b.ちゃんとした役割
「でも本当に言ってたのに……」
「なんだ? 何か言ったか?ハーク」
箕作は教科書代わりにしていた大きな携帯端末から目を上げて、ハークを見た。病院のベッドの脇の椅子に座ったハークは、初日に教わった綺麗な姿勢のまま、ノートにペンで歪な線を描いていることに気づくと慌てて謝罪した。
「いや、いい。休憩にしよう。もう2時間もやってる。大学でもとっくに休憩を入れてる頃だ。俺が気づかず悪かった。……それで、何を言ってたんだ?」
「えっ?」
この人に話しても大丈夫だろうか?ハークは一瞬悩んで、いいだろうと判断した。文月とロックのことを教えてくれたのは箕作だ。ハーフ・ドーリストでもあるわけだし、夢についても詳しい話が得られるかもしれない……
「実は、昨日夢を見たんです。そこにはこの体の元の持ち主のーーロック、が出てきて。自分の記録は身体中にあって、今までずっと眠っていた、って言っていたんです」
「それはーーただの夢、じゃないか? ドーリストは夢を見るから」
「文月もそう言ってました。でも、私はロックの顔も知らないのに、その夢でははっきりとロックの顔を見ました。文月にちょっと似てる、純正ドールらしい柔らかな顔のドールですよね?」
「……ああ、そうだ。本当に?」
「はい。ロックは夢で言いました。文月は優しい子なんだ、って。文月が今も覚えていてくれて嬉しい、って。文月はーードールは心を持たないって言ってたけど、でも、ロックは本当に言ったんです。ここは、……そりゃあ、私の夢かもしれないけれど」
「でも、お前はそうは思いたくないわけだ」
「はい……だって、文月も、ロックに心があると思っているんでしょう? ロックが壊れて凄く凄くびっくりしていました。いつもぼんやりしている文月が、あんな顔ーーねえ、箕作さん。文月はずっと、ロックに会いたくてハンターをしているんですよね?なのに、なんで私の夢を否定するんでしょう」
「……さあ。俺には分からないなあ」
箕作は困った顔でハークを見た。ハークは桃色のシャツのフリルに顎を埋めるようにして俯いた。ため息をつこうにも息が出ない。この体は不便なことばかりだ。
(でも、また今日眠ればロックに会えるかもしれない。そうしたら、もっと話をしよう。二人とも、会いたがってるはずなんだから)
「……今日の授業は終わりにするか」
箕作が携帯端末に開いていた教科書のページを閉じた時だった。振動と共に画面に手紙のアイコンが現れた。
「メールか。ーー文月からだ」
驚き指で画面に触れる。ぱらりと開かれたメールには、『ハークに協会のロビーに来るように言って』と書かれていた。
モンスターハンター協会の受付は、箕作の入院している病院から渡り廊下を通って移動した後、二つ階を下がったところにあった。ハークが一人で歩いていると、物珍しそうに人間やドーリスト達がハークの透明な髪の毛をじろじろと眺めた。
早足にならないように気をつけて不愉快な視線をやり過ごしていると、受付が見えてきた。黒い戦闘服を腰に巻いてTシャツ姿になった文月と、見覚えのない中年男性がいた。文月がハークに気がついて手を上げる。
「ああ、こっち」
右手に丸めた雑誌を持っている。無言で(ドールというものは基本的に自分からは喋らない。美しく微笑んでいるだけだ)側に寄ると、文月は雑誌をハークに押し付け、ぐいとハークの肩を掴んだ。中年男性にハークの体を向けさせて、
「係長、これがあたしのジュエリードールです。入ってるのはトウキョウ・ハーキマー・ダイヤモンド。名前はハーク」
「トウキョウシリーズ? 君が?」
「ええ。ちょっとツテがありまして」
係長と呼ばれた中年男性は顎髭を撫で、興味深そうに文月とハークを見た。文月は素知らぬ顔で係長の目に浮かぶ疑念を流している。ハークは心臓も顔もなくてよかった! と思いながら、膝の上で重ねた両手をガチガチに強張らせていた。
(係長!? 文月の上司!?)
「じゃ、後で正式に登録しますので、今は失礼します」
文月が頭を下げ、強引に会話を断ち切った。「ハーク、行くぞ」と言って片手を掴んで、係長に背を向ける。ハークは何も分からないまま、ギクシャクする脚をどうにか動かして雑踏に紛れていった。
早足で家に帰ると、文月は玄関の扉を閉めると、靴を脱ぐ間も無くハークに押し付けた雑誌を取り上げた。パラパラめくって、一つのページをハークに見せる。
「あの記者、マジで記事書きやがったんだよ」
呆れた顔の下には、小さい記事ながら、赤い文字が目立つように踊っていた。
『武闘会覇者、文月氏の相棒ついに登場!?』
いつ撮られたのか、文月とハークの写真が凄く小さく、けれどはっきり写っている。ハークが記事と文月の顔を交互に見てオロオロしていると、文月は長い髪の毛をかきあげて面倒そうにため息をついた。
「しょーじき、いつかはこうなると思ってた。あんたを家に囲っておくわけにもいかないからね」
「どっ、どういうこと?私、どうにかなっちゃうの!? 何で係長に紹介したの!?」
「それなんだけど、あんたには正式にあたしのバディになってもらうことになった」
きょとん、とハークは首を傾げた。
「バディ、つまり相棒ね。仕事を手伝ってもらうわよ、ってこと。ほとんどのモンスターハンターはバディ制で動いてるのよ。ハンター同士とか、ドールとかとね。あたしは一人がいいから断ってたんだけど、ついにあんたが見つかっちゃったからさ」
「えっ、箕作さんは?」
「あ? あいつはあいつでバディいるぞ?」
「(箕作さんしか文月に合わせられる人いないと思ってたのに……!)じゃあ、文月はひとりぼっちで仕事してたの? 危ない仕事も?」
「まあそうだけど……なんか引っかかる言い方だなあ。別に寂しくなんかないからね」
「わっ、私、仕事したことないんだけど」
「んなもん期待してないわ。あんたはあたしの言う通りに動いてくれればそれでいいの。ドールは機械だから、世間様もあんたがおかしなことしてても見逃してくれるわよ。オッケー?」
「え、あ、う」
ハークが両腕を彷徨わせていると、ピリリリリ、と文月のイヤーカフが振動した。
『近隣のハンターに召集。ポップが検知されました。影の大きさ7号級。武装許可。直ちに現地へ集合せよ。繰り返す、近隣のハンターに召集』
「おっと、仕事だ。よし、行くぞっ」
「えっ、えええ!!?」
ぐいっとハークの手を引いて、文月が家を飛び出していく。ハークはもつれそうになる脚をどうにか動かして、スカートが捲れないように抑えて駆け出した。
「モンスター退治! ドール用の盾持って! 挟み撃ちにするぞ!」
「は、はいぃぃ!」
「汚れた服協会のロッカーに溜めてたから持って帰るの手伝って!」
「!? ふぁい!」
「書類整理! 出し忘れてた書類発掘作業開始!」
「はいい!?」
「モンスター捕獲依頼!麻酔銃貸して!」
「はい!」
「ハーク、お前さ」
「はい!?」
ばたくたと走り回っている時に、文月が振り向かずに言った。
「めちゃくちゃ仕事できるじゃん。助かるよ」
「……! うん!」
ハークは顔があったらにっこりしていただろうと思った。無い心臓が温かい。いや、宝石がだろうか? もっと文月の役に立ちたい! そう思うのは、文月がひとりぼっちなせいだろうか。