i.目を覚ました少女
「誰!? なっ、どこここ!? は!!?? 何この声!!??」
甲高い割れた声が喉の辺りから響き渡った。口を押さえながら立ち上がると、椅子に足をひっかけて後ろにひっくり返る。長い腕が棚に乗っていた鏡を落とし、バウンドして頭に当たった。ーー痛くない。ガシャンと倒れてきた鏡には、金属質な顔面に透明な宝石が二つ輝くだけの、不気味な何かが写っていた。
「何? これ、え、私ーー?」
透明な髪の毛が視界に雪崩れてくると、鏡の中のそれの前髪も同じように動いた。指で触れる。鏡の温度が分からない。硬い指先がカツリと鳴る。
「何これーー?」
「お前、『誰』だ?」
ひたり、と首を掴まれた。
「っ!?」
腕を振ると、硬い指先が女の腕の中央を割いた。パッと血が宙を舞うけれども、女は首から腕を離さない。ぎちと鳴るほど掴まれているのに、喉は息苦しさも痛みも感じない。床に頭を押し付けられる。恐ろしいと思うのにはやる心臓の音もなく汗も全く出てこない。
「誰!? 誰!? 殺さないで……」
「『殺さないで?』ーーお前、もしかして人間か?」
「にん、げん? ーーそうだよ、そう、なんで私はドールなの!?」
腕を握りしめて叫ぶと、女は訝しげに歪めていた眉を緩めた。面倒臭そうに眉を寄せ舌打ちを打つ。つきとばすように首をつかんでいた手を離すと、
「ーーお前、ドーリストか」
「ドーリスト……?」
顔のないドールは、それでも怯えたように首を傾げた。幼げな仕草に尚更面倒だという気持ちが込み上がってくる。文月は後頭部をガリガリとかくと、ほとんど睨むようにドールを見た。
「ジュエリードールに自分の意識を入れた奴だよ。知らない? そんなに幼いのか? いくつだ? お前」
「12ーーじゃない! ジュエリードールに意識を入れる? 何言ってんだ? あれはただの愛玩人形だろ!?」
「はあ? 脳のデータを行き来させる技術が確立されて30年だぞ? ……30年?」
どこかで聞いた数字だ。
「おい、今何年だ?」
「は?」
「いいから」
「い、今はーー」
ドールが声を震わせながら答える。文月は沈黙した。ドールが肩を竦めて、すっかり怯えた様子で文月を見た。
「あ、あの?」
「30年後だ」
「は?」
「お前が覚えてる時から、今は、30年後だ。……あんた、ずっと眠ってたんだよ、30年」
人間だったのなら、顔が白くなっただろうな、と思った。
「どっ、どういうーーは? う、嘘だ」
「新聞でもみるか?」
文月は携帯を取り出すと、昔から続いている新聞社の今日の新聞を見せた。ドールが文月の腕に飛びつく。
「この新聞社知ってる……本当だ、30年後だ。は? どうして?」
「知らないよ。お前、最後の記憶は?」
「びょ、病院……私、体が悪いんだ。それで、おじいちゃんがいい先生を探してくれたって……それで、手術を受けることになって……」
「ああ、じゃあ十中八九、それがドール化の手術だったんだろう。……30年前によくやったなあ。はは、完全に犯罪だ」
「笑い事じゃない!! ど、どうしよう……おじいちゃん……」
「30年前におじいちゃんだったなら、もう死んでるんじゃない?」
ドールが文月を睨んだ。文月はつまらなそうな顔のまま、
「まあ、いいや。あ、そういや確認だけど、お前この女の子だよね?」
写真を見せると、ドールがそれを奪い取った。泣きそうな声で「そうだよ!」と叫ぶ。
「おじいちゃん……」
「ああ、分かった。それじゃ、行くぞ」
「は? ーーちょ、何!? やめて! どこ連れてくんだよ!」
「どこって決まってるだろ」
文月はドールの腕を引っ張って部屋から連れ出した。
「協会と警察よ」
モンスターハンター協会のロビーは、夜だからか閑散としていた。文月はドールを連れたまま真っ直ぐに受付へ向かうと、アルカイックスマイルを浮かべる純正ジュエリードールに話しかけた。
「失礼、モンスターハンターだ。受けた依頼の件なんだけど」
「依頼番号をどうぞ」
「3012072180」
「依頼を特定いたしました。お疲れ様です、文月様。ご用件をどうぞ」
「依頼の場所で住人を保護した。この写真の子なんだけど」
文月がそう言って写真を見せると、パライパトルマリン(ネオンブルー色)の純正ドールは静かに写真を見つめスキャンした。パソコンに目を落とし、しばらく沈黙した後、
「そちらの住人は死亡しております」
「ーーは?」
ドールが呟き、文月は眉を上げた。
「あー、悪いけど、もう一度言ってくれる?オジョーサン」
文月が受付の机に片腕を置いて首を傾げると、彼女は微笑みの形に目を細めたまま小さな口を開け、一言一句違わずに、言われた通り繰り返した。
「そちらの住人は死亡しております。男性が双葉慶三、女性が双葉朱海。2人とも、30年前に死亡が確認されております」
「……死亡? ジュエリードール化じゃなくて?」
「はい」
「この写真のお嬢さんが?」
「はい」
「死因を聞いてもいい?」
「慶三は事故死。朱海は手術後の経過が悪く衰弱死です」
「何の手術?」
「ジュエリードールに一度入れた脳のデータを肉体に移動する手術です」
「え、手術って失敗した?」
「いいえ。成功しました。朱海は記憶も感情も正常な状態で人間の体に戻りました。その後、死亡が確認されました」
「だよね。じゃないと死亡届は提出できないもんね……死亡届って閲覧できないよね?」
「利害関係者でしたらコピーの請求ができます」
「わっ、私が」
ドールの口を無理やりおさえる。
「あ、違いまーす……ジュエリードールの体はどうなったの?」
「処分されました」
「……ふーん?」
文月は机から体を離すと、うんと頷いた。
「なるほど。ありがとう、ネオンブルーのオジョーサン。住人を保護したってのは勘違いだったみたい。あの屋敷には誰もいなかったよ」
「かしこまりました。またのお越しをお待ちしております。」
「はいはい、またね」
バタバタと暴れるドールを英雄の遺産を使ってどうにか抑え込み、手を振って協会を後にする。自動ドアを出たところでドールが文月を突き飛ばした。
「死んだって!! 私が!? なんで!?」
「知らねえよ、騒ぐな」
「煩い! ーー何かの間違いなんだ。もう一回ーー」
戻ろうとするドールの腕を文月がつかんだ。焦げ茶色の瞳が長いまつ毛の下で真っ黒に見える。
「やめろ。死亡届が合ってるなら、お前はもういないんだよ。騒ぎを大きくするな」
「私はまだここにいる!!」
「いいや。お前は双葉朱海じゃない。双葉朱海はちゃんと目覚めて、死んだんだ。その事実がある以上、お前の存在は許されないよ。じゃないと、ジュエリードール社会が崩壊する。お前が騒いでも絶対に大事にはならないし、むしろ殺されるだけだって」
「……なんだよ、それ……」
「色々あったんだよ、人間がジュエリードールに入れる社会になるまでね」
「ーーそもそも、そう、そもそも何で私は目が覚めたんだ?あんたがなんかしたんだろ!」
「まあ? したっちゃしたかもね。宝石を付け足したし……まあ、何でもいいじゃん? 目が覚めたんだから」
「よくない!! 私、私は……」
ドールが両手を握って俯いた。小さな子供が泣くような声で、
「家に帰りたい……」
「……いいよ、帰ろうか」
「……?」
「こいよ」
腕を掴むと、ドールは大人しくついてきた。文月しか頼る人がいなかったから。