帰宅
「席を変わってもらったのは、ナヨの家に行くのに繁華街や住宅街を通らなければならないからです。
繁華街や住宅街では多分阿鼻叫喚のパニックが発生している筈、だから車に近寄って来るのはゾンビだけではないと思う。
そこでは逃げ足を確保しようとする人たちが、車に群がってくる可能性が高い。
下手にドアを開けたら、そいつ等を乗せるどころか逆に車から引きずり降ろされ、乗っ取られるかも知れないから。
鈴! 」
「は、はい! 」
「どんなに哀願されてもドアを開けるな!
万が一お前がドアを開けて引きずり降ろされても、今度は助けに行かないからな。
分かったか!」
「はい、分かりました」
「マッチョ! 人に向けては撃ちたくないだろうけど、如何しようもなくなったら威嚇の為に撃て!
出来るだけ空に向けてな」
「分かった」
「ナヨ、ドアはロックしておけ」
「分かったわ」
車は郊外から市の中心部に向けて走る。
市の中心部に近づくにつれて街の中から逃げ出してくる車や人の姿が増て行く。
パトカーや救急車それに消防車のサイレンがあちらこちらから鳴り響いていて、街の中の何か所からか黒い煙が上がっているのが見えた。
ナヨは県道から市の中心部に向かう交差点の手前で一度車を止める。
停車した車の中から市の中心部の方を窺っている5人の目の前で事故が起こった。
ステップワゴンの後方から猛スピードで走って来た中型トラックと市の中心部から走り出てきた軽乗用車が、交差点で激突しもつれ合うように転がる。
軽乗用車から火が出たと思ったら中型トラックに燃え移り、2台の車は乗っていた人たちが逃げ出す前に燃え上がった。
車と共に燃え身体の火を消そうとのたうちまわっている人に近くにいたゾンビが食らいつく。
ゾンビは自身が燃えるのも構わずに燃え上がる人の肉を食い千切り咀嚼し飲み込んでいた。
5人は唖然とした表情でそれを眺める。
街の中から逃げ出して来た他の車や人は、その悲惨な光景を見ても知らんふりの様子で通り過ぎて行く。
我に返った小母さんと鈴が消防署や警察署に電話をかけたが、何度電話しても呼び出し音が鳴るだけで電話が取られる事は無かった。
それだけで無く偶々通りかかったパトカーでさえ、事故を無視するように走り去る。
それらを見ながらナヨが震える声で皆に声をかけた。
「み、皆んな、聞いて。
デ、デブが危惧していた事が、ほ、本当に起こっているみたいだわ。
少し……少し遠回りだけど迂回するわね。
迂回しても住宅街を横切るから油断しないで」
ナヨは車を発進させるとその交差点で曲がらず、3つ先の交差点から市の中心部に向かう。
車が通り過ぎようとしている住宅街の中では、血達磨で上半身裸の若い男が車の前を横切り。
虚ろな表情の女性が何事か呟きながら道を歩いていた。
ドアが大きく開かれたままの住宅の中からは男女の悲鳴が響いてくる。
「出ていけー! 此処は俺の家だぞ! ワァー! 助けてくれー!」
「止めてー! お父さんを食べないでー!」
その向かいの家では玄関の前に繋がれた犬にゾンビが3体群がり、逃げる事も出来ず悲痛な鳴き声を上げている犬を生きたまま貪り食っている。
門の内側に即席のバリケードが築かれている住宅のベランダには、中年の男女が手にゴルフバットや包丁を握りしめて道路を監視していた。
猟銃を持った人を含む数人の男女が道路をバリケードで塞いで封鎖し、逃げ込もうとした人たちを追い払っている。
車は不意に飛び出してくる人たちを轢かないように低速で住宅の中を横切って行く。
道のそこかしこでゾンビに襲われ身体を貪り喰われている人たちがいる。
車で逃げだそうとしたが狭い住宅街でスピードを出し過ぎたのか? 角を曲がり切れずに電柱に激突した車に後続車が次々と衝突し多重事故になっている所があった。
怪我を負って路上に座り込み助けを求める人にゾンビが襲いかかる。
運転席と座席に挟まったままゾンビになり後部座席で車に閉じ込められ助けを求めている多分ゾンビになった奴の家族だと思うが、に、食いつこうとしているゾンビもいた。
ゾンビに襲われ助けを求める人たちを無視して、荷物を背負い子供の手を引いた親子連れが道を横切って行く。
逃げ惑う人たちは皆、自分と自分の家族の事で精一杯で他人に関心を向ける者はいなかった。
車が1軒の住宅の前を通り過ぎようとしたときその住宅のドアが突然開き、中から血塗れの赤ん坊を抱いた女が飛び出て来てステップワゴンにすがりつく。
「お願いです! 乗せてください、子供だけでも」
女はステップワゴンの後部座席の窓を手でバンバン叩き哀願した。
デブが鈴に声をかける。
「開けるなよ」
鈴と小母さんは耳を手で塞ぎ身体を折りたたむように丸めて窓の外を見ないようにしていた。
赤ん坊を抱いた女が出てきた住宅からは口の周りを血で染めたゾンビがよろめきながら出て来て、女の後をおぼつかない足取りで追ってくる。
手に手に金属バットや鉄パイプを持った10数人の男たちのグループが、自分たちの方へ近寄って来るゾンビを次々と駆逐していたのだが、ステップワゴンと車にすがりつく女を見て車を止めようと駆け寄って来た。
「自分たちだけで逃げるつもりか?」
「赤ん坊くらい同乗させてやっても良いじゃないか」
「車を止めろ!」
男たちは最初車の窓やボディを手でガンガン叩いていたがその中の1人が、ゾンビの頭をかち割っていたバットで車の窓を叩き割ろうとしたその時、マッチョが散弾銃の引き金を引いた。
バァーン!
発射された散弾は空に向けて飛んで行き、車の周りに群がっていた男たちは口々に悲鳴を上げて車から離れる。
ナヨはその隙をついて車のスピードを上げ、男たちと赤ん坊を抱いた女を振り切った。
車は住宅街を抜け商店街に入る。
此処でもゾンビが道を横切りゾンビに追われた人たちが逃げ惑っていた。
商店街の多くの店舗はシャッターが下ろされていたが、シャッターがこじ開けられ略奪にあったらしい店舗も見受けられる。
食料品や生活必需品を扱う店舗が略奪にあうのはまだ理解出来るのだが、宝石店や電器店なども略奪を受けていた。
車は商店街を抜け中小の工場が寄り集まっている区画に入る。
ナヨが鈴と小母さんに安心するよう声を掛けた。
「もう少しの辛抱よ、私の家、そこを曲がった所だからもう直ぐ着くわ」
角を曲がると2メートル程のブロック塀と同じ高さの鉄格子の門で囲まれた、広い敷地の整備工場が見えて来る。
「まずいわー」
鉄格子の門の外側に数体のゾンビが屯っているのが見えた。
デブとマッチョがそれぞれの武器を手に車を降りようとしたとき整備工場の鉄格子の門の内側に女性が現れ、ステップワゴンの運転席に収まっているナヨを視認するとゾンビに構わず門を開ける。
「あ! お母ちゃん! 開けちゃ駄目ー! 門の前にゾンビがいるのが見えないのー?」
門を開ける女性の正体に気が付いたナヨが大声を上げた。
門の前に屯していたゾンビの群れは門を開ける女性を無視し、ゴン太の鳴き声を聞きつけてステップワゴンの方へ近寄って来る。
門を開けきった女性はステップワゴンに手を振りながら門の中に入るよう促した。
ステップワゴンは近寄って来るゾンビの群れとすれ違うようにして整備工場の中に入る。
車を整備工場内に招き入れた女性は門を閉めてから、車から降りた5人に近寄って来た。
ナヨがその女性に飛びつく。
「お母ちゃん、ただいま。
止めてよね! 危ない真似をするのは」
「お帰り、皆んな無事だね」
女性はナヨを力一杯抱きしめてからナヨの顔を両手で挟み顔を覗き込むように見る。
それからデブとマッチョの顔を見ながら子供たちの無事を喜ぶのだった。