失うことない宝物
イアソンに部屋を案内される。屋敷は亜人たちが住んでいるだけあって広く、宗十郎たちを泊めるスペースは十分にあった。
「ここは亜人たちの屋敷、巣のようなものだ警戒を……宗十郎!なに平然と横になっている!」
部屋につくなり寝転がる宗十郎をカーチェは叱咤した。
「……何を取り繕っているのだ?お主ほどの者が分からぬとは言わせぬぞ。警戒など必要ないことは明白。今はただイアソンどのの答えを待つだけだ。」
「なっ……私は……取り繕ってなどと……!」
言い訳のようなカーチェの言葉をまるで相手にせず宗十郎はそのまま眠りについた。
そんな態度にカーチェは思わず身を乗り出し、宗十郎の毛布を引っ剥がそうとしたところで止められる。幽斎であった。
「言葉足らずの弟子に代わり、儂が補足しよう。ブシドーは常在戦場。常に神経を張り詰めいかなる時も戦いに移れるよう育てられているのだ。戦地の中で休息をとることもよくあるもの。夜襲など日常茶飯事。気になさるな。これが儂らの生き方なのだ。」
宗十郎の真意は別にある。そもそもここの亜人は敵ではない。そう認識しているが故の行動。だが幽斎の言う事もまた事実である。ブシドーにとって警戒のために休息を怠るというのは三流の証明。警戒しつつ休息をとるなど当然の技なのだ。
「む……そ、それなら良い!ユウさんがいて助かった。まったく宗十郎は説明不足がすぎる……。」
「うむ、カーチェちゃんは安心して休むといい。もし何かあれば起こすから……。」
そして幽斎は宗十郎の眠るベッドに潜り込もうとする。カーチェはその首根っこを掴み阻止した。
「なんだ、まだ何かあるのか?」
「いや、何平然と宗十郎のベッドで寝ようとしている?ユウさんのベッドはそこにあるだろう。」
「何を言うかと思えば……儂らは修行自体は共に同じ夜具を使ったものよ。夜は冷えるのだ。大切な愛弟子が風邪でも引いたらまずいだろう?」
「いや、どうせブシドーとやらで風邪は引かないのだろう?知ってるぞ、私の目の前で宗十郎が毒をブシドーで一瞬にして浄化したのを。」
カーチェの指摘に幽斎は黙り込む。幽斎にとっては予想外だったのだ。まさかこの騎士がそこまでブシドーに精通していたことに……!
「念入りに愛弟子ポイントを稼ぎたいんだけどだめ?ほら昔のことを思い出させるとより親密になるというじゃん?」
「なんだよそれは!ダメだダメだ!動機が不純!あっちで休め!」
渋々、幽斎は自分のベッドに横になる。その様子を見終えた後、リンデを見る。
「……なんですか?私、貴方のことは嫌いなのであまりジロジロと見られるのは嫌なんですが。」
「宗十郎と結婚したがっているお前がここぞとばかりに既成事実を作ろうとしないか心配なんだよ。」
「それは最終手段ですね。私が欲しいのは宗十郎との家庭ですから、できれば穏便に築きあげたいものです。宗十郎は残念ながらオルヴェリンの連中と違い下卑た精神性は持っていないようなので。」
言いたいことだけ言ってリンデは自分のベッドへと向かう。
一人立ち尽くすカーチェは、オルヴェリンのことを思う。幼い頃から騎士の鍛錬を積み、そしてその全てを捧げてきた。そんな自分が今、亜人と行動をともにし、今、亜人の巣で一晩過ごそうとしている。
少し前ならば信じられないことだった。ブシドーと名乗る奇妙な異郷者たちの影響かもしれない。彼らはただ自由に平等に……自分とはまるで異なる価値観を持っている。
だがその性根は同じで、仕える主の為に死力を尽くす。だというのに……なぜこんなにも考えがすれ違うのか……。
分からない。そんなことを思いながら、カーチェは横になり、少しずつ意識が薄れていった。
───操舵輪を眺めていた。手に馴染む、ずっと共にいた相棒。握りしめ、目を瞑ると、そこにはまるで昨日のことのように栄光の日々が浮かび上がる。
だが、それはもう過去のことだ。あの時の情景がトラウマとなり共に浮かぶ。もう一度これを手に取り戦う気力など起きるはずもない。
俺をまだ必要とし、ここまで導いてくれたことには感謝するが、もう無理なのだ。既に抜け殻、イアソンという男は、あの日既に殺されたのだから。
「だから、俺は……お前の気持ちには応えられないんだアル。見てみろ、俺はもう何もない。かつてこの手には財宝の数々や名声、神々の祝福だってあった。だが今の俺には何もないんだ。」
目の前に立つ少年に、ずっと共に戦ってきた相棒にイアソンはそう答えた。
「いいやイアソン、僕たちにはまだ残っているものがあるさ。この世界にも確かにある、イアソン……君が英雄足り得るもの。何よりも尊い宝が。」
なにを───。
俺だけが持っている宝?そんなものはとうに無い。ここにいるのは過去の栄光を懐古するだけの負け犬。いつまでも昔に囚われた……。
『お前ならきっと、俺たちをまとめあげ、正しき英雄の道を進んでくれる。』
操舵輪を握りしめ瞼を閉じると浮かび上がるのは、友の言葉だった。出港の時に、誰よりも一番自分のことを信頼し、自分が一番の適任者だと、当たり前のように、馬鹿みたいに断言してくれた。輝かしき冒険の幕開け、そしてそこから始まる仲間たちとの宝玉のような日々。
正しき英雄の道……それは遠く果てしない道だった。決してたどり着けぬ物語。だがそれでも、栄光を信じて突き進み続けた。運命に抗い、希望を信じて、如何なる試練や困難にも立ち向かい突破してきた。
俺にとってこの操舵輪は相棒、人生そのもの。この世界に持ち込んだ武器は、宝物は唯一つ。かけがえのない仲間たちとの絆。世界は違えど、思い続ける限り決してなくなることはない。
もしも次に、彼らと出会うことがあれば、彼らは今の俺を見てどう思うだろうか。腐った俺を見て嘲笑うか、失望するか……。
「形あるものだけが宝物ではない、と言いたいのか。俺が俺として象徴足りうるもの……それはあいつらとの旅の日々。それがある限り、英雄イアソンは不滅であると。」
気がつくと少年は消えていた。あれは心の迷いが生み出したものか、女神の気まぐれか。こんな世界に来てまで、俺のことを信じ続けてくれたのか。
操舵輪を手に取り部屋から立ち去る。その心にはもう迷いも葛藤もなかった。





