何がために
「ハァ……ハァ……ハァ……!」
宗十郎とカーチェ、二人は懸命に駆けていた。いつ追手が来るか分からない。特にあの黒き槍を持った男。あの男は規格外であった。通常のはかりを超えた存在。もしもあの男、直々に追っ手となるならば、確実に殺されるであろう。そんな確信があった。
無我夢中で走る中、二人は気がつく。濃い霧が出ていることに。月明かりしかない夜中で視界が悪いというのに、更に深い深い霧まで出ているのだ。本来であれば、ついていないと思うところではあるが、此度は幸運であった。霧に紛れ、追っ手を撒くことが可能だと、そう考えるのだ。
霧の中はまるでミルクの海を泳いでいるかのようだった。数メートル先は何も見えない。かろうじて分かるのはお互い手を握りしめた熱だけ。はぐれないように声を掛け合い、足を進める。
しばらくすると開けた場所に出た。カーチェは一息つけると思い駆け出そうとするが、宗十郎はそれを掴み食い止める。
「よく見ろ。そこは湖。行き止まりだ。」
鍛え抜かれたブシドーセンスは水の気配を容易に察知することができる。そこは静かな湖。目を凝らすと月が反射し幻想的な風景に見えなくもない。
霧も少し晴れてきたのか、ミルクの海のような濃い霧ではなく、まるで雲海を歩くような霧となってきた。そして宗十郎たちは今いる場所に気がつく。森だ。ここは森の中だった。
「無我夢中だったとはいえ、まさかこんなところにいたとは。しかし森ならば好都合。今夜はここで野宿とするか?」
「いや、それは少し危険かもしれぬ。見知らぬ森での野宿。何がいるか分からぬ現状、未知の獣に襲われる可能性もある。休むのであればせめて……相応の家屋の下でなければ。」
周囲を見渡す。確かに宗十郎の言うことには一理ある。霧が濃すぎるからか、現地民である自分でさえ知らない森に迷い込んでいた。もしやすると、危険な亜人が潜んでいるかもしれないのだ。
「なるほど、では……寝ずの番をするか?交代交代で。」
「うむ……日が出れば霧も晴れ動きやすくなるだろう……いや待て。」
宗十郎はブシドーを展開する。微かに聞こえた人工物の音。建物が軋む音である。霧が出ているということは急激な温度差が生じたということだ。ならばそれに呼応するように、人工物であれば軋む音がするというもの。
探知した。幽斎ほどではないが、何らかの建物をブシドーで感知したのだ。
「ついてくるのだカーチェよ。何やら気になるものを見つけた。」
その先に何があるかまでは分からないため、二人は気配を殺し、少しずつ目標へと進んだ。
しばらくして、カーチェも何やら人工物があることに気が付いた。建物だ。目視できる範囲。宗十郎はブシドーを駆使して敵の気配を察知する。
「無人のようだ。仮宿として使えるかもしれぬ。」
その建物は倉庫のようだった。扉はなく開放的な作りではあるが……壁と屋根があるのは助かった。雨風は凌げるし、急な敵にもバリケードとして使えるため有利に立ち回れる。目の前には先程の湖が広がっており、こんな時ではなければ、ちょっとした安息所としても使えたかもしれない。
腰を下ろし一息つく。静かな夜だった。虫の鳴き声一つせず、まるで先程の戦いが嘘のよう。
「なぁ宗十郎、少し話をしても良いか……?」
宗十郎は座り込み仮眠を取ろうとしていたが、静かに頷く。
「知ってのとおり私はオルヴェリンに生まれ育ち……騎士として恥の無いよう生きてきたつもりだった。幼い頃から鍛錬を積み重ね、教育を受け続け……いつしか神聖五星騎士などという大層な肩書きも得られるようになったよ。だがそれも皆……全てデタラメだった!意味のないことだったんだ!私の人生は喜劇そのものだ!」
それは感情の発露であった。落ち着き、平静となった今、今までの出来事が冷静にのしかかる。今まで信じてきたものに裏切られたこと。それは絶望を通り越し、放心。何もかもが抜け落ちたような感覚で笑うしかなかったのだ。
「オルヴェリンの真実を伝えるために生きろと言ったな。だがそれもどうだか……あの巨大兵器を多くのものが見たはずだ。だというのにあそこにいた騎士たちは誰も驚きはしなかった。市民たちも同じ反応を示すだろう。そうさ、普通の精神状態じゃなかった。あれは……あれはそうだ催眠、洗脳の類だ!はは……今思えば私もオズワルドの奴にされていたよ。もっとも何故か効かなかったようだがな……ああ、どうせなら私も洗脳されていれば良かった。そうすればこんなことにもならなかったろうにな。こんな、こんな惨めな思いをする必要もなかった。」
「洗脳……オルヴェリン全土を覆うものか。合理的だ。催眠洗脳された兵士は戦場において比類なき力を発揮するし、民草ならば労働力として非凡ならぬ力を見せるだろう。団結力など言うまでもない。しかしそこにブシドーはない。信念なき力は一流には及ばぬぞ?誇れカーチェ。お前に洗脳が通じないのは……。」
「そんなこと言われなくても分かっているよ!!」
言葉を遮り壁を叩きつける。壁には亀裂が入りパラパラと破片が落ちた。
「分かっている……分かっているんだ……。だが……私とて人だ。もう限界なんだ……。」
先程までの戦いで張り詰めていた緊張感は解け、現実を直視したカーチェは完全に弱気になっていた。力なく宗十郎の胸を叩く。人に当たるなど騎士の風上にも置けない行動ではあるが、それでも何かに想いをぶつけなくては気がすまなかった。
「今は思うように吐露するといい。ブシドーとて同じだ。ハラキリすら許されず生き恥を晒しながらも生き続けなくてはならぬ時もある。こう……上手くは言えないが……。」
主君が道を間違えたとき。自分ならばどうするか。嘆くカーチェを慰めながら、宗十郎は自問自答していた。殿に限ってそのようなことはないと知りつつも。
夜は深くなり、カーチェの心が落ち着きを取り戻しだした時のことであった。ボオオオォォォと突然鳴り響く音。重低音……二人はすぐさま臨戦態勢をとり外を見る。
「森ではない。湖の方だ、見ろカーチェ。」
宗十郎が指差した先には巨大な影……船であった。豪華客船を思わせる巨大な船には明かりが霧でぼけてはいるが、人の気配を感じなくもない。
「渡し舟か……?それにしては大型だ。こんなものがあったなんて知らなかった。」
「オルヴェリン近郊に巨大な湖があったのか?」
「そうだな、都市を作るにあたっては当然水源の確保は絶対。巨大な湖は確かにあるが……渡し船まであるとは知らなかった。それもこんな時間にか?」
「こんな時間だからこそ……かもしれぬ。商人が野盗や獣から逃れるため、あるいは得た商い品をすぐに運びたいなど事情は様々だ。」
ともかくこれは文字通り渡りに船であった。霧で追っ手は撒いたのかもしれないが、それも霧が晴れるまで。日が出れば痕跡を辿られいずれ捕まるだろう。その点、渡し船を使い湖を渡るというのは痕跡を消すのに十分である。
二人は迷うことなく、渡し船へと乗船した。





