流離う偶像
「さて、ともかくだ。本来の目的を果たすとしよう。ボスゴフリンの首。あれを持ってオルヴェリンに報告をしなくてはならぬ。」
宗十郎とカーチェは崩落したゴブリンの巣まで戻る。あれだけいたゴブリンたちは皆、いなくなっていた。宗十郎とカーチェがファフニールとの戦いに目を向けている間に逃げ出したのだ。
だが一人、宗十郎を待っている者がいた。女性型ゴブリンのリンデである。
「他のゴブリンどもはどうした?投降すると聞いていたが。」
「私が逃しました宗十郎。どうか気を悪くしないでください。私たちは宗十郎の言葉を信じています。ですが……そこの女はずっと私たちへの殺意を消していないのです。恐らく宗十郎の目から離れた時に、その女は狡猾にも私たちを皆殺しにする算段をつけるでしょう。」
「あぁ゛!?」
リンデの言葉を聞いてカーチェは怒りの形相で食いかかるが、宗十郎に静止させられる。
「どけ宗十郎!見ただろうこのメスブタを!私たちの目を掻い潜って狡猾に仲間を逃したのだ!そういうものだ!信用するだけ馬鹿を見る!!」
「否、彼女の言う事は一理ある。それは今のお主が証明しているぞカーチェよ。オルヴェリンには強い差別意識があるようだな。」
「差別ではない!人類に害するから始末するのだ!私たちは文化人だ!好き好んで殺戮する野蛮人ではない!」
「ほう?言質をとったぞカーチェよ。つまり彼女が……リンデが人を害さないのならば始末しないと?文化人故に?」
「!……なっ……な……!」
カーチェは狼狽えた。失言だったと後悔するが既に遅い。元より宗十郎とは考え方、物事の価値観がまるで異なる。まさかそのような目線で反論されるとは思ってもいなかったのだ。
「ブシドーに二言はない。嘘偽りなど恥知らずも良いところ。はて、この世界の"騎士"とやらはどうなのだ?誇りは、誉れあるものなのか?」
「ぐっ……ぬぅ……くぅぅぅ……勝手にしろ!だが私は黙認するだけだ!庇いきれないときは黙殺するぞ!」
「それで良い。元よりリンデが人に害なすのであれば、拙者が誰よりも先にその首刎ねよう。」
宗十郎であれば迷いなしに撥ねるであろう。その安心と信頼はカーチェには間違いなくあった。だが……だが……ゴブリンを街に受け入れるなど到底許容し難いのも事実。
「幸い姿は他のゴブリンと異なりほとんど人間と変わらぬ。その長い耳を隠せばどうにでもなるだろう。ふむ、姿が我々と類似しているのはカーチェが言っていたゴブリンの生態とやらの為か?」
女性型ゴブリンはゴブリン族の繁栄のために強いオスと交配することが本能的に強く刻まれている。もっとも外見については単純に母親の遺伝子を強く受け継いでいるだけなので、特に深い意味はないのだ。
そう、強いオスとの交配を目的としている。
リンデは宗十郎に抱きつき、トロンとした目で囁いた。
「宗十郎、どうか私と交配を、いえ婚姻を結んでもらえませんか。夫婦になりたいのです。」
それは明白な求愛行動であった。当然である。単独でゴブリンの巣に攻め込み壊滅させただけに留まらず、長年に渡りゴブリンを虐げ、ゴブリン戦士を容易く殺戮してきたファフニールと渡り合うその実力。彼女が恋をするには十分すぎるほどであった。
「おい、宗十郎から離れろゴブリン。今すぐ私の手で殺してやるからな?」
オルヴェリンの騎士としてそのような振る舞いは許せない。カーチェは殺意を込めて剣に手をつける。
「気遣いは不要だカーチェ。もとより拙者はゴブリンと婚姻を結ぶつもりも交わるつもりも毛頭にない。」
「宗十郎……!信じていたぞ、お前ならそう言ってくれると!」
だがリンデは納得がいかない。首を横にふり離さないという様子だ。女性型ゴブリンはその生態故に一度やると決めた相手には一途なのだ。そこは通常のゴブリンと変わりない!己が欲求に忠実なのだ!
「これはブシドーの問題だリンデ。拙者にはそもそも婚姻の自由などない。」
勿論、ゴブリンとの婚姻を断る理由にカーチェもオルヴェリンも関係がない!これはブシドーの問題なのだ。ブシドーは勝手な婚姻を結ぶことは許されていない!強い家と繋がることでより強いブシドーを磨き上げていく……即ち、親や主君、師の許しなくして婚姻などありえないのだ!
「なんだそれは……随分と前時代的というか……しかし宗十郎、お前にも師と仰ぐものがいるのか?その実力で?」
「無論だ。そもそも拙者などブシドーとしては半人前も良いところ。我が師は齢80を超えるご老人であったが、そのブシドーは今も冴えわたる。幼き頃から拙者にブシドーのいろはを教授してもらった。それは戦いだけではない、礼節や学問までも……最早、もう一人の親とも呼べる。」
カーチェは軽く引いていた。少なくとも宗十郎のような異郷者は他に見かけた報告はない。彼のいた世界はどんな魔境なのだ。宗十郎のような人間が山ほどいて競い合っている地獄のような世界。
「しかし、それでは宗十郎。この世界で一生婚姻を結ばないということにならないか?」
「そもそも拙者は主君を、殿を助けなくてはならない。このような世界で家庭を持つなど許されぬのだ。リンデも理解したか?お主の想いに応えるということは拙者がブシドーでなくなるということ。それはお主の本懐ではあるまい。」
その固い決意。魂レベルに刻み込まれた決意をリンデは見た。ブシドーというのはいまいち分からないが、確かにこの男を納得させるには一筋縄ではいかないということだけは分かる。
ここは大人しく引き下がり頷く。リンデに企てがあった。宗十郎の頭の中では"殿"と呼ばれる存在が第一にあるのは明白!つまりその"殿"のポジションに自分が位置さえすれば良いのだと考えたのだ!男の篭絡はカーチェが話していたようにメスゴブリンの得意技である!今はこの男の傍にいて、この男がどんな女性を好むかじっくりと観察し、それに応えることにしたのだ。
オルヴェリンの相談所。宗十郎たちは早速ボスゴブリンの生首を引き渡し、ゴブリンの巣を潰したことを報告した。
「え……は、早いですね!あぁ……異郷者の方ですか道理で……どうぞこちらが報酬です。」
金貨のようなものを受け取る。それを宗十郎は三等分した。
「ちょ、ちょっと私はともかくゴ……リンデにまで与えるのはどうして?」
「寝食ともにするとはいえ自由に使える金は必要であろう?」
───寝食?その言葉にカーチェは唖然とした。
「ま、まさかお前……そ、そいつとあの家に住むというのか。」
「そうだが、何か問題でもあるのか。」
「大ありだ!知らんぞ私は襲われても!!」
「その時は斬る故、問題ない。夜襲など拙者のいた世界では日常茶飯事。当然の戦法故にブシドーは対応できるのが自然。」
本当に対応するだろうから、カーチェは何も言えず「ぐぬぬ……」と歯を食いしばる。そしてそれが一番問題の起きないやり方であることも。メスゴブリンなどという危険極まりない存在を監視する……そう考えれば確かに宗十郎のもとにいるのが一番良いのだ。
だが……だが……。頬を染めながらそれでいて嬉しそうに笑みを浮かべるリンデの姿を見ると論理的には理解できても感情的には納得できない。
「あ、宗十郎様、忘れていました。今回の依頼達成の追加報酬です。依頼主から渡すように言われていまして……。」
相談所窓口の女性が紙切れを三人分持ってきてそれぞれに手渡した。紙切れにはコンサートチケットとある。ゴブリンの巣が原因で人の往来が難しかったが為に、コンサートの開催が困難だったのだ。
「コンサート……?なんだこれはカーチェ。」
「これは……今、流行りのアイドル、ゆうゆうのライブチケットね。コンサートっていうのは……歌って踊ってる姿をみんなで見る行事……といえば伝わるか?」
「ほう!舞踊か!いや結構、拙者の世界でもかようなものはあったものだ。ブシドーは必ずしも嗜むものではないが、多くのものが好んでいた。戰場では舞を踊り部隊を鼓舞したり、酒宴の席で出し物としてよく見たものよ!なるほど、拙者恥ずかしながらそういうのには疎い。父からも主君からも堅物故、少しはこのような娯楽を勉強せよと言われたものだ。」
ブシドーと舞踊は切って離せない関係というほどでもないが、それなりに密接に関わっている!トクガワがかつて仕えていたと言われるノブナガ大将軍は特にこの舞踊に目がなく自ら部下たちに舞を披露したという話もあるのだ!
血と汗にまみれたように見えるブシドーの世界だが、こうして雅さを尊う心もあるのだ!これを彼らは膳の心という!
「いや……多分、宗十郎の思ってるのと違う……。」
「何を言うかカーチェ。それを言えばそもそもこの世界全てが拙者の生きてきたものと違う。今更舞踊の差など些事よ。折角頂いたのだ。是非ともこのゆうゆうとやらの舞踊を楽しもうではないか。」
宗十郎は心躍らせた。おそらくはこのゆうゆうと云うもの。聞くには多くのものを魅了している達人舞踊者。巧みな技で人を惹き付けるというのはマスターブシドーに通じるものがある。そう、分野こそしは違えど達人と呼ばれるもののタクティクスはブシドーにもまた強い影響を与えるかもしれないのだ。
本来、宗十郎は万のブシドーキバソルジャーを倒すことができれば、主君である殿を敗走させることなどなかった。この事態は自分の不徳が招いたものでもあるのだ!次、殿と再会したときは、もう二度とあのような不覚はとらぬと、磨き抜かれたブシドーを見せる必要があると感じていた!そのきっかけになるやもしけぬと……ブシドーセンスが確信めいた虫の報せを宗十郎に囁いているのだ!





