j.帰る家なんてない
二人が辿り着いた民家は、民家というよりも屋敷に近かった。それも、小学生にお化け屋敷と噂されるような屋敷だ。名前の分からない蔦植物が地面から屋根に向かって壁を這い、窓は曇り、屋根は所々欠け、なんていうか、完全に廃墟だ。ドールはそれを見上げると、無言で開け放たれた玄関から中に入っていった。文月も無言で後を追う。
「埃っぽい……壁が腐ってる……ああ、カーテンも穴だらけ……この大穴、何?」
少女のドールがいた部屋までたどり着くと、その壁に空いた穴を指してドールが尋ねた。
「犬型のモンスターが開けた。そいつが暴れてるってんで、あたしがこの屋敷に鎮圧にきて、お前を拾ったんだよ」
「犬型モンスター……赤かった?」
「赤かった。……あんたの子?」
「……うちの番犬。バスって言うの……そうか、あいつ、私のこと守っててくれたんだ……ねえ、そいつ、どうなったの? 鎮圧って、殺したの?」
「殺してはいない。けど、飼い主が不在なことが分かったから、もうここには戻ってこない。お前は人間じゃないから、お前に取り戻す権利もない。期待は捨てた方がいいよ」
「……そう、かぁ」
ベッドに寄りかかり、座り込むと、ドールは顔を手で覆った。ぎゅ、と髪の毛をまきこんで顔を掴む。そうすると顔が見えなくなって、まるで、まるでーー別な誰かがそこにいるようだった。その白い手を引き剥がす。
「顔を隠すな」
「なーーなに、いいだろ、そのぐらい! この体じゃ、泣けもしないんだから!」
「泣き喚くのは別にいい。顔を隠すな。見間違える」
「見間違……?」
「なんでもない」
はあ、とため息。文月はドールの真前に立って、そののっぺりとした顔を見下ろした。俯いた顎をつかんで、上を向かせる。
「お前には選択肢がいくつかある。1つ、あたしに破壊されて死ぬ。2つ、警察に助けを求めるーーハーフ・ドーリストのクローンは禁止されてるとは言えあんたは被害者っぽいから、もしかしたら新しい戸籍がもらえるかもしれない。……それよりは、半端なドーリストってことで消されれそうだけど」
「警察がそんなことーー」
「するかしないか分からないけど、悪い奴はどこにでもいる、ってこと」
「……どっちも嫌だ。死ぬのは怖い。死にたくない。私、私は、人間なんだ。人間だ。病気だったけど、まだずっと生きるはずだったのに……なんだか記憶があいまいなんだ。手術を受ける前のことは思い出せるのに、この家に住んでた記憶がすごく薄い」
「そりゃあ、あんたが双葉朱海の残りカスだからでしょ。恨むならじーさんと医者を恨むんだね」
「……」
文月はドールの腕をつかんで立たせた。部屋の中にある大きな姿見の前まで連れていく。そして、ドールの胸を開いて見せた。ーー胸の真ん中に、透明な宝石が輝いている。少女の涙のような色で。
「これが、お前の全部だ。お前は法的にも、物質的にも、人間じゃない。それは認めておいた方がいい」
「……私、ジュエリードールなの?」
「ていうか宝石?言っとくけど、この体はあたしのだから。あたしが所有してるドールの体。あんたの体はーーああ、戦闘中にあんたの犬が壊しちゃったよ。うん。木っ端微塵とは言わないけど、直せそうにはない。ごめんね?」
「……お前のせいだ」
ドールが、腹の底から唸るような声を出した。文月の腕を払い、両腕をミシミシと掴み上げる。
「お前のせいだ! お前が! バスが守ってくれてたのに私を起こして! 体を壊して! こんな体に入れてーー責任取れよ!! 責任とれ!!」
「はは、責任取れ、か……どうする? 殺してほしいなら殺してやるよ? なに、あたしにとっても都合がいいのさ。あんたの中には、あたしの宝石が一欠片入ってるし。取ろうと思ったら、あんたどうせ割れちゃうしね」
「っ、いいよ! 殺せよ! 殺してみろ!!」
「よし、じゃあ、研究室にいくか」
文月は腕をくるりと回して拘束を解くと、ドールの腕を引いた。「くそ」と小さな悪態が聞こえたが、ドールは抵抗せずに引きずられるように外に出た。