a.心
そのドールはどこか文月に似た顔をしていた。やわらかく下がった目尻、完璧な微笑みを浮かべる口元は、純正ドールらしい造りだが。
ロックが首を傾げると、音もなく彼女の透明なポニーテールがゆっくりと揺れた。思わず見惚れてしまう、優雅な仕草だ。同じ体を持っていても、ハークにはできそうもない。
どこかでまたパキン、と音が鳴り、今度は高いビルが斜めに切断され、ゆっくりと草原に落ちていった。
「ロック……あなた、ロック!? え、でも」
「そう、私は壊れたはず。私の体は君が使っているはず。どうしてここにいるんだろう? ーーその前に、君はこう思うべきだよ。ここは一体どこなんだろう、って」
ハークはハッとした。そうだ、ここはどこだろう?辺りを見回す。氷のように砕けつつあるビル群、すっかり砕け散って消えた幼い文月、いや、そもそも人間の自分の体がおかしいんだ。そう、ここはーー
「私の夢?」
「うん、正解。おめでとう」
ロックは両手を上げると、ぱちぱちと丁寧に手を叩いた。
「ちょっとーー待って? 私の夢なら、何であなたが出ているの? 私はロックーーさんの顔は知らない……ああ、なんだ、ただの変な夢か」
「ロックでいいよ。それが、ただの夢じゃないんだよなあ。私は確かにロックだよ。文月に名前をもらった、ロック・クリスタルのジュエリードール。今は君の夢にだけ住んでいる」
ハークが眉を寄せて首を傾げると、「ちょっと分かりずらかったかな」とロックは微笑んだ。まるで人間のような笑い方で。
「君は私の体に入っているでしょう? だから、今、『私の記録』を見ているんだよ」
「……あなたの、記録? でも、その、あなたはーー」
「そう、私は頭部が破壊されたジュエリードール。一般的には記録は失われて復元も出来ない。けれど、私はずっとこの体にいた」
「体に?」
「人間は一説によると、脳だけじゃなくて体にも記憶が残るらしいね。人間ではないけれど、そういった現象が、私にも起こっているらしい。覚えていることは、少ないんだけれど」
「嘘、そんな……?」
「うん、そんなことがあるらしい」
「ロック・クリスタルに記録があるんじゃなくて?」
「ああ、そっちじゃない。宝石は消耗品だからね。エネルギーの塊みたいなものだ。人間と違って、記録は頭と体に宿っている。私はずっとここにいたよ。一度も目覚めたことはなかったけれど。往人を助けた瞬間のまま、ずっとここで眠っていた。君が来るまでは」
ハークは口を大きく開け、ため息をついた。ロックが面白そうに口に指を当てる。
「だから文月は、ずっと透明な宝石を探していたんだ」
「うん?」
「文月は透明な宝石を探しているんです! 私がそうだったんだけど、そうじゃなくて、空っぽな宝石をーーそれはあなたを復活させるためだったんだ! 文月は知ってるんですよ! あなたが体に残ってるって!」
そうだ、そうじゃないと、話がおかしい。ハークは興奮して拳を握った。ロックは優しい眼差しでそれを見つめ、微笑んだまま、
「ああ、そうなのか。それは嬉しい。あの子は私を覚えてくれているんだね」
「当たり前ですよ! だってあなたは、文月の命の恩人でしょ? それに、姉妹みたいだったって聞いてます。文月はーー見た目よりずっと優しいから」
ロックは人間のように嬉しそうに目を細めた。
「うん、そう。優しい子なんだ。君が分かっていてくれて嬉しいよ」
ハークはロックのゆったりとした笑みを見て頬を染めた。やはりドールは美しい。ああ、早く文月にロックさんが生きてるって伝えないと!
「早く目が覚めないかな。文月にあなたのことを伝えたい」
「それじゃあ、起こしてあげよう。体のことは私の方が慣れているからね。ほら、目を閉じてーー」
ロックに言われた通りにする。右手にひんやりと冷たいような、ほんのりと温かいような柔らかい感触があった。手を握られているのだ。うっとりするようなすべすべの指で何度も手を撫でられる。まるであやされているようだ。
この人といるととても落ち着く。文月もこんな気分だったのだろうか?ハークは懐かしい睡魔に穏やかに襲われていくのを自覚した。けれども、逆らおうという気には全くならない。なぜかとても気持ちいい……。
ロックがすぐそこの距離で囁いた。
「水から顔を出すように目を覚ますんだ。行くよ? 3、2、1ーー」
ざぷん。
ふ、と意識が浮き上がると、目の前には壁があった。くしゃくしゃの布団を被って寝転がっている。文月の姿はすでになく、ハークはベッドの真ん中に寝転がっていた。窓からは朝の清潔な光が差し込んでいる。
顔を触る。鼻も口もないのっぺりとした顔面に露出した眼球だけがくっついていた。視界はほぼ180度クリアに見える。昨日と何も変わらない。ロックの体に入っている、ジュエリードールのハークだ。
ベッドから出る。テーブル代わりのコタツを見ると、メモ用紙に言伝が残っていた。
『モンスターハンター協会に行ってくる。昨日行った病院の隣。仕事。今日は授業は10時からだって。出かけるなら鍵はかけてって』
帽子かけには黒い戦闘服がかけてあった。仕事って、何しに行くんだろう。ぼんやりとゴミ袋を避けつつ部屋から出ると、玄関に文月の姿を見つけた。黒い長ズボンに白いTシャツ、鮮やかな緑色のパーカーを着て、ブーツの紐を結んでいた。
「おう、おはよう。意外と早かったな」
そのぼんやりとした半開きの目、つまらなそうな顔つきに、夢で見た、子供の文月の驚いた顔が重なった。
「文月!!」
「うわっ、何?」
蹲み込んだ文月の肩に飛びつくと、彼女はハークごと床に転げた。ばさりと髪の毛が廊下に広がる。ハークは声を大きくして、文月の肩を揺さぶった。
「私、見たの! ロックを! 文月がしてたことは間違いじゃない! ロックはまだ生きてるんだよ!」
「ーーはぁ? 何、どういうこと?」
「夢にロックが出てきたんだよ! 文月のお姉さんでしょ!? こう、優しげな顔つきの女の人! 文月にちょっと似ててーー」
「おいおいおい」
文月は腹筋の力で起き上がると、ハークの肩を掴んだ。ハークの興奮が一瞬で冷める。文月の目が怖かったからだ。丸くなった黒目はじっとハークを見つめていて、睨んでいるというよりは、確認をしているようだった。
「『あたしに似た顔のドール?』何で知ってるんだ? 箕作から聞いたわけ?」
「だから、夢でーー」
「確かにドーリストは夢を見るけれど、それはお前がロックの顔を知ってる理由にはならない。知らないものは夢に出ない。どこで顔を見たんだ? ハーク」
「だ、だから、夢で……」
「うちのアルバムでも見たか? しまってあったはずなんだけどな……」
「夢で見たの! ロックが頭を壊されたショーウィンドウの前で、ロックに会って話をしたの! 体に記録が残ってるんだって。文月のこと、優しい子だって言ってた」
「それは嘘だな」
文月はけだるげに体を起こすと、ハークを見下ろした。ハークの体の方が身長が高いから見下ろされるのは新鮮で、その冷淡な視線が恐ろしかった。
「ジュエリードールは心を持たない。持ち主のことを『優しい』だなんて称するわけ、ないだろ」