e.再会とこれから
その病院は東京貴石研究所とモンスターハンター協会と渡り廊下でつながって、ちょうど三角形の左の頂点のような位置に建っている。だからか、敷地の一部は午前中は日当たりが悪い。そんなちょっと暗い病室の前に、一人のドールが立っていた。
「……」
「そろそろ入ってくれば?」
ベッドに横たわった文月が声をかけると、見舞客は驚いたようだった。しばらく逡巡するような間が空いた後、恐る恐る扉が開けられる。
その罰の悪そうな顔を見て、文月は失笑した。
「なんて顔してんの。こっち来いよ」
「……」
ドールは扉を閉めると、小さい歩幅でベッドに近寄った。出来るだけ近づくのを遅くしたいという気持ちの現れだった。それを知ってか知らずか、彼女がベッドの傍までくると、文月は体を起こし無事な右手を上げて、彼女の前髪をかきあげた。
「何泣きそうな顔してんの、ハーク」
「……何で私を選んだのさ、文月」
「あたしのこと覚えてるみたいでよかったよ」
文月が選んだのはハークだった。屋敷から拾ってきたまんまの少女の顔と、少女の体で、ハークは文月の前に立っていた。文月は半袖から露出したハークの腕を見て、「皮膚は全部綺麗につながったみたいね」と安堵のため息をついた。
「研究者さんが手配してくれた。女の子だし、綺麗でいたいでしょ? って……そんなこと、どうでもいいよ! 話聞いたよ! 文月、ロックはーーロックの体はーー」
「ああ、うん。それ」
文月はハークを指差した。ハークの体を。それを構成する部品の一つひとつにまでバラバラになったロックを。
ハークは拳を握りしめると、震える子供じみた声で叫んだ。
「私、言ったよね! ロックと会ってって! なんでーーなんで私を選んじゃったの?! もうロックの記録は本当に少なくなっちゃって、感情値もすっごくかすかになっちゃって、私の夢にも出てくるかどうか分からないって研究者さんがーー文月は、ロックのこと好きだったんでしょう? なんで……私は死んでよかったのに」
歯を噛み締めて俯くハークを見て、文月は後頭部を掻いた。
「正直、なんでお前を選んだのかは分かんないよ。ロックが生きててくれたら、って思ったことがないなんて嘘はつけないし……でもさ、よくよく考えてみたら、あんたの方が泣き虫だな、って思ったんだよ」
「へ?」ハークが惚けた顔で文月を見上げる。
「確かに、お前の言う通りさ。あたしはロックが好きだった。親よりも、人生で出会った誰よりも一番好きだった。ロボットとか、人間とか、そういうの無しでさ。でも、ロックはあたしのおねーさんでもあるんだよ。ずっと面倒見てもらってきた。だから、ロックはあたしの前で泣いたりしないだろうな、何しても許してくれるだろうな、って思ったんだ。だから、あんたとまた会うことにした。それにーー」
に、と片方の口角を上げると、文月はハークの頬を引っ張った。
「目の前で誰かを亡くすのはもうこりごりなんだよ。理由といえば、そんな感じ。以上」
ぱ、と片手を上げる。ハークはまだ何か言おうとしていたが、思いとどまったようで、眉を下げて俯いた。
「おい。せっかく顔が戻ったんだ、上向けよ。っていうかちっさいな少女型」
「身長のことは言わないでよ! っていうか、上向けって言われても、その……」
「何?」
「研究者さんが、私の顔はドールにしては庶民的だって……」
「かーっ! お前、これからはドーリストとして生きていくんだからどうでもいいだろ」
文月がため息をつくと、ハークは目を見開いた。
「えっ、ドーリスト……? だって、私、正式には死んでるよね? ドーリスト社会でクローンが発生した事例なんて、世に出る前に消されるみたいなこと言ってなかった……?」
「…………」
「文月?」
「テレビで言った」
「え?」
「あんたを治してもらってるところに記者ーー前に会ったでしょ?あの女がいてさ。一か八かだったけど、喋った。あんたを直した騒ぎがでかすぎてどうせ世間に根掘り葉掘りされると思ったから、先んじてね。あいつああ見えて悪い奴じゃないのかもね。気に食いはしないけど……」
「えっ、それって、大丈夫なの?」
「しーらね。世間はドール事業の新たな危険点、とか騒いでる。でも、概ねあんたには好意的ーーっつーか、同情的だよ。ハークは完全に被害者だもんな。人権や戸籍を与える方針で考えてるって聞いた。もしかしたらあんたの親族とか出てくるかもね」
「えっ、その、文月はどうなるの?」
文月はきゅる、と目玉を回してそっぽをむいた。
「さーあ? あたしは今回のことで窃盗罪つくだろうし、とりあえずは書類送検されてる。くわしいことはまた警察か検察か弁護士が話しに来るでしょ」
「そんなぁ」
へにゃ、と八の字になったハークの眉毛を見て、文月は笑ってハークの眉間をつついた。
「でもま、これであんたはようやく自由の身ってわけだ」
「えっ?」
「お前は今や、国民が同情する悲劇のヒロインだ。人間として生きるようになるんだし、もっとたくさんの人が支援してくれるようになる。どこにでも行けるし、なんでもできる。あたしとのバディももう解消されちゃってるし、本当にしがらみなんて一つもない。だから、どこにでも行っていいんだぞ、ハーク。もちろん、困ったら箕作も研究者も力になってくれるだろうよ」
ハークは両手の拳をそっと握った。
「あ、文月は? 文月はーー助けてくれないの?」
「あん? そりゃ、言われれば助けるけど……でもあんた、あたしだぞ? この肩後ろからハンターに撃たれた奴だし、窃盗犯だし、お前のこと殺そうとしたし、いい奴とは思えないけど?」
「いいのそれでも、文月といたい。一緒に、いたいーーだめ?」
布団のぽんと放り投げられた文月の右手を、ハークは大事に両手で包んだ。ハークとは違って温かい。温度を感じる機能がなくてもそう感じられた。
「そりゃあダメじゃないけどーー変わった奴」
「うるさいな」
ハークはベッドに座った文月を見下ろして、疲れたように、安心したように微笑んだ。それは泣き顔のように見え、文月は目をぱちくりさせると、片腕でハークを抱き込んだ。
「文月……?」
「別に? なーんでも。……なあ、もうあたしを庇うなよ」
低い声はいつも通りだったが、ハークは両手で文月の背を抱きしめると嘘をついた。
「うん、もう庇ったりしない。もう置いていったりしないよ、文月」
「なら、いい。……おかえり、ハーク」
体を離して、ハークの頬を包む。透明な瞳がきゅうっとまぶたで遮られて細くなり、星々の光が水面で弾けるように優しく光った。
「うん。ただいま、文月。これからまた、よろしくね」