a.輝かしい出会いと傷だらけの別れ
バ、バ、バ、バ、バ、と音に合わせて、ヘリコプターの大きな影がゆらりと動いた。風に吹かれて文月の長い髪がたなびく。ハークの髪は高いところでバレッタで留められているからか、毛先だけがひらひらと揺れた。2人が隣り合って立っていると、まるで映画のワンシーンのように絵になった。
「よし、討伐完了。ハーク、戻るよ」
文月は大剣をくるりと担ぐと、ドール用に協会から貸し出されている盾を持ったハークを見た。ハークは肯くことなく「はい」と平坦な声で返事をすると、協会へ向かう文月に続いて歩き出した。
誰かが手首についたカウンターを見て叫んだ。
「うわっ!? 1位だ! 私が1位!?」
周りにいるハンター達の半分は驚いてそのドーリストを見、他の半分は、さっさと現場を後にした文月を見た。
「まただ。文月のやつ、やっぱりあのドールに入れる宝石を選んでたのか」
文月がモンスター討伐の任でポイント数1位を取らなくなって、1週間が経っていた。
ざば、と熱いお湯がはられた湯船に体を沈めて、文月は深いため息をついた。協会内にある、職員用の銭湯に入っているのだ。ハークが来てからは仕事帰りに銭湯に入るのをやめていたのだが、最近ではハークのドールのフリが板についてきていて、文月もまた銭湯に入られるようになっていた。
「は~~~」
しっかりした肩を湯船の囲いに乗っけてぐったりともたれる。身体中についた傷痕が温まって赤く浮かび上がるが、それもどこか薄くなっているように見えた。美容にあまり気を使わない文月に、ハークがくち酸っぱく保湿クリームを塗る様に言い聞かせた結果である。どうも箕作から知識を得たらしい。最近は歴史の授業も終わったらしく、病院での授業の時間はほとんど世間話の時間になっているようだった。
文月とハークのバディ生活は、順調と言ってよかった。ハークは常識的で、よく言うことをきいて、勤勉だった。ハンターの不規則な生活にもドールだからかよくついてきているし、最初の時のように、一人で眠れないというような体の不調もないようだった。このままずっと生活が続いても構わないんじゃないか、文月はそう思い始めていた。
それはハークがロックの体だからか?ロックの宝石が入っているから?
湯煙にぼやけた白い壁を睨みつけ、ため息をついてまぶたを閉じる。ハークがいつか言っていた、「ロックが夢に出てきた」という言葉を、文月は忘れられないでいた。
彼女は最初、段ボールに入っていた。
「誕生日ぷれぜんと?」
「そう。ジュエリードール。そろそろ買ってあげてもいいかな、って思って」
「色は透明なんだけど、綺麗だぞ」
「……そう。ありがと」
文月は持っていたクマのぬいぐるみを赤いカーペットが敷かれた床に丁寧に置くと、段ボールの口を閉じているテープを爪で剥がした。その表情は薄い。自分が大きくなって一人で遊べるようになってきたから、お目付役で用意されたことは分かりきっていた。それも、透明なドール!この家が決して裕福ではないことは分かっていたので、ダイヤモンドではないだろう。となると一番安価なクリスタルに決まっている。トウキョウシリーズも普通の宝石と同じ様に、カラージュエリーの方が美しいし、人気がある。どうせなら好きな赤色ーールビーやガーネットがよかった。透明な髪の毛や目なんて気持ち悪いーーバリバリとテープを剥がしきる。
(喜んであげないとーーめんどくさいな)
内心ため息をつく。けれども、その気持ちは段ボールの蓋を開けた瞬間に吹き飛んだ。
真っ白な梱包材に寝かされ両手を組んだそのドールは、夢物語に出てくるようなお姫様のように微笑んでいた。
腰まである透明な髪の毛は真っ直ぐで、梱包材の白や壁の茶色、ベッドの赤を反射させてキラキラと輝いていた。ダイヤモンドのように発光するような輝きではないが、雪のように静かな美しさがある。
身長は文月よりずっと大きいようだった。成人女性型、というのだろうか。細い両腕についた両手は華奢で品があり、作り物なのに柔らかく見えた。文月の傷だらけな少年じみた手と同じ器官には見えない。
運ばれている最中に埋もれてしまったのか、長い髪に包まれた顔を見た。そっと傍に膝立ちになり、髪の毛に指先をさしこむ。そうっと両耳の方へ髪をずらすと、整った鼻先と秀でた白い額、目を閉じて下向きになった長いまつ毛、柔らかな頬、桜色の小さな唇が現れた。
「あ、びっくりした? 綺麗よね、ほんと。人形って感じの顔で」
「大人になった往人の顔をイメージして、ちょっと似せてもらったんだけど、さすがドールだよな。それでも綺麗なんだから」
「それ、往人のことブサイクって言ってる?」
「まさか! やだなあ」
「あははは」
両親の話し声なんて聞こえない。何も言えずにじっとドールを見つめていると、母親が「はい」と赤いイヤーカフを握らせてきた。
「これが、このドールがあなたの物っていう証明の機械よ。自分でつけたいでしょう?」
「……うん。ありがとう」
文月はイヤーカフを受け取ると、寝そべった彼女の右耳にイヤーカフをつけた。パチン、という音がして、彼女の耳にイヤーカフがはまる。
「あ、起きた!」
父親が子供のような声を出した。彼女が目を覚ます瞬間を、文月は瞬きもせずに見つめていた。
白いまつ毛がゆっくりと上がり、カメラのレンズのような、紫や緑の輪が輝く透明な瞳が文月を見た。彼女は微笑んだまま文月を見ると、
「ロック・クリスタルです。初めまして」
と挨拶した。
それから。
18歳の、すっかり大きくなった文月が、ロックと二人で買い物に出かけていたあの日、突然サイレンが鳴り響いた。
音もなく現れたモンスター。振り向きざまに振られた長い尻尾。ぐいと引かれた腕。パァン、と弾け飛んだロックの頭ーー。
ロックは壊れてしまったのだ。あの眼差し、あの手の優しさ、たおやかな物腰、感情があるかのような柔らかい微笑み、その全てが、あの18の時に失われてしまった。あたしがぼうっとしていたから。あたしがモンスターに気がつかなかったから。もう二度と戻ってくるわけがない。だって機械なのだから。壊れたらそれまでだ。
『文月のこと、優しい子だって言ってた』
「……そんなこと、言うもんか」
ドールには心がない。記者は文月には心のあるドールを生み出す才能がある、なんて言っていたが、そんなわけないんだ。ロックの最期の行動だってーー分からない。確かめる前にロックは死んでしまった。
「……」
ハークが、あれから二度とその話題を出さないでくれることがありがたかった。文月にはまだ、10年前の出来事が消化出来ないでいる。