g.凍りついた夢
どこからか声が聞こえてくる。
「 と」
誰かが誰かを呼んでいた。初めて声を手に入れたように。初めて体を手に入れたように。目を覚ましたのだ。長い時を通り越して。
「 きと」
聞き覚えのある声だった。とても優しい声だった。つい全てを預けたくなるような、つい眠ってしまいたくなるような。そんな声が、どこからか聞こえた。とてもとても近いところから。
「ゆきと」
誰かが誰かを呼んでいた。その名前を、私はーー知っていた。
パチリ、目を覚ました。急な明るさに目に力を入れると、一瞬視界が途切れて真っ暗になり、再び辺りの光景が目に入った。瞬きだーーまぶたがある。「えっ?」立ち上がると、何か柔らかいものを踏み足を滑らせて、ハークはその場に転げた。
「痛い! ーー痛い?」
足をとられたのは草のようだった。草原に転げ、両手を見る。傷にはなっていなかったものの、潰れた細い草がいくつもくっついた手の色は、透き通るような白ではなく人間のものだった。ーー人間だ。人間の体になっている! ハークは近くにあった巨大な水たまりに駆け寄った。顔を写すと、そこにいたのは顔のない成人型女性のドール、ハークではなく、
「私、だ……」
12歳の黒髪の少女、双葉朱海が映っていた。肩より長い髪の毛を指で掬って見ても、それは艶々とした黒色で、透明なんかじゃない。目も鼻も口も確かにある。あの日、病院で麻酔をかけられた時と全く変わらない。けれども、服は今日文月に買ってもらった服装だった。
顔に手を当てて首を傾げていると、どこからか、バ、バ、バ、バ、と大きな音が聞こえてきた。そう、ヘリコプターだーー空を見上げると、小さなヘリが頭上を通り過ぎていったところだった。モンスターハンター協会のマークがついている。
「……? なに、どうなって……」
辺りを見回すと、そこはどこかの街の中のようだった。そびえ立つ灰色のビル、店名のないカラフルな看板、アスファルト代わりに地面を覆う草原、唐突かつ巨大な水たまり、昼間のような水色の高い空ーーどこ?こわい。胸の前で手を組み水たまりから離れる。文月を探さないと。
ビルの影から逃れるように大通りへ出る。いつの間にか駆け出していた。走って、走って、気がつけば、辺りの風景は見慣れたものに変わっていた。今日文月と共に歩いた街だ。
「文月、文月ー!? どこー!?」
ひょっとすると家にいるのかも。うろ覚えの道を駆け、大通りに出た時だった。
「はあ、はあ、……? えっ、文月?」
大きなショーウィンドウの前に人がいた。見慣れた白いTシャツを着て立っているその少女は、文月往人その人に思えた。ただ、今よりずっと幼く見える。成人もしていないだろうか。すごく驚いた顔をして、前をーー前にいる人物を見ていた。
それを見て、ハークも目を丸くさせた。特徴的なジゴ袖に青いスカート。そこにいたのは、自分ーーいや、違う。ロックだ。ロックがいた。今まさに何かに殴られたようによろめいて、文月を突き飛ばすように片腕を伸ばし、ショーウィンドウにロックが頭から突っ込んでいた。
その瞬間で時が止まってしまったかのように、ガラスが宙に飛び散っている。文月も何かを叫びかけた口の形のまま動かない。何が起こっているんだ、と思った瞬間、ギャアアアア、と、どこからか動物のーーモンスターの鳴き声が聞こえてきた。
ハークはとっさに身をかがめて頭を庇った。ぞわりと鳥肌が立つ。けれども、辺りを見回しても、どこにもモンスターの姿を見つけることは出来なかった。ただ鳴き声だけがビリビリと鼓膜を揺らす。同時に、頭上のヘリが警報を鳴らし始めた。
『緊急モンスター警報。ポップが検知されました。敵影2号。近隣の住民は至急避難してください。ハンターは武装許可。直ちに現地へ集合せよ。繰り返す、緊急モンスター警報』「ごめんね、少し、煩かったかな」
ぴちょん。
滴が落ちるように静かな声が落ちると、辺りが一瞬にして静かになった。鳴き声も警報も時を止め、元々時が止まっていた二人には、ガラスのようにヒビが入っていた。パキン、と氷が割れるような音がして、二人の体が崩れる。
「文月!?」
「心配要らないよ。往人は君の隣で眠っている。今も」
ハークは素早く振り返った。そこには一人の女性が立っていた。標準より高い身長、後頭部で高く結った透明なポニーテール、白いジゴ袖のシャツに長い青色のスカート。アルカイックスマイルを眼鏡の奥で浮かべて、ジュエリードール、ロックが立っていた。




