d.ハーフ・ドーリスト箕作照
東京貴石研究所はモンスターハンター協会の敷地の中に位置している。広い廊下を行き来するのはほとんどが研究者かモンスターハンターだ。さて、それじゃあ協会に行こうかしらと二つのビルを繋ぐ渡り廊下へ足を進めると、向かいから見知った人物がやってきた。
「あ」
「あっ」
黒に近い焦げ茶色の髪の毛に同じ色の瞳。文月より10センチは低いだろう小さな体を車椅子にちょこんと置いた生身の女が、きゅっと眉を吊り上げて、文月をギロリと睨みつけた。
「文月往人!! お前、何度言われたら分かるんだ! 英雄の遺産はファッションじゃない! 手袋やブーツはいいとして、依頼外で大剣を持ち歩くのはやめろってば!」
箕作だ。ジュエリードールの体ではなく、生身の方である。彼女はハーフ・ドーリストと呼ばれる「ジュエリードールの体と生身の体を行き来する人間」なのだ。
水色の病院服に身を包んでせかせかと車椅子のタイヤを回して近づいてくるのを見て、文月は早足で彼女に近づいた。
「よう、箕作のねーさん。記憶はちゃんと引き継がれました?」
「ああ今回も問題ないーーって、だから俺はねーさんじゃねえ! 歳下だって言ってるだろ!」
「でもハンターとしてはあんたが先輩じゃないか。じゃあ旦那とでもお呼びしましょうか?」
「俺は男じゃねえ!」
「ジェンダー感覚古いなぁ」
文月が呆れたように戯けてのけぞって見せると、通りすがりの研究員がくすくすと笑いながら会釈してきた。生身でトップモンスターハンターをしている文月は、東京では有名人だ。強くて無表情で近寄りがたい彼女の面倒を見てやっている箕作も同じように。軽く手を振って答える文月に対して、箕作は顔を赤くして顎を引いた。唇をすぼめてぼそぼそとささやく。
「もう……いや、この際呼び方はどうでもいい。お前、そう何度も危ないことしてると、ハンター資格取り上げられるぞ?」
「はいはい、分かってますよ。だから敷地内からは出てないでしょう?それに、肝臓の鑑別が終わったら、ちゃーんと英雄の遺産は戻しに行く予定でしたよ」
「それだけじゃない。今日の……」
「ああ」
文月は箕作の咎めるような視線を受けて、スンと表情を静かにした。
「あれなら謝ったりしませんよ?だって、あたしが強いのは事実だ。あいつも、肝臓取られたくないなら東京から出てけばいいだけの話。そうでしょう?ま、出てったとしてもあの及び腰っぷりじゃあ、高い順位は無理そうだけど」
「お前なあ……一回ぐらい譲ってやったらどうだ? どうせ宝石にもせずに、全部研究所に寄付してるんだろ?」
「寄付じゃないよ、ちゃんと売ってる。買い叩かれてるけど……それに、あの大きさじゃあ心臓にはどうせできない」
「それでも補うことは出来る。あいつは……ジュエリードールに入ることを決めた奴らは、本当に宝石が必要なんだ。新しい心臓が。それがないと死んでしまうんだよ。少しずつ。それは本当に怖いことなんだ」
「ふーん。……ねーさんも怖い?」
「……ああ、怖いよ。だんだん体が動かなくなって、頭が回らなくなって、記憶が薄れていくんだ。怖いさ。だから、俺からも頼むよ、文月」
「嫌」
「……理由を聞いても?」
文月は、眉を下げる箕作を無表情で見下ろした。
「科学の発展に貢献したいから。それだけ。せっかく研究者と縁があるんだから、使わないと損でしょう? 昔はジュエリードールと言えば笑ってるだけの愛玩人形だったんだ。それが人間のデータを入れられるようになって、今じゃ人間の大半がジュエリードールだ。昔じゃ考えられないことだろ?全部科学が発展したおかげじゃねーか。あんただってその恩恵を受けてるだろう?」
「……」
箕作は、自分の動かない脚を見下ろした。ジュエリードールの体とは違って、不自由な体を。未だ歩けない体を。数秒居心地の悪い沈黙が流れると、文月がふいっと顔を逸らす。
「ま、っつーわけで、あたしは自分のために、トップを譲るつもりはありません。でも、研究所から誰かが宝石を買うことも止めませんよ。いつも通りなら、研究が終わって宝石工場に送られるまで大体1週間ぐらいだと思うんで、それより先に研究所に交渉に行けば肝臓の状態でなら手に入るんじゃないんですかぁー?」
「! そうか! 伝えとく!」
「はいはい……ほんっと面倒見いいわな、ねーさんは」
「だから俺は……ああもう。面倒見よくなかったら、お前に構ったりなんかしないだろ?」
「わあ~、面倒見よくてよかったな~」
「おい!」
箕作が笑いながら拳を振り上げて殴るまねをすると、文月は甲高い悲鳴を上げて車椅子の後ろに逃げ込んだ。そのままハンドルを握って、ぐるんとUターンして歩き出す。
「っ、おい?」
「病室に戻りましょーや、せーんぱい。廊下とはいえ、研究所は冷房がキツイでしょう?女性が体を冷やすもんじゃないですよ」
「……お前、そういうところもっと他人に見せてけば、俺が仲介に入る必要なんてないんだぞ?」
「はっはっは!ねーさんは特別ですよ」
「お前なあ……」
ピリリリリ!!
「「!」」
文月の右耳につけたイヤーカフが振動した。文月が歩みを止め、箕作が振り返る。協会からだ。一拍置いて平坦なオペレーターの声がする。
『文月往人に指令。民家で飼いモンスターが暴れているとの通報有り。直ちに現場へ直行し鎮圧せよ。繰り返す、文月往人に指令ーー』
「何だって?」
「指令だって。じゃ、またな、箕作のねーさん。ちゃっちゃと片付けてきますよ」
文月は優しく車椅子の腕置きを叩くと、腰にひっかけた大剣を手に持った。モンスターの骨で出来た大剣はおもちゃのように軽く、走るのに全く不便にならない。箕作を振り返ることなく廊下を走って去っていく後ろ姿に、箕作は手でメガホンを作って叫んだ。
「廊下は走るなー!!! ……あいつ、いつまであの宝石持ってるんだろうな」
文月の左耳でチャリチャリと揺れる、トウキョウ・ロック・クリスタルの欠片は今日も美しかった。