異世界転移して世界を救ったら、「もう用済みだから」と現世に帰された私。今さら戻って来てくれと言われても困ります!
――午後6時。
カフェ『GARDEN』の閉店時間が過ぎてから、数分が経っていた。オーナーである近藤美百合は、いつものように店の清掃を行っていた。
都心から少し離れた街中の一角。そこにカフェ『GARDEN』はひっそりと店を構えていた。
こじんまりとした敷地に、心が落ち着くような内装の店内だ。
地元の人たちの間では話題の店として注目を集めている。
コーヒーが美味しい。果物が美味しい。そこで提供されるパスタやサンドイッチも絶品。その上、店員の1人が外国人で、眩いばかりの美形なのだ。不愛想なところが玉に瑕だが、彼目当てに日参する常連客は後を絶たない。
更にそのカフェが話題を呼んでいるのは、店の経営者がまだ若い20代の女性だという点だった。
近藤美百合。25歳でありながら、落ち着いた相貌を持つ女性だ。感情をあまり映さない冷徹な瞳だが、ふとした時には穏やかにほほ笑んで相手に安心感を与えてくれる。彼女の微笑みを目当てに通う常連客もいるほどだった。
彼女がこうして店を持つようになるまでは、大変な苦労があった。彼女は普通の人とは変わった経歴を持っている。だが、彼女はあまり昔のことを話したがらなかった。むしろ自分の過去は人生の汚点だとばかりに、あまり思い出さないようにしているようだった。
店の閉店後、美百合がテーブルに布巾をかけていた――その時のことだ。
からんからん。
扉が開く音が聞こえた。美百合は手を止めて、怪訝な顔を浮かべた。
それから相手の姿を視界に収め、驚愕に目を見開いた。
美しく輝く金色の髪に、蒼い瞳。日本人ではない。それどころか、着ている服も現世にはそぐわない物だった。中世時代からタイムスリップしてきたのかと思う格好だ。
男は美百合の顔を見て、すがるように声を上げた。
「頼む、ミユリ……! 戻って来てくれ……! イドルディアに!」
衝撃が浸透しきるまで数秒がかかった。美百合は眼差しを嫌悪感に曇らせた。
彼の顔はよく見知った物だった。
もう二度と会いたくないと思っていた。
イドルディアという世界に存在する国。
彼はそこの第一王子だった。
◇ ◇ ◇
美百合がイドルディアの世界に飛ばされたのは、16歳の時だった。
朝、学校へと向かう途中。突然、足元に魔法陣が現れた。立ち上る光に全身を覆われて、一瞬で光景が変わった。
気が付いたら、神殿の祭殿のような場所に立ち尽くしていた。美百合を囲っているのは大勢の人間だった。おかしな服装に、日本人ではありえない髪と目の色。
その人たちは口々に歓声を上げた。
「聖女様だ!」
「伝承は本当だった!」
「これで世界は救われる!」
美百合はわけがわからず、唖然としていた。
ボーっと辺りを見渡しながら、「これは何の夢だろう」と考えていた。そんな美百合に、優しくほほ笑んでくれた男性がいた。それがフィリップ王子だった。
その後、彼からの説明を聞いて、美百合は自分の身に起きたことを理解した。
美百合は日本からイドルディアの世界へと「転移」した。その国の伝承には、「国が大いなる危機に見舞われた時、異界より出でし聖なる子女がこの国の暗雲を振り払うだろう」と記されているというのだ。
彼ら曰く、それが美百合らしい。
その日から美百合はプドルシア王国の聖女としてあがめられるようになった。
始めのうちは美百合はずっとパニックだった。それまで平和な日本で普通の女子高生として暮らしてきたのだ。それがいきなり聖女扱いされて、「世界を救ってくれ!」とすがりつかれても困惑するしかない。
美百合は元の世界に帰してほしいと何度もお願いした。だが、その度にフィリップは申し訳なさそうに答えた。
「元の世界に戻る術はない」
と。
美百合は絶望した。日本には家族も友達もいた。高校生活だって楽しかった。
それなのにいきなりわけのわからない世界に飛ばされて、生きていかなければならないなんて。
美百合は泣いた。
そんな美百合を慰めてくれたのもまた、フィリップ王子だった。その頃の王子はとても優しかった。美百合のために心を砕いて慰めてくれたし、一緒に悲しんでくれた。
美百合は自然と王子に惹かれていった。そして、王子もまた美百合に愛をささやいた。そして、二人の間には婚約が結ばれた。美百合はフィリップと――この人が暮らす国のために、自分ができることをやろうと決意した。
美百合には聖女としての不思議な力が備わっていた。
植物と心を通わせて、成長を促すことができたのだ。美百合が触れると、しぼんでいた花も枯れていた木も元気になった。どんな草花でも、目にするだけで瞬時に効能や薬の煎じ方を理解することができた。
プドルシア王国は深刻な飢餓と病魔に侵されていた。
美百合は寝る間も惜しんで、聖女としての務めを果たした。野菜や穀物を育てて食糧を作り、薬草から薬を煎じた。仕事はどんどん増えるばかりで大変だった。美百合の力は『聖女の奇跡』と呼ばれ、人々の間に広まった。彼らの期待値が上がっていく度にプレッシャーが重くのしかかって来て、胃がねじれそうなほどにつらい思いもした。
それでも美百合はフィリップのためにがんばろうと自分を更に追いこんだ。
フィリップは美百合のことをずっと支えてくれた。
……今から思えば、彼はいつも優しい言葉をかけてくれるばかりで、仕事を手伝ってくれるわけではなかったのだけれど。
『大変だね。だが、つらい時こそ1人でがんばらなくては。あなたは聖女なのだから』
フィリップは何度もそう言った。美百合はその言葉を馬鹿正直に受け止めていた。聖女としての使命を持っているのは自分だ。だから、自分1人でやらなければならないと信じこんでいた。
薬を煎じる時間が足りなくて、睡眠時間を削って働き続けた。「聖女を働かせすぎではないか」と口出ししてくれたのは、騎士団長ただ1人だった。
フィリップは始めのうちは毎日、美百合の元を訪れてくれた。いつも美百合を慰め、応援してくれた。でも、日が経つにつれ、それが2日に1回になって、5日に1回になって――そのうちまったく会いに来なくなった。
その時もまだ美百合は彼のことを信じこんでいた。「執務が忙しい」という彼の言葉を疑ったことはなかった。
気が付けば美百合がイドルディアにやって来てから、7年もの歳月が経っていた。
国は見違えるように豊かになっていた。「聖女様のおかげです」と人々から涙ながらに感謝されて、美百合もまた涙を流した。
その頃になると日本のことはたまにしか思い出さないようになっていた。元の世界に戻れないのだということを理解し、これからはこの世界で生きていくのだと決意を固めていた。
そんなある日――フィリップに呼び出された美百合は、思いがけないことを聞かされるのだった。
『君との婚約を解消したい』
彼にそう言われた時、愕然とした。
彼が何を言っているのか、まったく理解できなかった。
更には王子の腕にひしとしがみついている女が誰なのか、何者なのかもまったくわからなかった。美百合よりも少し年下らしい少女は、おどおどとした顔でこちらを覗き見ていた。
呆然として立ち尽くす美百合に、フィリップは更に言いつのった。
『彼女はリリー。見ての通り、儚く弱々しい娘だ。1人で何もかもこなす君とはちがって。彼女には私の助けが必要なのだ』
美百合の全身はぴしりと凍りついた。「1人で何もかもこなす君とはちがって」彼の声が耳の中を反響した。その度に、美百合の心臓に杭ががんがんと押しこまれるかのような痛みが走った。
――今までずっとフィリップのためにがんばって来たのに。
1人でも平気だなんてそんなことは決してなかった。本当は何度もくじけそうになったし、フィリップが会いに来てくれない間、さみしくてたまらなかった。でも、彼の負担になりたくない一心で、表面上はそうでないように振る舞っていただけだ。
それなのに……。
美百合が聖女としての務めを果たしている間、フィリップは別の女性と楽しく過ごしていたというのか?
その光景を想像するだけで、足元がばらばらと崩れていく感覚を覚えた。
『それに、君には帰る故郷があるのだろう』
フィリップの言葉で、美百合はハッとなった。
『……元の世界に戻る方法はないと……そう言っていたじゃない』
『それは……わかってほしい。君の心が揺れるといけないから……。私は君のためを思って言ったのだ』
『私のため……? 私はずっと日本に帰りたかった。でも、あなたが帰る方法はないと言っていたから……』
だから、今ではもう日本に帰ることを諦めた。この世界で生きていく決意をした。
そう告げようと思ったのに、フィリップは美百合の言葉にかぶせて嬉しそうに言った。
『帰りたい? そうか、やはり故郷に帰りたいのだな! 大丈夫だ、手筈はすでに整っている。それにこれは父上の意向でもある』
美百合は言葉を失くした。
フィリップの父――現国王のことだ。
彼はフィリップとはちがって、いつでも美百合のことを気にかけてくれていた。「負担をかけてすまない」と何度も声をかけてくれたし、美百合がこの国で暮らしやすくなるように様々な配慮も行ってくれた。国が平和になった後もこのまま王城に住んで欲しい、と言ってくれたのも国王だ。
でも、その言葉はすべて嘘だったというのか。
国王も美百合が日本に帰ることを望んでいる――自分はもう用済みということなのか。
フィリップが合図すると魔術師たちが部屋にやって来て、美百合を囲った。そして、呪文を唱え始めた。足元が光り出す。そこに魔法陣が浮かび上がった。日本からイドルディアに転移した際に見たのと同じものだ。
美百合は頭が真っ白になった。ぼうっとフィリップの顔を見つめていると、視界の隅でリリーが勝ち誇った笑みを唇に浮かべているのが見えた。
――こうして、美百合はイドルディアから現代日本に帰って来たのだ。
7年という歳月を経て。
◇ ◇ ◇
異世界から日本に戻って来て、更に2年が経過していた。
今の生活を手に入れるのは並大抵のことではなかった。
美百合は7年もの間、行方不明ということになっていたのだ。両親は泣いて喜んだ。どこに行っていたのかとしつこく聞かれたが、美百合は本当のことを話すことができなかった。
結局、「家出して各地を転々としていた」ということになり、警察からは事件性なしと判断された。
日本に戻って来た時、美百合は23歳になっていた。
高校は中退扱いで、まともな学歴も職歴も持たない。昔の同級生は皆、就活を終えて働き始めていた。美百合も始めは一般企業に就職しようとしたが、面接は惨敗続きだった。
履歴書には7年もの空白期間が刻まれている上に、その間のことを美百合は上手く説明できなかったのだ。
そうそうに美百合は就職活動を諦め、別の方法で生計を立てることにした。
イドルディアでの7年間で身に着けた知識と経験。それらを活かすことのできる職に就くしかないと思った。そして、両親と『とある人物』の援助を受けて、今年になってようやくカフェ『GARDEN』を開くことに成功したのだ。
大変なことばかりだったけれど、カフェの経営もようやく軌道に乗り始め、すべてが好転していくかと思われた矢先のこと。
忘れたいと思っていた男が、またもや美百合の前に現れたのだった。
プドルシア王国第一王子フィリップ・プドルシア。
昔はあんなにかっこよく見えていたフィリップの顔は、記憶の中よりやつれ、覇気がないように見えた。
美百合はショックから立ち直ると、努めて冷静な声を出す。
「……フィリップ殿下。いったい何をしにこちらにいらしたのですか」
「ああ、ミユ……そんな他人行儀な喋り方はやめてくれ。私たちは婚約した仲ではないか」
ミユ。
イドルディアにいた時、フィリップは美百合のことをそう呼んでいた。
彼がその名を口にする度に、少女だった時の美百合は甘い疼きを覚えたけれど、今は背筋がぞわぞわとするだけだった。
美百合は真正面からフィリップの顔を見つめた。彼の双眸には面差しと同じく、憔悴の色が深く刻みこまれている。
「私の記憶が正しければ、その関係をなかったことにしたがっていたのはむしろ殿下の方ではないでしょうか」
その発言をどうとらえたのか、フィリップはほほ笑んだ。
駄々をこねる幼子を前にした時のような、「仕方がないなあ」という感情がこめられた表情だった。
「ああ、わかった。君は少しすねてしまっているようだ。無理もない。私とリリーとの仲にやきもちを焼いてしまっているのだろう」
彼が他の女の名前を口にしたところで、美百合はもう何とも思わない。
その女がフィリップが熱を上げて自分を捨てることになった原因である女の名であろうとも。
「安心してくれ。彼女とはもう何の関係もない」
「あなたと彼女がどんな間柄であろうと、今の私は何も思いませんが」
「そうか。それならよかった」
フィリップがそう言うと、美百合の背筋がまたもやぞわぞわっとなった。
はっきりとしない気色悪さとは異なり、今度のは明確な「嫌悪感」だった。
フィリップは「仕方がないなあ」という表情を浮かべたまま、美百合に近寄って来る。美百合は咄嗟に後ずさり、拒否の言葉を口にしていた。
「近づかないで」
「どうしたんだい、ミユ……。私が少しの間、君に構わないでいたせいでへそを曲げてしまっているのか? 安心してほしい。会わないでいた間も私は常に君のことを考えていた。私と君は、異界という壁も、2年という歳月をも飛び越えて、ずっとつながっていたのだ」
別にそんなつながりは求めていないので、永遠に1人でどこかを飛び続けていてほしい。
そう思いながら、美百合はきっぱりと言い切った。
「殿下、はっきりと申し上げます。私はもう二度とイドルディアには戻りません」
その言葉でフィリップの顔から、さっと笑みが消える。
「どうしてだ……。君が去ったせいで私は大変な目にあったのだぞ! 私は父からも、弟たちからも、国民からも責められた。なぜ聖女を勝手に国に帰したのだと!」
「私が日本に帰ることになったのは、皆が承知していたことではなかったのですか」
「それは、その……私はよかれと思って。君のためにやったんだ! ほら、君だって国にあんなに帰りたがっていたじゃないか!」
君のために――彼と別れる際にも聞かされた言葉だ。
これほど腹の立つ台詞があるだろうか。
本当に美百合のことを考えてくれているのなら、もう二度と自分の前に顔を出さないでほしかった。
目の前が赤くなるほどの激情が湧き起こる。美百合は感情のままに声を荒立てていた。
「確かに転移した直後はそうでした。帰りたいと泣いたこともありました。でも、7年です。私は7年もの間、イドルディアで暮らしたんです! もうとっくにそんな気持ちはなくして……いえ、故郷のことを忘れようと努力して、自分はこの国で生きていくんだと決意していたんです! その気持ちを踏みにじったのはフィリップ殿下! あなたじゃないですか! 他の女性に惚れこんで、私の存在が邪魔になったからって!」
「彼女のことはほんの一時の気の迷いだ。それに彼女とは別れさせられたから、安心してほしい」
「帰ってください! 私はイドルディアに戻る気はありません」
「君なしでは帰れない!」
フィリップは駄々をこねるように叫んだ。秀麗な顔付きが歪むほどに、怒りの感情を露わにしている。
「君のせいで、私は散々な目にあった! 王位継承権を剥奪され、王宮を追放されたんだ!」
美百合は呆然とした。
あんまりな台詞に立ちくらみを起こしそうになったほどだ。
美百合を日本に帰したのは他ならぬフィリップだ。それも話を聞く限り、独断でやったことらしい。その責任を美百合に追及しようとは、どれだけの恥知らずなのだろうか。なぜ数年前の自分はこんな男に惚れこんでいたのだろう。
美百合は頭痛がしてきて、頭を押さえた。
と、その時だった。
「何をしている!」
鋭い声と共に、奥の部屋から青年が現れた。その青年は2人の間に割って入り、美百合を守るように立ちはだかる。
背が高く、鍛えられた体つきは均整がとれている。一部の隙もない立ち姿と相まって、現代日本ではそうお目にかかれない武人然とした男だ。綺麗なプラチナブロンドと碧眼。愛想のない眼光は敵手を捉えた矢のように相手を鋭く射抜く。いかにも鎧と剣が似合いそうな立ち姿をしているが、男がまとっているのは黒いシャツとエプロンである。
彼はこの店の従業員だ。名はリーヴ。店を立ち上げる前から美百合を支えてくれた男だった。
リーヴはフィリップの顔を見て、唖然としたように目を丸くした。そしてフィリップもまた、リーヴの顔を見て驚愕していた。
「リーヴ!? お前、こんなところで何をしている!」
「フィリップ殿下!?」
2人は同時に声を張り上げた。
リーヴ・ファルーク。
彼はフィリップと同じく、イドルディア出身の男だった。
フィリップは混乱したように声を上げた。
「2年もの間、どこで何をしていたのかと思いきや……お前、こちらの世界に来ていたのか!」
「フィリップ殿下、ご無沙汰しております」
リーヴは胸に手を当てて、敬礼をした。滑らかで無駄のない動作は、やはり武人然としたものだった。フィリップはよほど衝撃を受けたのか、口を開けたり閉じたりして、リーヴのことを凝視している。
「我が国の騎士団を束ねるという名誉ある職務を放り出して、よもやこのような場所に居ついていようとは! 父上が知ったら、さぞお怒りになるにちがいない!」
「私がこちらの世界で美百合殿にお仕えしていることは、国王陛下もご存じのはずですが」
「……何だと?」
フィリップは何も聞かされていなかったらしく、寝耳に水といった顔をしている。
「もちろん、それも私が美百合殿の助けになりたいと願ったからですが……。陛下は私の意を汲んでくださり、騎士団を辞職することも認めてくださいました」
「そ、そんな……そんなこと、私は何も聞かされていない!!」
と、フィリップは喚いているが、リーヴの話はすべて本当のことだ。
美百合が日本に戻って来た時、すぐにリーヴが後を追ってやって来た。
リーヴは国王の署名が記された手紙を持っていた。そこにはフィリップが行ったことに対する謝罪と後悔の念が記されていた。国王からは謝罪と今までのお礼の品として黄金や宝石が贈られた。それらを売ることで、美百合はカフェを経営する資金を得ることができたのだ。
更にリーヴは美百合の助けになりたいと、そのまま日本で暮らすことを決めた。この2年間、美百合をそばでずっと支えてくれたのはリーヴだった。
フィリップは蒼い顔で美百合とリーヴのことを見ていたが、何かに気付いたようにハッとした。
「リーヴ……貴様、まさか私の婚約者に手を出したのか! 王家に仕える身で王子の婚約者に手を出そうとは、何たる不敬か!」
と、リーヴに食ってかかろうとする。が、フィリップがくり出した拳はあっさりと受け止められる。リーヴは鮮やかな身のこなしでフィリップを床に放り投げた。
フィリップは目を白黒させながらリーヴを見やる。その視線に答えるリーヴは、冷ややかな面持ちを浮かべていた。
「元・婚約者だろう。彼女との関係を白紙に戻したのはあなただ」
リーヴの力強い眼光に押し負けて、フィリップは首をすくめた。それから美百合にすがるような視線を向ける。
「ミユリ! 君ならわかってくれるはずだ! 私はもうイドルディアに居場所がない。誰も私を助けてくれないんだ。だが、君を国に連れ戻すことができれば、父上や国民たちも私のことを見直してくれるはず。頼む、私と共に帰ってくれ……!」
「それは大変ですね」
と、美百合は冷静な声で答えた。
「でも、つらい時こそ1人でがんばらなくては。あなたはプドルシア王国の第一王子なんですから」
「なぁっ……!?」
今度はフィリップは顔を真っ赤にした。
と、その時だ。
フィリップの足元に輝く魔法陣が現れる。美百合にとって見覚えのある紋様だ。日本からイドルディアに転移した時、また、イドルディアから日本に帰還した時にもこの魔法陣が現れた。
フィリップはハッとして足元を見やる。それから顔を蒼白にした。
「まさか、父上が私を……! いや、だめだ、そんな……! 私は帰りたくない!」
慌ててそこから飛びのこうとするが、体勢を崩して倒れこんでしまう。
フィリップは必死な形相で美百合へと手を伸ばす。
「助けてくれ、ミユリ! やだ、いやだあああ、帰りたくないい!」
それが彼の最後の言葉だった。
フィリップの体が光に包まれ、次の瞬間には消えていた。
美百合とリーヴはしばらくフィリップがいた空間を見つめていた。それからふと視線を移して、目を合わせる。お互いに肩の荷が下りたように面差しを和らげた。
「……あなたは本当に帰らなくていいの? イドルディアに」
美百合が聞くと、リーヴは小さく笑った。
「言ったはずだ。私はあなたの助けになるべくこちらの世界にやって来た。そして、それは私自身の意思でもある」
真摯な眼差しで答え、美百合の手を握る。
「これからもあなたのそばにいさせてほしい」
「ありがとう、リーヴ」
と、美百合は照れ笑いをする。
「コーヒーでも淹れましょうか」
「ああ。あなたの淹れるコーヒーは本当に美味しい」
「なんたって、聖女ですから」
美百合はくすくすと笑いながら答えた。
美百合にとって嬉しい誤算が1つ。
それはイドルディアから日本に戻って来ても、聖女としての能力が消えなかったことだ。
美百合が淹れるコーヒーや紅茶はもちろん、彼女が調理する野菜や果物は絶品だった。
異世界に転移して、また日本に帰されてしまったけれど、今ではこれでよかったと美百合は思っている。
――そのおかげでこうしてカフェが繁盛してるんだもの。
美百合は上機嫌に思って、リーヴの手をきゅっと握り返すのだった。
『異世界転移して世界を救ったら、「もう用済みだから」と現世に帰された私。今さら戻って来てくれと言われても困ります!』終
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