b.顔の無いドール
二人で揃って振り向く。道路に身を寄せ合ってこちらを見ていたのは、女性の二人組だった。生身の人間だ。文月からしたら珍しい。この街は特にドーリストが多いから。いや、だからこそこんな早朝に歩いているのかもしれない。昼も夜もなくなったとはいえ、やはり昼間の方が人は多い。ドーリストたちの中にいる居心地の悪さから逃げて来たのかも。ーー文月も人のことは言えない。
ひそひそと何かを話し合った後、恐る恐るーーというには大分テンションが高い様子で、女性たちは近寄ってきた。
文月が目を細め、帽子を外してハークに被せる。ハークが唾を上げて文句を言おうとすると、「顔、見られるの嫌じゃねーの?」と囁かれた。
「……別に」
ぎゅ、と唾を握って俯く。文月が軽く女性たちに手を振ると、いよいよ嬉しそうな様子で女性たちも手を振り返した。
「すみませんっ! あなた、文月往人さん?」
「そうよ」
文月が首を傾げて口角を上げて見せると、女性たちは顔を見合わせて小さく叫んだ。まるで芸能人を見つけたみたいだ。文月は慣れた様子でぼんやりと女性たちを見つめているが、ハークは完全に気圧されてしまい、文月の背後に隠れた。
「わあ! すごい、ここに住んでるのは知ってたけど……すみません、握手していただけませんか?」
「いいよ」
文月と女性たちが手を差し出す。男爪で、掌が大きく、指がしっかりした厚い文月の手と、女性たちのマニキュアで綺麗に整った指が細い手は、まるで別の生き物のように見えた。
ハークが文月のTシャツを握り締め様子を窺っていると、女性たちはハークに気がついたようだった。ちら、と帽子からはみ出た透明な髪の毛を見て、
「わ、ドール? ううん、ドーリスト?」
「えっ! 相棒ですか文月さん!?」
「えっ、本当!? こんにちはーーえっ」
女性の一人が膝をかがめ、ハークの顔を見て固まった。ハークが文月の背に顔を押し付けると同時に、文月が二人の間に入る。
「ごめんね、恥ずかしがり屋なもんでさぁ」
「あ、いえ……こちらこそすみません」
「んーん」
「……あの、えっと、いい工場紹介しましょうか?」
「いんや、大丈夫。ありがとネ」
チラチラと女性たちがハークを見る。怖がるような、憐むような、その目。見覚えがある、嫌な目だ。病院で何度も見た記憶がある。『ああ、あの子、まだ治らないのね』大嫌いだ。大嫌いだ、大嫌いだーー
ぽむ、と文月の手がハークの頭に乗った。自然な様子で帽子の唾を下げさせる。珍しく分かりやすくにこりとすると、
「それじゃあ、オジョーサンたち。悪いけど、あたしらそろそろ行かなくちゃ」
「あっ、すみません!」
「ありがとうございました! 応援してます! 頑張ってください!」
「おうよ。ああーー二人とも、お揃いのマニキュアが可愛いね?」
女性たちは顔を赤くさせると、「ありがとうございます!」と揃って破顔した。文月が手を振ると、機嫌よさそうに振り返して去っていく。なまっちろい腕を絡めあってきゃあきゃあと騒ぐ声が小さくなり、顔も見えなくなると、文月は低い声で、
「あー、悪かったな」
「……ああいう人、嫌い。じろじろこっち見てきやがって、勝手に色々想像して、勝手にビビって哀れむんだ」
「そう。悪かったよ」
「……何、今の」
「ファン。ファンサ」
「……あんた、ファンいるの?芸能人?」
「どっちかっつーと軍人?モンスターハンターって分かるかい」
「馬鹿にすんな。30年前にもいたわ」
「それの大会で優勝したことあんのよ、あたし。だからちょっとした有名人なわけ」
ハークはようやく顔を上げると、きょとんとした様子で文月を見た。ほとんど同じ身長で、透明な目玉には文月の髪が映り込んでいる。文月はそれをちらりと見ると、ハークの手を引いて歩き出した。
「ほら、行くよ。お前の服買いにさ。うちの在庫は売っちゃったんだ」
「……あんた、もしかして武闘会の優勝者なの? なら、なんでこんな顔のドールを持っているんだよ。私が入ってるってことは、宝石もないんでしょ? 優勝者は英雄の遺産の他に、すっごくたくさんお金がもらえるはずじゃないの? 顔も直せるだろうし、宝石だって買えるはず」
「貯金してるかもとか思わないわけ?」
「思わない。何に使ったんだよ」
文月は歩く速度も、手を握る強さも、語調も全く変えないまま、答えた。
「だから、直したんだよ。その頭。お前が入ってるそのドール、一度頭が吹っ飛んだんだよ」