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文月往人の透明な彼女  作者: 染井吉野
2.文月往人とハークとロック
14/32

c.お見舞い

 早朝ということもあり、服屋には人間はいなかった。代わりにジュエリードールが何人かいて、文月がハークに服を選ばせるのを見もせずに笑いながら突っ立っていた。不気味といえばそうだったが、奇異の目で見られるよりずっとよかった。


「運がよかったな、会計もドールで」


「別に……帽子、貸してくれたし」


 たくさんの服が入った紙袋を抱えてハークが呟く。ジゴ袖のシャツから白いリボンタイシャツに着替え、スカートではなく水色のテーパードパンツを履いている。耳にもちゃんとイヤーカフをつけていて、ぱっと見ただのドーリストだ。文月はハークをちらりと見ると、「もう一軒行くぞ」とハークの肩を叩いた。


「今度はどこ?」


「花屋」


「服着替えて花屋って……誰かに会いに行くの?」


「察しがいいな。お前の面倒を見てくれる人に会いに行くんだよ」


「えっ」


 ハークが文月を見つめる。文月はバス停を見つけると、早足で時刻表へ近づいた。




 箕作は病院のベッドに持たれながら、今月発売されたジュエリードールのカタログを読んでいた。肉体でだ。開けた窓からは早朝の夏の日差しがカーテンを透かして柔らかくベッドを照らしていて、ほんのりと眩しい。焦げ茶色のまつ毛が規則的に上下し、懐かしい眠気を堪えながら目玉が左右に動いた。


(ああ、平和だ……)


 いつモンスターがポップするとも限らない世界で、ジュエリードールと肉体との間を行き来する生活を送っているからか、ちょっとした平穏な時間が愛おしかった。今日はこのまま読書の日にしようかな、と思っていると……


「だから、どーいうことなんだよ!? 私はあんたが所有するんじゃなかったの!?」


「それとこれとは話が違うんだよ。先生役っつーの? 家庭教師っつーの? そこまであたし面倒見るつもりないから人に頼むの」


「そんなこと言って、私を売り飛ばすつもりなんだろ! 絶対離れないからな!」


「やめ、やめろって、おっも!?」


 ぎゃあぎゃあと言い争う声が、廊下側の開け放たれた扉の向こうから聞こえてきた。しかも、一人は聞き覚えのある声だ。ため息をついて本を閉じると、箕作は一度ベッドに頭をつけて嘆息した。


「はぁーー」


 コンコンコン。軽やかなノック。面倒だと思うのに、箕作は頭を掻きながら苦笑を浮かべた。


「どうぞ」


「あら。起きてたの? 箕作。おはよう」


 造花の花束を持った文月が、にまと口角を上げた。帽子を被っていないのを珍しく思う。直後、文月の後ろに隠れた人物が文月の帽子を被っているのを見て、さらに珍しいなと思った。文月に友達がいるなんて……


「ああ、おはよう、文月。一応早朝だから騒ぐのはやめろよ。っていうか病院で騒ぐな」


「だとよハーク」


「えっ、私!? ごっ、ごめんなさい……」


「俺はお前に言ってーーん? そちらはーーロック?」


 文月の後ろにいたドーリストを見て、箕作が目を丸くさせた。心底驚いたという顔でそいつのーーハークの真っ平な顔を見て、すぐに文月を見上げた。ハークが首を傾げ、文月が肩を竦める。


「こちら、ハーク。ハーマキーダイヤモンドのハーク」


「そ、の、ドールは……貸し出してる、のか?」


「まあ、そんな感じ」


「ドーリスト、なのか?」


「多分?椅子借りていい?」


 文月が窓際にひっそりと置いてある椅子を顎でしゃくると、箕作はぼんやりしながら頷いた。「ほら、とって来い。あたしは花やってるから」と文月が言うと、ハークがぎこちなく頷きながら椅子をベッドの側に並べた。ハークと箕作はお互いにちらちらと視線をやりながらだったが、文月は一人、何も気にしていない様子で空の花瓶に花束を挿した。


 ハークの服が入った紙袋を床に置いて、どっかりと文月が椅子に座った。ハークもおずおずと椅子に腰掛ける。顔がないながらに迷った仕草を見せた後、帽子を外して膝の上に乗せた。行儀良い仕草は、きちんとしつけが行き届いた家で育ったのだろうことを窺わせた。


「体調はどうですか? ねーさん」


「ねーさんじゃない。いつも通りだよ。相変わらず自分では動かせない」


「そう。医学も進歩すればいいんだけど」


「ほんとにな。……前置きはいいよ。そいつ、連れてきたってことは、なんだ? お披露目か? まさか、その……お前がそのドールに人を入れるとはな」


「んー? まあちょっとね。いや、頼み事があって?」


 箕作は首を傾げた。ハークが首をすくめてソワソワとし出したのに目を奪われる。


「なんだよ。嫌だな、嫌な予感がする」


「箕作、肉体にいる時は暇でしょ? 暇だよね? 暇って言え」


「お前、つくづく俺を尊敬してるって嘘だよな」


「まさかぁ」


「そりゃ招集や診察がない時は暇だが……なんだ? 仕事でもくれるのか?」


「いいな、それ。こいつの家庭教師になってほしいんだ」


 ぽん、と文月がハークの背を叩いた。びっくりしてハークがぴょんと背筋を伸ばし、表情は変わらないものの文月を睨んだようだった。


「とりあえず現代社会と国語は絶対で、簡単な算数と英語も見てやってほしい。気が向いた時でいいよ。時給は2000円ぐらいでいいかしら?」


「文月! 私そんなのいらないよ!」


「現代社会は重要だろうが、馬鹿め。ここ30年分は流れぐらいは覚えてもらうからな」


「……なんだ? 変な注文をつけるな。ここ30年分の歴史って……」


 箕作が聞きたくないような、聞きたいような気分で眉をしかめると、文月はにや、とした。 


「聞きたい? 聞きたいって顔だよなあ。じゃあ箕作にも共犯になってもらおうかしら」


「まて、嫌だ、聞きたくない」


「実はこのドール、」


「言うなってば!!」




「ーーってことで、ハークは宝石に残った意識の霞みたいなものらしいんだよなあ。本人は人間として死んでるから、公になる前に消されるのがオチだろうと思って、ウチで保護してるってわけ」


「嘘つけ! 自分の宝石が無傷で取れないからって理由だろ! 何が保護だ! 拉致だ!」


 きゃん! と叫んだドールに、箕作は同情の視線をやった。


「このねえーー嬢ちゃん? のドールはどうなったんだ?」


「ああ、研究所行き。なんせこいつのペットが盛大に壊したからねぇ。もう解体されてんじゃない?」


「私の体……」


 がっくりと肩を落としたハークを気の毒そうに見下ろし、箕作はううんと顎に手をやった。


「そう言う事情なら、確かに教師役が必要だな。お前が向いてるとも思えんし……」


「さっすがねーさん! 分かってるぅ! いたっ」


「俺も丁度暇つぶしが欲しいと思ってた。受けよう」


「ありがとうございます」


 眠そうな半眼のまま文月が口角を上げた。自分を置いて話が進んだことにハークは一言申そうと思ったが、「箕作はあたしより優しいぞ」と文月がボソっと呟いたのを聞いて箕作と目を合わせた。


「まあ、目が覚めたら未来だったっていう嬢ちゃんに、きつく当たる通りもないだろう。よろしくな、ハーク」


「よ、よろしくお願いします……」


 箕作が差し出した小さな手を、ハークが恐る恐る掴んだ。


 早速、ハークがどこまで現代の常識に近い情報を持っているのか、確認することになった。箕作が大きく平らな携帯をいじりながら質問を投げかけていると、文月がポツリと、


「ああ、言い忘れてた」


 二人がーーハークが首を傾げ、箕作は嫌そうな顔で文月を見た。


「そいつ、対外的にはドールってことにするから。そっちの常識も教えといてくださいよ」


「はあ? ……あ、あ。確かにそうだな」

「え? どういうこと、です?」


 箕作が人差し指を立てた。


「文月はこう見えて名の売れたハンターなんだ。ドール嫌ーーいや、一匹狼って言えば分かるかな? そういうとこも有名でさ」


「正直箕作以外の顔覚えてないしね」


「覚えろ馬鹿。ーーまあ、そういうわけで、文月がドーリストを連れてたら間違いなく噂になる。しかもその顔じゃな」


「……」


「顔直すぐらいならドール盗んでくるぞ。金ねーから」


「やめてよ」「やめろよ」二人の声が被った。箕作が首を横に振る。


「顔のないドーリスト、誰だ? ってなっても、お前の正体は30年前に死んだ人物で、どこの病院に問い合わせても分からない。下手したら新聞沙汰程度じゃすまない大騒ぎだ。その点ドールなら、保証証なくしたとかとか言えば、いくらでもごまかしが効く。実際、ドールの体はちゃんと買った奴ーーだよな?」


「当然。こっちは保証証もあるぞ」


「だ。ってことで、ハークにはドールらしい振る舞い方を覚えてもらう。まあ、簡単だよ。多分な」


 箕作はハークの、普通のドールとはまた違った意味で表情が読めない顔を見つめた。


「つまり、人前では黙ってろってこと。だよね? ねーさん」


「ねーさんじゃないが、そういうことだ。ドールの体は疲れ知らずだ。お前も、ただ黙って突っ立ってるだけとかなら出来そうだろ?」


「まあ、そのぐらいなら……」


 自信なさげにハークが呟いた。ぱん、と箕作が両手を打ち鳴らす。


「よし。じゃあ練習だ。内股じゃなくて、人形みたいにまっすぐ膝を揃えて座ってみろ。ーーそうだ。それで股の上に両手を重ねてみろ。ああ、逆だ、下になるのは右手。……うん、いいな。背中が反らない程度に背筋を伸ばして……よしよし、いいんじゃないか? そのまま喋れるか?」


「しゃ、喋れます」


「よし、それじゃあそのまま続きをするか。さっき何話してたっけーー」


 箕作が顎に手を当てようと手を浮かせると、そのままぱ、と目を見開いて静止した。目玉だけをきょろりと上の方に動かす。文月もいつもぼんやりとしている目を丸くさせ、どこかをじっと睨み付けている。そしてハークの鋭敏なジュエリードールの聴覚が、本来聞こえるはずのない小さな振動をキャッチした。


『近隣のハンターに召集。ポップが検知されました。影の大きさ3号級。武装許可。直ちに現地へ集合せよ。繰り返す、近隣のハンターに召集』


 文月が音もなく立ち上がると、ハークの肩に手を置いた。振り返ろうとするのを拒否するような、重い手だ。ハークの頭の上で、明るいような平坦なような声がする。


「じゃ、こいつ置いてくからよろしくね、箕作。ばいばーい」


 トン、と肩を叩いて手が静かに離れていく。長い髪が宙を掻いて、ハークが振り返った時には、その毛先が扉の向こうに消えていくところしか見えなかった。足音が遠ざかって聞こえなくなっていく。ハークはポツリと、


「……行っちゃった」


「ああ、3号ならな。もしかしたら3号まんまで来るかもしれないし……なあ、お前の中にロック……あいつのクリスタルが入ってるんだろ?」


「ええ、はい……」


「そうか……」


 ため息を吐くように呟く箕作を、ハークは微動だにしないまま見下ろした。


「あの、このクリスタル、なんなんですか?文月……さん?は、相当拘ってるみたいでしたけど……それに、このドールも。箕作さんは、知ってるんですか?ロック・クリスタルのドールを、文月さんは……持ってた、ん、ですよね?頭が吹っ飛んだ、って聞いたんですけど……」


 ハークが背筋を伸ばしたまま、透明な目玉で箕作を見つめた。箕作は俯いてため息をつくと、腕の力でベッドの上に座り直し、目を細めてハークを見返した。そこに、別のドールを思い描いて。


 同じ透明な宝石を髪と目に宿したジュエリードール。ロック・クリスタルの透明な視線。温度のない微笑み。それが、文月の隣から消えて、もうーー


「ああ、あいつはロック・クリスタルのドールを持ってた。10年前、かなあ……モンスターに文月が襲われてさ。それを庇って、頭が壊れちゃったんだよ」


「えっ。ドールが人を庇う? そんな……」


「ああ。ありえない。ドールはそんな瞬時に判断なんて出来ない……でも、そうなんだよ。文月はそう言ってた。文月はさ、ドールに心があると思ってるんだよ。だから、あいつを……ロックを取り戻すために、大型モンスターを狙ってるんだ」


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