仮初の花嫁
───戦いには勝利した。勝利したのだが、その空気はあまりよくはなかった。
オルヴェリンはドラゴンすら圧倒する兵力を有している。例え宗十郎一人が何とかしたとしても、それは全体の戦局に与える影響は微々だるものだ。あの一撃が、いつ自分に届くのか。そう思うと恐怖以外のなにものでもなかった。
特にコボルトたちはもう駄目だった。自分たちの代表がいとも容易く殺害され、目の前でドラゴンは爆発四散した。彼らの心にはトラウマとして根付く。
即ち、戦いには勝利したが、吉村の計略は十二分の機能したのだ。オルヴェリンの圧倒的戦力を知らしめて、戦意の喪失。
「無理だ……。なんなんだよあれ!聞いてない!勝てるわけがない!」
嘆きの声は一つではない。無数に伝播していき、勝利の後とは到底思えない。
「落ち着け!確かに連装式種子島は恐ろしいものだ。だがフェンはそれでも勇敢に戦った。種子島など物ともせず、敵兵を倒していったぞ!」
「でも結局殺されたじゃないか!たねがしま?仮にそれをくぐり抜けたとして、その先には恐ろしい異郷者が待っている!」
吉村の実力は圧倒的だった。コボルトは亜人たちの中でも戦闘に長けた種族。その代表、即ち一番の実力者が簡単に殺されたのだ。そして何よりも、今も震え上がり、まるで捨てられた子犬のように隅で縮こまっている情けないコボルトたちの姿を見ると、誰もが感じるのだ。
この戦いは勝てないと。
「……宗十郎はわからないだろうが、この世界においてドラゴンとは圧倒的存在なんだ。神にも等しい超生物。それが容易く殺された。理解は難しいかもしれないが……。」
カーチェも流石に参っていた。闘志こそは失っていないものの全体の空気の悪さが明白。この状況を打破する手段が思いつかない。先程から幽斎の姿も見えず、どうすれば良いのか先が見えないのだ。
ふと宗十郎は袖を引っ張られているのに気がつく。振り向くとリンデだ。思い詰めた表情でこちらを見ている。
「どうした、何か用件があるのか?」
「宗十郎、最早ここまでです。今すぐ私とまぐわい子を作りましょう。大丈夫です、貴方との子なら先程のオルヴェリンの兵力にも対抗できるゴブリン軍団が作れます。何年かかるかは分かりませんが、今は遠く遠く逃げて……。」
「そうだ、こちら側にはメスゴブリンのリンデ様がいるじゃないか!あの化け物を単騎で斃した異郷者の宗十郎様!なるほど二人の子ならば最強の軍団が作れる!そうだ!我々には希望があるぞ!」
エルフの代表であるエルヴィスはその長い耳で会話を盗み聞いたのか、大きな声で皆を鼓舞するように叫んだ。エルフたちの、ドワーフたちの目に希望の光が灯る。
そしてそれは一気に広がり亜人たちはまるで勝利の凱旋のように騒ぎ始めた。
「ふふ、これはもう既成事実のようですね。宗十郎?まさか逃げるとは言いませんよね?貴方はこれまで亜人たちと共にここまで戦ってきました。ならば最後まで勝利のために全力を尽くすのがブシドーというものではないですか?」
カーチェは困惑した様子で周囲を見回す。こんな形で士気が回復するとは思わなかったからだ。だが……それは解決策としてはどうなのだ、という疑問が残る。確かに合理的解決策かもしれないが、心情的に納得ができない。この流れを食い止めようと物申す形で叫ぼうとした時だった。
「い、いや!これは違う!違うのです!!拙者はまだ何も言っておりませぬ……師匠!!!!」
当の本人。宗十郎は冷や汗をかき、心底焦った様子で叫んだ。視線の先、途中姿が見えなくなっていた幽斎がそこにいた。その表情は無表情……だがその心の内は阿修羅の如し……いや、般若という方が正しいか!
「そうだね、シュウはそんなこと言わないもんね。リンデちゃんさぁ……知ってるよね?ブシドーの婚姻はあたしの許可がいるんだけど……?」
「婚姻ではなく子作りです。」
リンデの物言いに空間が割れた気がした。幽斎は抑えている。今にも溢れ出そうな激怒のブシドーを。だがそれでも、同じブシドーの宗十郎は感じるのだ!今、そのブシドーを解き放てば周囲一体更地不可避!故に爆発物を扱うかの如く慎重なのだ!もっとも師匠がこんな激怒している様子は初めてなので、宗十郎自身もどうすれば良いのか考えあぐねている!
「婚姻と子作りの何が違うのかなぁ?」
「正妻でなくても良い、という意味です。事態はとてもまずいのです。ここは全体の兵力を上げるためにも亜人として私の力を……。」
「は?答えになってないし、あたしは婚姻と子作りの違い聞いてるんだけど?」
最早、一瞬即発!その危険な事態に気がついているのは宗十郎のみ!亜人たちは知らないのだ!目の前の可愛らしい女性が、今盛り上げている宗十郎の師匠であり、この場を壊滅できるほどの実力者であることに!
宗十郎はフォローに入りたいが心底わからない!師匠の言い分は分かる!ブシドーの掟を破るのは禁じ手!ありえぬのだ!だが……怒りすぎである!悩みに悩み、そのときであった!
「お、宗十郎殿、先程の戦い見事でござったぞ~。コボルトたちの救出、某のニンジャーネットで無事回収した故、気になさるな?しかしえらい怯えようであった、はっはっはっ新兵とは皆、ああいうものよな、某、ニンジャコマンドー故にああいう新米ニンジャをたくさん見てきたのでござる。いやはや安心なされよ。これは言うならば最終試験のようなもの。この戦いを通じて兵は一つ大きくなるのでござる。それよりも見るでござるぞ!某、お主の勝利を確信していた故に祝いの宴に使う食材を探していたのでござるが……これ!大物でござる!立派な魚ですぞ!!」
巨大な魚を持ったハンゾーが能天気に現れた。ピチピチと跳ねる魚が少し宗十郎に当たる。
「ハンゾー……今はその……。」
「おぉう?これは……?」
ようやく状況に気がついたのか、リンデと幽斎の間に入っているハンゾーは自分に向けられた殺意に気がついた。
「宗十郎……修羅場でござったか……ふむなるほど……?メスゴブリンの特性とな。エルフから話は聞いているが……別に問題ないのでは?」
ビキッ!ビキビキッ!!
嫌な音がした。その言葉にこの空間に満ち足りたブシドーが破裂寸前まで高まった。このままでは全員死ぬ。宗十郎はこの危機的状況を脱するためにハンゾーの首を刎ねて余計なことを言わないようにさせるのが吉であると本気で考えた!
「あぁ誤解なさるな。ブシドーの掟はしっている。だが宗十郎、この世界にはお主の血縁はいないではないか。ならば許可など、とりようがない。とはいえブシドーがブシドーと関係の無いものと婚姻を結ぶのは確かによろしくない。つまり、そこの細川の女を正妻とし、リンデ殿を側室とすれば解決でござる。」
ハンゾーは知らないのだ。その細川の女と勘違いしているのが、細川幽斎に他ならぬと。故にハンゾーはブシドーの生態知識から当然の回答を出す。同じ世界に生きてきたものならではの答えであった!
「ふぇ!?あ、あたしがシュウと婚姻……?い、いやいやあり得ないし!!」
顔を真っ赤にして幽斎は否定する。当然といえば当然。
そして同時に張り詰めたブシドーは一気に消えていた。なぜなのかは分からないが、九死に一生を得た宗十郎は心底ホッとする。
「と、ともかく!!駄目だ!いいなシュウ!リンデとの婚姻は許さぬぞ!!あ、あと、後で儂の部屋に来い!話すことがある!!」
逃げるように幽斎は走り去っていく。宗十郎が「勿論です!」と即答する時間すらなく、あっという間だった。
「そういうことだリンデ。お主の理屈は分かるがこれだけは引けぬ。」
「むぅ……ではどうするのです?あんな相手、宗十郎はともかく、他の人たちはただ殺されるだけです。」
危機的状況は去ったが、確かにその解決策は未だ見いだせない。最悪、リンデの申し出を受け入れることも念頭に置き、ひとまずは幽斎の部屋へと向かうことにしたのだ。





