逃走
巧みなハンドルさばきで近寄って来るゾンビをかわしている男子生徒が、女の子に声をかける。
「ところでさ、あなたの名前はなんて言うのかしら?」
「2年D組の立花鈴音と言います」
「2年の立花って言ったら、陸上部のホープじゃないか」
太った生徒が話しに加わって来た。
「あ、俺、3年の高橋恭平、呼び名はデブで良いから」
「私は家族や友達に鈴と呼ばれています」
「鈴ちゃんか、あたしはナヨ、本名は鍋島翔、デブと同じく3年ね」
「宜しくお願いします」
鈴はナヨに返事を返してから隣に座っている体躯の良い男子生徒に目を向ける。
「俺は島津龍一、こいつらにはマッチョって呼ばれている、同じく3年」
「先程は助けて頂き、ありがとうございました」
この3人の事を鈴は友達に聞いた事があった。
3年の変態3人衆と聞いている。
デブこと高橋恭平、パソコンを扱わせると天下一品だが生身の女の子に全く興味を示さず、漫画やゲームの中の2次元の女の子にしか興味を抱かない男であると聞いていた。
女の子みたいな顔立ちで小柄な生徒は、ナヨこと鍋島翔、彼はゲイと噂されている生徒、ただし彼に面と向かってゲイと言った人たちは皆んな半殺しの目にあっている。
小さな時から女の子のような顔立ちだった息子が馬鹿にされないように、彼が高校1年の時に交通事故で亡くなった父親の勧めで小学校に入る前から空手を始め、高校3年の今では3段か4段の腕前であると友達が言っていた。
マッチョこと島津龍一、彼は父親の影響で幼少の頃からボディービルを始め、身体に筋肉をつける事のみに興味を示すナルシシストで女の子に全く興味を示さない奴だと聞いている。
「あら鈴ちゃん黙り込んじゃたけど、あたしたちの噂聞いた事があるのかしら?」
「ごめんなさい、あります」
そう返事を返しながら鈴は軽く頭を下げた。
「でもさ、あたしたち3人は、鈴ちゃんにとって一番安全な男たちと言えるのよ」
「そうだよ。
俺は妹が生まれたあと両親にネグレクトされている影響で、2次元の女の子にしか興味がない男だし、ナヨの興味の対象は亡くなった父親と同年代の男性だけだし、マッチョは身体を鍛える事と、銃器の事しか興味が無いからな」
「銃器?」
「小学生高学年の頃に親父さんに連れられて渡米した時に、住んでいたアパートの親しくなった隣の部屋の人に射撃場に連れて行ってもらってから、鉄砲を撃つことが大好きな人間になったのだって」
「鈴ちゃん、どこから山の方へ曲がれば良いのかしら?」
「次の信号を通り過ぎて、2ツ目の十字路を曲がってください」
「分かったわ、クソ野郎! 免許持っているのか!」
脇道から突然飛び出て来た軽トラックを巧みなハンドルさばきでかわし、運転していた血まみれの若い男に罵声を浴びせる。
デブがまたツッコミを入れた。
「免許って? お前こそ無免許だろうに」
「え? ナヨ先輩、無免許なんですか? それにしては運転が上手ですね」
「先輩は止めて、ナヨって呼び捨てにして良いわよ」
「それじゃ、ナヨさんで」
「ま、仕方が無いわね、それで良いわ。
運転が上手いのはお父ちゃんが死んでから、お母ちゃんの手伝いをするようになったからかな」
「ナヨの家、整備工場なんだよ」
「と言っても、中学の頃から無免許運転していたけどね」
ステップワゴンは十字路を山の方角に曲がり農道を走る。
道の両側には、刈り入れを待つばかりの黄金色に輝く田んぼが広がっていた。
農道を暫く走ると、道は登りになり山の上を目指して伸びている。
農道は途中からアスファルトで舗装された道から砂利道になった。
「そこのカーブを曲がった先の、2階建ての家が私の家です」
「分かったわ」
車は山の中腹に建っている垣根で囲われた広い庭がある家の庭の真ん中に止まる。
母屋に続く納屋の傍に繋がれている中型犬が猛烈な勢いで母屋に向けて吠えていた。
車から降りた鈴は犬に静かにするように声をかけてから、玄関の引きを開けて家の中に声をかける。
「ゴン太! 静かにしなさい。
お母さーん! お爺ちゃーん! お婆ちゃーん! 居るー?」
家の周りを警戒し車から離れないナヨを残してデブとマッチョはそれぞれの武器を持って車から降り、鈴の後ろから家の中を覗き込んだ。
その3人の目に、奥の部屋から右腕から血を流した中年の女性が出てくるのが映る。
「お母さん! どうしたの? その腕大丈夫? 今手当てするから」
中年の女性は奥の部屋の方を見つめながら譫言のように言葉を繰り返す。
「お爺ちゃんが……お爺ちゃんが……」
鈴が母親を居間の方へ引っ張って行く間に、デブとマッチョは勝手に家に上がりこみ奥の部屋を覗いた。
そこには青白い顔をした老人が口に猿ぐつわを噛まされ帯やガムテープなど手元にあった物らしい紐なのでがんじがらめに椅子に括り付けられていて、その足下に老婆が身体のあちらこちらの肉を食い千切られその傷口から血を流して倒れている。
老婆は2人が見ている前で息を引き取ったと思ったら、顔が真っ青になったあと這いずりながら2人に近寄って来て片腕を伸ばして来た。
デブとマッチョは顔を見合わせてから互いに頷き合う。
それから持っている槍を老婆の頭に突き刺したりボウガンの矢を老人の目に打ち込んだりして、老人と老婆の動きを止めた。
母親の応急処置が終わった鈴が奥の部屋に入って来ようとしたのを、2人は首を左右に振りながら押し止める。
居間に戻って来た3人を見て顔を青ざめさせた鈴の母親が話しを始めた。
「ゴン太を散歩に連れて行って戻って来たの、そしたら……そしたら、突然ゴン太が母屋に向けて猛烈に吠えだして。
家の中からお婆ちゃんの悲鳴が聞こえて、慌てて奥の部屋に行ったら、お爺ちゃんが……お爺ちゃんが、お婆ちゃんの腕を掴み齧りつきき食べていたの……」
家の外からゴン太の吠え声がまた聞こえて来ると同時に、玄関の引き戸が開けられナヨが警告の声を発する。
「姿はまだ見えないが、犬が山に向かって吠えている。
学校のゾンビがこちらに移動しているのかも知れない。
必要な物を持って早く車に乗れ! 」
ナヨの警告の声を聞きデブが皆んなに指示を出す。
「鈴! 必要な物を纏めて玄関に出せ。
小母さん! 家にある缶詰めやレトルトなどの日持ちする食料品を纏めて。
マッチョは俺と一緒にこの家の雨戸を閉め戸締まりをしよう」
デブの指示を聞き直ぐに動き出したマッチョに比べて動きの鈍い女性2人に向けて、デブが更に言葉を続ける。
「早く動け! お前たちもゾンビになりたいのか?」
この言葉を聞き鈴と鈴の母親は飛び上がるように立ち上がると、それぞれ台所や自分の部屋に駆け込んで行く。
デブは玄関の引き戸を開けたまま家の中を見ているナヨにも指示を出す。
「犬を車に乗せろ。
あとドッグフードを探してそれも載せておけ」
「分かったわ」
ナヨは玄関の引き戸開け放したまま外に飛び出て行く。
デブは1階の雨戸を閉めて回っているマッチョを見て、2階の雨戸を閉めようと階段を上がる。
階段を上がってすぐ脇の戸が開いており、鈴が教科書やノートなどをバックに詰めているのを見て声をかけた。
「教科書なんて後にして、着替えや生活に必要な物を先に詰めろ。
逃避行が何時まで続くか分からないから、冬物も持って行った方が良いかも知れない。
あ、あと、生理用品を忘れるなよ」
「は、はい」
鈴に声を掛けてからデブは2階の雨戸を閉めて回る。
2階の部屋の雨戸を次々と閉めていたデブの目が鈴の両親の部屋らしい、階段を上がって奥側の部屋の中で厳重に鍵が掛けられた金属製のロッカーに止まった。
直ぐに鈴の部屋に行きロッカーの中身を聞く。
「鈴、向こうの部屋にある金属製のロッカーの中身は何だ?」
「あれはお父さんが趣味でやっている猟の猟銃です」
「鍵はあるか?」
「お母さんが知っていると思います」
その時ナヨの警告の声が玄関から響く。
「皆んな! 早くしてぇー!
山道の頂上付近にゾンビの姿が見えるわ。
まだ1体しか見えないけど、後ろに続いているのがいるみたいよー!」
デブはそれを聞き鈴に声をかける。
「荷物は纏め終えたか?」
目の前にあるリュックサックと2ツのスポーツバックを指差しながら鈴が返事を返してきた。
「はい、終わりました」
デブはリュックサックを肩に担ぎその重さに呻きながら階下に降りる。
デブの後ろから同じように満杯の2ツのスポーツバックを軽々と持った鈴が続く。
階下に降りたデブは鈴に指示を出す。
「荷物を車に載せるのはマッチョに任せて、ロッカーの鍵のありかを小母さんに聞いて」
「あ、はい、お母さん! お父さんの銃が入っているロッカーの鍵、どこにあるか知ってる?」
「あのロッカーの鍵なら……居間のテレビの横の戸棚にある筈だわ」
「直ぐに出して!」
銃と言う言葉に荷物を持って玄関から出ようとしたマッチョが立ち止まり、耳をそばだてるのを見てデブが注意する。
「マッチョ! 荷物を先に車に運び込め」
ナヨがまた玄関先に顔を見せ警告の声を上げた。
ナヨは犬の餌を探す際見つけたらしい手斧と鉈を両手に1本ずつ持っている。
「先頭のゾンビが、此処から100メートルくらいの所までに近づいて来たわ。
そいつの後ろからも次々と姿を現している」
「ナヨ! 直ぐに乗り込めるように車を玄関先につけろ」
「分かったわ」
鈴の母親がロッカーの鍵を持って戻って来た。
「えーと、これが銃のロッカーの鍵で、こっちが弾の鍵だった……」
「小母さん! 教えてくれなくて良いからサッサと開けて」
「あ、はい」
鈴の母親はデブの言葉を聞いて階段を駆け上がって行く。
母親の後ろに続こうとした鈴をデブは止めると何か書かれたメモ用紙を渡し話しかける。
「鈴のお父さんが帰って来るかも知れないから、家の中の目立つ所と玄関の引き戸に逃げる事を書いた紙を張っておけ、これナヨの家の住所」
「はい」
鈴に指示を出したあとデブは階段を上がって行く。
デブがロッカーのある部屋に入ると2丁の散弾銃がカーペットの上に置かれ、小母さんがもう1つのロッカーを開けている最中であった。
「小母さん! あと俺がやるから、小母さんは着替えなど必要な物を纏めて」
「はい、お願いします」
デブはもう1つのロッカーを開け中から散弾銃の弾が入った箱を全て取り出すとともに、同じロッカーに入っていたサバイバルナイフを取り出す。
それらの物を小母さんが自分の物を入れようと用意したカバンの1つに押し込んだ。
そこにマッチョが危険を知らせにきた。
「早く! ゾンビが庭に入って来た」
「分かった、マッチョこれを持って行って」
デブは散弾銃2丁と弾とサバイバルナイフを押し込んたカバンをマッチョに持たせ、小母さんの服などが入れられたカバンの1つを持ち小母さんを急き立てて階下に降りる。
階下の玄関前で鈴が皆を待っていた。
階段を降りたデブは周りを見渡し居間に鈴が母親を手当てしたまま置きっぱなしにされている救急箱に目を留め、自分が持っていたカバンを鈴に押しつけて指示を出す。
「これを持って先に車に乗れ、小母さんも早く」
デブは居間に行き、救急箱とテレビの横の棚の上にある写真立てを幾つか手に取ると外に出た。
家の外ではマッチョが槍で近寄って来るゾンビの頭を突き刺し次々と倒している。
デブは玄関の引き戸を閉めマッチョに車に乗るように声をかけてから自分も車に乗り込み、スライドドア閉めながらナヨに声をかけた。
「ナヨ! 良いぞ、車を出せ!」
デブの声を聞いてナヨは車を発進させゾンビを弾き飛ばしながら道路に飛び出す。
ステップワゴンの後部座席は先程と違いデブも座っているため狭苦しく、後部座席の後ろの荷台には荷物が山積みにされていて荷物の上に陣取ったゴン太が、道路の脇から車に掴み掛かってくるゾンビに向けて煩く吠えていた。
助手席では小母さんが譫言のように独り言を呟いている。
「何でこんなことに? 何で? 何で? ……」
小母さんの譫言を聞きながらデブは、居間から持って来た鈴の家族全員が写っている写真立てを鈴に渡す。
「鈴、これ」
「あ、ありがとうございます。
自分で気が付くべきなのに、全然気が付かなかった」
「仕方が無いよ、追い立てられていたのだから」
2人に挟まれている位置にいるマッチョは、2人の会話を聞きながら2丁の散弾銃に散弾を装填している。
デブがそれを見てマッチョに注意した。
「それを撃ちたい気持ちは分かるけど、ゾンビの奴ら音に反応しているみたいだから、止むを得ない場合を除き撃つなよ」
マッチョはその言葉に仕方が無いと言った表情で同意の返事を返す。
「分かったよ」
デブとマッチョの会話にナヨが割り込む。
「ガソリンが心許ないからスタンドに寄るわよ、皆んな準備して」
「どこのスタンドに寄るのだ?」
「うちの街に入って直ぐの所に、セルフのスタンドがあるのよ」
「金は?」
「あ! 小母さんカード持ってる?」
ナヨの問いかけに我に返った鈴の母親は財布を探し答えた。
「大変! お財布家に置いて来ちゃった」
小母さんの返事を聞いてナヨは肩をすくめて言う。
「まあ仕方がないわよね、緊急事態だし、強盗を働かせてもらうわ」
「大丈夫か?」
「銃があるのだから楽勝でしょう」
「ゾンビは的にしたいけど、人間は撃たないからな」
「人間を撃てなんて言って無いわよ、脅しに使えって言ってるだけよ」
「分かった」
隣街に近づく頃にはゾンビの姿は見かけなくなりゴン太も静かになって、口を大きく開けて欠伸をしていた。
血相を変えたドライバーが運転する乗用車が数台、ステップワゴンの反対車線をフルスピードで走って行く。
後方からもステップワゴンに追いついて来たフルスモークの車高を低くした乗用車が、クラクションを鳴らしながら猛スピードで追い抜いて行く。
その乗用車は数百メートル先のカーブを曲がり切れずに田んぼに突っ込んで横転していた。
それらを見てナヨは安全運転を心がけている。
隣街との境目になる十字路を過ぎステップワゴンはコンビニと隣接しているセルフのスタンドに乗り入れ、給油機の前で止まった。
強盗をする覚悟だった彼等の心配を他所に、スタンドの中は無人でゾンビの気配も無くゴン太も大人しくしている。
車を止めたナヨは手斧を片手に握りしめスタンドの事務所に入って行く。
ナヨが事務所に入って行くのを見ていたデブがまた皆んなに指示を出す。
「小母さんは車の中で待機、犬が吠えだしたら皆んなに知らせて。
マッチョと鈴は隣のコンビニに行って、弁当やパンにお茶などそのまま食べられる物を持って来て」
マッチョは鉈を片手に直ぐに人の気配が無いコンビニに向けて歩き出したが、鈴は聞き返してくる。
「お金はどうするの?」
「言い直す、強盗してこい」
それを聞いて鈴も慌ててマッチョの後を追うのだった。