幸運に恵まれ、幸せに恵まれない、個人投資家の独白
四人の祖父母は全員が50歳になる前に亡くなった。
ともに一人っ子だった僕の両親は、それぞれの親の保険金や不動産を相続した。もともと親と一緒に住もうなどという気はなく、夫婦でローンを組んで買ったマンションに一人息子の私と三人で暮らしていた。両親は今でいうミニマリストの走りだったと思う。荷物を増やすことを極端に嫌った。子どもの頃の自分が住んだ家など、手に余る荷物だったのだろう。両親ともさっさと家を売って現金に換えた。投資にはいっさい関心がなく、いくつもの金融機関に預金保険機構で保護される一千万円の普通預金を持っていた。両親とも働いていいたが、二人の年収を合わせたよりも一桁多い預金残高が家にはあった。大学のときに父が亡くなり、就職して間もなく母が亡くなった。父が亡くなった時も母が亡くなった時も保険金が入った。家族が減るたびにお金は増え、そして僕は天涯孤独となった。
お金の苦労を知らずに育ったことにはなるけれど、贅沢をした覚えはない。両親とも目立つことが嫌いで、生活は質素だった。二人ともこれといった趣味もなく、仕事がある平日は規則正しく過ごし、休みの日は体を休めることを優先した。一通りの反抗期はあったけれど、僕は両親には感謝している。愛されていたことも疑ってはいないし、もっと生きていてほしかったと心から思う。二人の笑っていた顔を今でもはっきりと思い出すことができる。
大学に入った頃までは、自分のことを普通の中の普通、普通のど真ん中、そんな風に思っていた。普通過ぎて個性に乏しいことにコンプレックスを感じたことも普通ならではだと思う。成績は中学でも高校でもいつも平均的。スポーツもできなければできないなりに目立つが、良い方にも悪い方にも目立たない程度に一通りこなせた。友達も普通にいて、学校に行きたくない日もあったけど一日サボれば翌日は何事もなかったように投稿できた。いつも好きな女の子がいて、大学のときはちゃんと付き合って、バイトもして、酒も飲んで、普通の若者が普通に経験することはほとんど経験したはずだ。
自分の異常さを初めて意識したのは、大学に入って童貞を捨てた時のこと。相手は当時付き合っていた同級生の女子で、彼女は高校生の頃に経験をすませていた。夢にまで見た初体験は、まったく気持ちよさを感じることなく終わった。初体験なんてこんなものかと思ったが、その後何回彼女とやっても何も変わらない。こっそりと友人の彼女と寝たこともあるし、風俗にも行ってみた。一人でする方がいい、というが僕が辿りついた結論だ。そして同時に気がついた。たぶん、僕は、何をしても楽しくない。何を食べてもそこまで美味しいとは思わない。音楽やゲームにものめりこめない。イベントの前に期待に胸を膨らませ、興奮して寝付けないことはあっても、終わってみると特に何の感想もない。
自分は付き合いのいい人間だと自負していた。なにかと誘ってくれる友達がいつもいて、よほどの事情がない限り誘いには応じた。でもそれは、一人でいても友達といても、どちらも同様にたいして楽しくなかったからだ。それまで自分が当たり前に感じていた感覚を、世間の人は、楽しくない、と表現するのだと知った。それに気がついとき、世の中の景色が突然変わっていたら、もしかしたら僕はたしたものになれたのかもしれない。でも、変化はゆっくりとしか起こらず、僕は当たり前のように大学を卒業してサラリーマンになった。
就職したときは、ここが自分の生きる場所だと信じて疑わなかった。でも、僕の中で違和感が徐々に膨らんでくる。口を開けば会社に対する文句を並べ、最後は「こんな会社絶対にやめてやる」で締めていた人が、評価されたことで突然、「我慢してやってきてよかった」と満面の笑みを浮かべる、その喜怒哀楽の落差が僕にはさっぱりわからない。仕事がたいへんだと思ったことはないけれど、楽しいと思ったこともない。ランチで一緒にラーメン屋に行ったときに先輩や同僚が「個々のラーメン最高だよ、生きててよかった」と陶酔した表情で力説する。旅行が楽しかったとか、ライブが最高だったとか、子供が生まれて感動したとか…、身の回りで起きていることは、僕にかすりもしないまま僕の周りをぐるぐると回っているだけなのだと、気がついた。気がついたけれど、それでも僕は絶望するほど人生と向き合ってはいなかった。
就職して三年目に母が亡くなり、僕は葬儀の喪主となった。僕に親族がいないことを知った会社の人たちは口々に優しい言葉をかけてくれた。母が亡くなったことで、母の銀行預金とマンションを相続しただけはなく、母の生命保険までもが入り、僕の資産は一気に増えた。相続関係はなにかと面倒でお金の出入りも多かったので、給与振り込みで使っていた口座とは別に、銀行で口座を開きほぼすべての財産をその口座に集約した。
ある日、銀行から会社に連絡があり、話があるという。相続のことで問題でもあったのかと思ったら、支店長を伴って現れた担当者は「普通預金に置いておいてももったいないです、富裕層の方だけ投資可能な高利回りで安全な商品をご紹介させてください」と、僕に仕組債というものを勧めた。僕は投資に関してはまったくの素人で説明を聞いても理解できなかったが、担当者は素晴らしい商品です、と自信満々に勧める。銀行員というのは信用してよい人種のはず、そう刷り込まれていた僕は勧められるままに仕組債を購入した。
そのわずか数か月、世の中はリーマンショックに見舞われる。株価は世界中で暴落した。株式投資なんて危険なものに手を出さず、仕組債に資金を移しておいてよかった、と僕は安堵してみたが、よく考えたらこれは金融危機なのだ。僕がお金を預けた銀行は大丈夫なのか? それを確かめたくて午前中に銀行に電話を入れた。担当者が会議中とのことで、会社に折り返してくれるように伝言をした。担当者から折り返しがあったのは午後だった。「僕のお金は大丈夫ですよね?」と訊くと、担当者は意外なことを言った。僕が買った7000万円の仕組債は現在4000万円程度の価値しかないという?
「7000万が4000万ってどういうことですか?」僕は電話口で激高した。
「仕組債にはオプションが組み込まれておりまして、日経平均株価が決められた水準を下回ると、仕組債の価格が日経平均株価と連動いたします」担当者は僕にはまったく理解のできない説明をした。
「高利回りで安全だって言ったじゃないですか?」
「高利回りなのはオプションが組み込まれているからです。ご存じのように現在何百年に一度しか起こらないと言われる金融危機が実際に起きています。これは誰にも予想できなかったことです」
電話を切って、僕はしばし呆然としていた。自分の会話が社内に響き渡っていたことに気がついたのは何分か経ってからだ。
その間に社内の人たちがさあっと引いたのだ。僕は一人引き潮に取り残された。
そして見える景色が変わった。
僕を一人でいる隙を見つけて、必ず誰かが寄ってきた。「うちの会社もこの先どうなるかわからない、起業を考えているけど資金をだしてくれないか?」と持ちかけてくる人間もいれば、今まで口もきいてくれなかった綺麗な女が数人、突然優しく話しかけてきた。「そんなに金持ってるなら増やさなくてもいいじゃん、使おうぜ」と言ってきた同僚もいる。その言葉は妙に僕の心をとらえた。「知ってる? 今高級車が暴落してるんだ、中古だったらすごい車が信じられないくらい安く買える、ためしに試乗してみない?」そう言われて、彼と一緒に中古のベントレーを運転させてもらった。彼は自分が買うかのようにハンドルを握り驚嘆の声をあげたが、僕はデカくて運転しずらい車だとしか思わなかった。
タワーマンションを買ってみようかと考えたこともある。僕は朝早めに家を出て、自分の部屋から見えるタワーマンションの付近を見学してから会社に行こうと決めた。良く晴れた寒い冬の朝だった。そのマンションの敷地のすぐそばで、綺麗に化粧をした若い母親が7,8人、列を作り、幼稚園の制服を聞いた子供の手を取って笑いながら言葉を交わしている。そろいもそろってモンクレールのダウンを着て、ハイブランドのバッグを抱え、ポーズでも取るかのようにヒールを履いて立っていた。幼稚園のバスが到着すると、先生に挨拶をして、席に座った子供たちに手を振りながらバスを見送った。そしてランウェイでも歩いているかのように堂々とタワーマンションに戻っていった。子供を幼稚園のバスに乗せるためだけに、あの格好で出てくる。それが彼女たちにとっては幸せなのだろう。人にはそれぞれの幸せがある、そういうことだ。僕はこのマンションに住んでも幸せになれる気はしなかった。
そんなある日、Tという三十過ぎの会社の先輩が僕にこっそりと相談をもちかけてきた。僕の知っているTは自信に溢れた男だったのに、その時は話があると言いながら、僕の目を見ようとしない。
Tは金を貸してほしいと僕に頼んだ。
「実はFXで毎月給料以上の金を稼いでいたんだ、この調子でいけば来年あたり会社辞めて個人投資家になろうかなんて夢も持っていた、でもリーマンのせいで投資資金がすべて吹っ飛んだ、でも、あきらめるわけにはいかなかった、取り返そうと思って、金を借りてもう一度勝負に行ってそのお金もほぼ全部吹っ飛んだ」
「全部なくなるってどういうことですか?」
「FXはレバレッジがかけられる、つまり自分の資金の何十倍もの大きな金額のトレードができるんだ、だから儲かるときはすごく儲かるけど、相場が激しく動いて損をするときは全部もっていかれる。このままだとマンションも売らなければいけなくなる、お願いします、助けてください」
「いくら必要なんですか?」
「できれば一千万ほど貸してほしい?」
「よくそんなに金借りられましたね、どこから借りたんですか?」
「300万はローン会社から借りた、残りは人から金を集めて。月1%の配当を払うと条件で運用した」
「そのお金を返す必要ありますか? うまくいかなかったのならしかないじゃないですか?」
「オレを信用して金を出してくれたんだ、返さないわけにはいかない」
「じゃあ、僕がお金を貸したらどうやって返してくれるんですか? またFXやるんですか?」
「何年かかっても分割で返すよ、FXはもう二度とやらない、ほとんどの人は負けるとは聞いていたけど、自分は特別だと思っていた、ビギナーズラックがいけなかったんだ、もし最初に負けていたら、小さな損で終わって二度と手を出すことはなかった。相場っていうのはゼロサムの世界で、誰かが儲けるときはその裏で誰かが損をしている、素人は簡単に儲かると思って手を出して、最初は簡単に儲けさせてもらえるけれど、結局は損をして終わる、それでも上手くいってるときは自分が万能になった気がした、あれはあれで幸せな時間だった」
それを聞いて僕の疑問は氷解した。Tには少し考えさせてほしいと言った。それは嘘ではなかったが、彼にお金を貸す気などさらさらなかった。考えさせてほしかったのは自分のこと。翌日、僕は会社に辞表を提出し、会社の人間とは一切の連絡を断った。
Tがどうなったかは知らない。でも彼には他人から金を引っ張る才覚がある。きっとどこかからかお金を調達し、その場をしのぎ、そしてまた、もっとお金が欲しいと願うだろう。それこそが彼の幸せなのだ。
お金の苦労を知らずに生きてきた僕は間違いなく幸運に恵まれた。でも、僕は幸せを感じることはなかった。その理由はおそらく、足りていたからだ。人間の欲望は限りない、らしい。その瞬間は満足しても、すぐにまたあらたな欲望が芽生える。欲望を一つ達成してはまた次の欲望を満たすことで人は幸せを感じる。僕はたぶんお金があるから幸せではないのだ。でも、お金がなければ幸せになれるとも思わない。誰もが幸せになれるわけじゃない。運も必要だろう。お金の苦労をしないことで、僕はきっとすでに運は使い果たしている。預金を全部引き出して、紙幣の束に火をつけて燃やしても僕が幸せになることはない。幸せになることはあきらめた方がいい。
僕は自分の金の使い方を考えた。世の中にはお金に困っている人がたくさんいることは知っている。でも、困っている人にお金を渡すような使い方や、誰かが潤うようなお金の使い方はしない。満たされない人こそが幸せなのだ。満たされたら幸せではなくなってしまう。別に、幸せを感じることができる人に復讐するつもりもない。そんなに激しい感情も僕は元合わせてはいない。ただ、理解できない仕組債というものを買って、結局は騙された、という経験が僕にはある。自分には活用できないお金を、自分が理解できる方法で世の中に役立てたい、それが僕の望みだ。考えた末に、僕は一つの結論に達した。Tみたいな人間をもともっと増やせばいい。
僕のようなど素人が相場に手を出せばほぼ間違いなく負ける。相場がゼロサムゲームなら、僕が損をするとき誰かが儲かる。自分は能力があると思い込むTのような人間が現れ、僕のおかげで最初はいい思いをして結局は金を失う。金を失えばまた欲しくなる。それこそが幸せなのだ。自分自身を幸せにすることはできないけれど、僕は一生会うこともない誰かを幸せにしている。
人間を決めるのは遺伝子であることを、今強く感じている。僕は毎日家に引き籠り、一日中スマホを片手にFXの相場を張って、儲かる日もあるけれど、毎月終わってみればきっちりとほぼ百万円を失っている。亡くなった両親と同じような規則正しさ。1年で1200万円、10年で1億2000万円。両親と同じように50歳前に死ねれば、僕は一生お金の心配をせずに、何も楽しくないまま生きていけるはず。
最後まで読んでいただいてありがとうございます。
この物語は。モデルの存在するフィクションです。
個人投資家にまつわる話はこれからも書いていきます、
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