欲喰らう怪物
「おっと勘違いしちゃ駄目だ!俺と兄弟はこの世界で初対面さ。前のことなんて出会ってねぇ。出会ってたらお互い殺し合ってたろうな?いや……王になれなかった半端者には無理かぁ?」
イアソンは黙り込む。それに気を良くしたのかリュウは更に言葉を続けた。
「気を悪くしないでくれよ兄弟!それはただの結果さ!俺は兄弟のこと、誰よりも理解しているぜ?あぁそうだ。クソみたいな女どもに振り回されて、無茶苦茶にされて、挙げ句裏切られ捨てられる!仲間だってそうさ!調子の良いこと言っておいて、いざ力をつけたら平気で裏切る!人の本質なんてクソだ!だから俺は嬉しいんだぜ兄弟?ようやく、俺と同じ立場の人間と出会えたんだからな?シンパシーって奴さ。」
リュウの人生は、裏切りの連続であった。裏切り裏切られ、その連鎖。見せしめにあらゆる苦痛、屈辱を与え、昨日まで同じ釜の飯を食っていた仲間も切り捨てる。魑魅魍魎の集まり。そんな世界。
それは時代こそは違えど、イアソンのいた世界も同じことだった。神々の気まぐれに人々は振り回され、その尊厳は侮辱され、それでもなお矜持を捨てず、前を向いて歩く者に、トドメとばかりに試練を与え心をへし折る。まるで子供の玩具のように、苦難の日々であったのだ。
「俺はお前がどういう人間なのかは知らない。だが一つだけ訂正させてくれ。俺はお前とは違う。確かに人は裏切るものかもしれないが、それでも仲間との日々は俺には捨てがたい栄光だ。」
イアソンは胸を張って答える。その言葉にリュウは目を丸くする。そして……。
「ぶっ……ぶはっ!ぶはははははははははっ!!何だそれ?おいおい、俺の前で隠し事は不可能だっての!どれだけ良い子ちゃんぶりたいんだお前?あー確かにそういう意味では違うなぁ、俺はお前みたいに腹黒にはなれねぇからよぉ?それで?亜人の中でも劣等種を集めて優越感に浸りながら、今度は王様になるってか!ケケケッ!最高に滑稽だぜ兄弟!お前はやっぱ俺だよ!」
「いや、劣等種という存在は知らなかった。彼らは単に俺の周りに勝手に集まってきただけさ。そして王様……そうだな。そのつもりはなかったが、オルヴェリンはこれから混乱の渦に飲まれるだろう。その時に、王と言う名の人柱になら喜んでなろうじゃないか。」
思い直せば、連合軍側に政治を知っているものが自分しかいないのに気が付いた。幽斎はその辺りの知識があるようだが……普段の態度からして間違いなく内政には非協力的だろう。
カーチェの反乱が成功したとして、オルヴェリンは大混乱になるだろう。その時に政治を執り行うものは恐らく激務……それだけでない多くの責任を求められ国の消耗品としての末路。喜んで引き受けよう。それが俺の最後の役割だと、この世界に喚ばれた役割のような気がしたのだから。
「なーんで、結局あるんじゃないか野心。カーチェも哀れだよな。折角反乱をしたのに、俺たちみたいな連中に良いように結局言いくるめられて何も変わらない、そんな未来が待ってるぜ。」
「いいや、俺はカーチェの意見に賛同するよ。もしもこの戦いが無事に終われば、そのときは、亜人もオルヴェリンの人々も対等に、そして平和に、誰もが手を取り合い笑顔でいられる世界を築き上げる。そう約束しよう。」
「ぶっ……いやいやもう良いってそのギャグは……ククッ……。」
腹を抱えて笑う。心底おかしくて。夢見がちな少女の夢。現実が何一つ見えていない平和ボケした展望。だというのにイアソンは表情一つ変えなかった。嘲笑うリュウをただ黙ってみている。その様子に、リュウも流石に気がつくのだ。
「……本気で言ってんのか?そんな馬鹿げたことを?」
「まぁ確かにお前の言うとおり、多少の妥協点は生まれるかもしれない。だが、可能な限り理想を突き詰めるよ。それが王というものじゃないのか。」
「違うな、差別は必要だ。粛清は必要だ。取り繕ってんじゃねぇよイアソン。どんな人間でも心には負の感情という怪物を飼っている。今は綺麗事を抜かしても、立場や責任が生まれれば、それを餌にその怪物は成長し、いずれは破滅を迎える。みんなそうだ!そうだった!お前だってそうだろう!生前のことが忘れられなくて、今も必死に怪物が出てこないように蓋をしてやがるんだ!!」
リュウの眼がイアソンを見定める。彼の眼は全てを見通す。それは決して魔眼の類などではない。彼が見るのは人の心のあり方、魂の形である。嘘、偽りだけではない。感情の揺れ動きや心の機微。全てが見える。そしてそこから、何を考えているのか、何を夢見ているのか、全て分かるのだ。
神通力でも超能力でもない。それは彼が生まれながらにして備わっていた王の資質。そして同時に人として生きることができないことが決まった宿業。
イアソンの内面を見る。今度は確実に。少しだけ垣間見た、外側の部分ではない。心の核。イアソンがイアソンであらんことを構成するもの。
子どもたちが駆けっこをしていた。太陽が優しく照らす美しい緑の大地。そこには、様々な種族や文化が共存し、互いに敬意と愛情を持って接する人々が暮らしていた。
笑顔と感謝の言葉が溢れていた。人々は互いに助け合い、仲間や家族や恋人と幸せな時間を過ごしていた。温かい部屋で暖を取り、愛するものとともに過ごす。それが当然のことのように。
また、自然や動物とも調和し、大切に扱っていた。そこでは差別や暴力や戦争という言葉は忘れ去られており、誰もが幸せになれる理想の世界が広がっていた。
そしてその世界にイアソンは、ただ隅で一人安らかに見守っていた。全てを終え一人静かに余生を過ごす。彼を称えるものは誰もいない。贅沢も何一つない。ただ一人静かに、海の見える丘で、人々の笑顔を見守っていた。
「はっ……!おぇ……おぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇええ!!!」
リュウは吐いた。あまりにもおぞましいイアソンの内面に。
あの男には、あの男の内面には何一つ闇がない。負の心が一つもない!そんな人間がいてたまるか。俺の知る人間は皆、欲望に満ち溢れ、身勝手で、そしてそんな身の丈に合わぬ願望に溺れ死んでいった!
気持ちが悪かった。人の醜さを全て知っているくせに、それでもなお子供のような夢を持ち続けるこの男に。
「心底、不愉快だぜイアソン。お前がそんな、そんな気色の悪い連中と同じであることに酷く失望した。」
自分と同じだと思っていた異郷者は、まるで自分とは正反対だった。似た境遇、似た立場。違う点があるとすればそれは末路。俺は全てを手に入れた。だが奴は全てを失ったのだ。だから同情していた。ほんの少しでも歯車が噛み合わなければ、イアソンという男の運命は自分も巡っていたかもしれないからだ。
だというのに、だというのに……!
「それでどうする。お前に戦闘能力がないことは分かっている。それでも俺はここでお前を殺す。」
「莫迦が。やれるもんならやってみろ。てめぇに俺様が殺せるかよ。ああ、そうだ最後に教えてやる!さっき聞いた自分の子供が目の前で殺された時の心情なぁ!俺は何とも思わなかったぜ!何せ俺自身の手で、ぶっ殺したんだからよぉ!!」
リュウはイアソンに向かって突進した。手に持つ武器は槍だったが、それは普通の槍ではなかった。槍にしては装飾過多で、ごちゃごちゃとしている。実用性からは酷くかけ離れている。まるで儀礼用の槍だとイアソンは感じたのだ。





