b.光明?
ハークは文月を待っている間、モンスターハンター教会に備え付けられた銭湯のロビーのソファーに座っていた。実際は眠っていたのだが、顔が無いため誰にも気づかれることはなかった。
あれから何度となくロックと夢で会った。ロックはいつも壊れゆく街の中にいて、柔らかな微笑みを浮かべてロックを迎えてくれた。話す内容は、文月のことばかりだった。
「文月はロックのことが好きだったんだね」
「そうなんだ」
「そうだよ。特別、好きだったんだよ。だから、ずっと忘れられないんだよ」
ロックは風に靡くポニーテールを自由に揺れるままにしながら、興味深そうに顎を引いた。
「それはきっと、嬉しいと言うべきなんだろうね」
「ドールってやっぱり、心がないの?」
「分からない。心というものが何か、私は理解していないから」
「私にもちゃんとは分からないけど……」
ロックの微笑みが崩れることはなく、表情から感情を察することは出来なかった。もしくは、本当に心がないのかもしれない。心のあるドールなんて、30年前から続く都市伝説というか、人間の夢物語だということは、ハークも知っていた。
だったら、文月は心がない物に10年も心を奪われていることになる。それはとても悲しいような気がした。
「ねえ、私たちって合体することはできないのかな」
「合体?」
「そう! だって同じ体に入ってるんだもん、私がロックになれたら、文月は喜ぶんじゃないかな。というか、ロックと入れ替われたら一番いいんだけど……」
「ハークと入れ替わることは不可能だ。何故なら、私にはドールが起動するために必要な情報のほとんどが残っていないから。こうして記憶だけを君に見せているのも、何かの不具合のようなものだよ」
「そこは奇跡とか言って欲しいかな……」
「じゃあ、奇跡だね」
ロックは表情を変えずに言った。ハークはなんだか不気味に思えてきて、「じゃあ、」とわざと明るい声を出した。
「ロックは、どうしたら自分が表に出られると思う?」
「そうだなあ」
ロックは初めて目をより細くして笑みを深めると、じいっとハークを見つめて言った。ハークはその透明な視線の奥に、緑や紫に光るカメラの存在を感じて小さく仰け反った。
「私の記憶情報だけを君の記憶情報に上書きしたら、可能かな? 君は消えてしまうけど」
鈴のような美しい機械音声が、呪いをかけるように囁いた。
「おい馬鹿。協会で寝る奴があるか」
こつん、と頭をこづかれる。衝撃でハークは意識を浮上させ、立ち上がりかけたのを慌てて座り直したように誤魔化した。運良く周りには他に人はいない。誰だ、と顔を上げると、文月が目の前にいた。文月が、写真でも見たことのないような穏やかで静かな目をして、拳を下ろしたところだった。
ハークはドールの動作が板についてきていて、今では2人きりの時以外ではまるで純正ドールのように振る舞うことが出来るようになっていた。今回も、無い心臓がドキドキしているような感覚を上手く黙らせることが出来た。文月は何も気付いていない。
「風呂上がりました~。待たせて悪かったね。もしかしてスリープしてた?」
ハークは慎重に首を横に振った。「そう」と文月は応えると、乾かした髪をざっと払った。
「じゃ、箕作のとこ行きますか。今日も授業の日だったよね?朝っぱらから召集があるなんてほんっとついてねー……」
ぶつくさ呟く文月の隣を、無言で顔のないドールが歩く。協会内で最近よく見かける光景だった。ドールに話しかける持ち主はたくさんいる。文月もようやくその一人になったのか、と思われるのと同時に、あまりにも人間に話しかけるように話しかけるものだから、ドールに狂ってしまったのではないか、というささやきもあった。
「ま、実際文月は柔らかくなったと思うよ」
病室のベッドに座りながら箕作は言った。ハークが顔を上げて首を傾げるのに、うんと一つ頷いて見せる。文月はハークを送り届けると、また別な仕事があるといって協会に戻って行った。
「ポイント数1位に拘らなくなったし、通りすがりに挨拶するようになったし、何より表情が出てきた。ハークのおかげだな」
ハークは(そうだろうか)と思って俯いた。ハークから見ても、文月は少しだけ柔らかくなったように見えた。けれどもそれは、ハークが純正ドールを真似ている時のような気がした。家に帰ればいつも通り、面倒臭そうなぽやんとした無表情に戻る。ハークをからかったりする時もあるが……穏やかな顔はしない。安心した様な、安らいでいるような。文月は表情と言葉のないハークにロックを見ているのだ。そう思うと、自分が嫌になる気がした。
ロックの記憶情報を私の記憶情報に上書きする。そんなことが、本当に……?
「どうした? ハーク」
「……なんでもありません」
俯いて首を振るハークに、箕作は心配そうな視線を向けたが、続けて問いかけるようなことはしなかった。この繊細なタイムトラベラーと文月の関係は複雑で、外から軽率に口を出せる様には思えなかった。
二人がなんとなくきまずい思いをして視線を逸らしている時だった。コンコンコン、と、病室の扉をノックする者がいた。箕作はほっとして「どうぞ」と声をかけた。
「失礼しますぅ」
扉を開けて入ってきたのは、丸メガネの男の研究員だった。