた鈴が手を上げながら立ち上がり手伝いを申し出た
「鈴ちゃん、あなたは此処でゴン太を見ていなさい」
「家ではそんな事一言も言った事が無いくせに」
「止めて、それ言わないで」
母親の言葉に顔を真っ赤にさせた鈴は狼狽えながら返事を返し、ゴン太を抱き寄せながらソファーにまた腰を下ろす。
子供たちを寝かせつけた2人の母親は日本列島を横断し日本海に抜けた台風が、低気圧に変わった事を流す天気予報を見ながら話し込んでいた。
ゴン太は皆んなが風呂に入ったあと子供たちに風呂に無理やり入れられ、鈴に抱かれて寝ている。
「うちの子、女の子なのに家事が全く駄目なの、これから心配だわ」
「大丈夫よ、これから必要な事はうちの翔や龍一君、ムキムキの方ね、が教えると思うわよ。
料理はうちの子が好きだし、それ以外の家事は龍一君が大抵こなすから」
「翔君や龍一君はそういうの好きなのですか?」
「うちの翔は好きでやっているけど、龍一君の所は父子家庭で、そのお父さんも外国にちょくちょく出かけて行くことが多いから、必要に駆られて何でもできるようになったみたいよ。
ところで立花さん、子供たちの明日の朝食と持たせる弁当作りません? うちにある食材全部使って」
「良いですね、作りましょう」
2人の母親は、子供たちに作ってあげられる最後の食事を作り始めた。
「鍋島さんのお宅2人暮らしの割には食材多くないですか?」
「翔が高校に入学して仲良くなった、恭平君と龍一君がよく遊びに来るようになったから。
龍一君の食欲は普通だけど恭平君の食欲は凄まじいものなのよ。
初めて家に遊びに来たとき夕食に誘ったの、そしたらいつもよりも多めに炊いたのにご飯が直ぐなくなっちゃって。
でもね、その時恭平君を見たら泣きながらご飯食べていたの、事情を聞いたら、愛情のこもった手作りのご飯食べるのは10年ぶりだって言ったのよ。
恭平君が小学校1~2年のときに妹さんが生まれて、両親の愛情が妹さん1人に集中しちゃったのね、暴力とか受けなかったみたいだし洗濯なんかは家族の物と一緒にやって貰えたみたいなんだけど。
無関心になっちゃってご飯も小遣い込みで1日5000円渡されて好きな物食べろ、って言われていたらしいわ。
出来合いの弁当とかカップラーメンとかを食べ続けた結果、あんなに太っちゃったみたいね。
だからお盆の間もあの子達が遊びに来ると思って、食材多めに用意していたの、まさかこういう使い方になるとは思わなかったわ」
2人の母親は子供達の好物を次々と作り続ける。
2人の母親は明け方近くまで子供たちに作って上げられる最後のご飯を作り続けてから、テレビの前で仮眠をとった。