放送事故?
とある音楽家が、とある演奏会にて、演奏開始から目の前にある楽器に全く手をつけず、つまり演奏せずに演奏の終了までそのままただ座ってるだけの演奏があったんだと。そしてその音楽家はその演奏の題名を四分なんちゃらやらいう、演奏の時間、秒数そのままにしたんだと。こういう演奏がかつてあったという事実を知ったのは随分前のことだが、知った当時はへえ芸術と言うものも極地まで達すると全く意外なものまで芸術になってしまうものなのだなと感心した。何もしないのをそのまま演奏としてしまうなんて、乙というか何というか、一種のおしゃれにすら感じてしまう。でも、会場で目の前で聴いていた人たちは、驚いたに違いない。さあ演奏が始まりました、耳を澄まします、ん? あれ? おかしいな、何も聞こえてこない。よく見ると、あそこに座っているあの人は何もしていないぞ、どういうことだ、目の前に楽器があるのに手にもつけていないぞ、なぜなんだ、ざわざわざわ。そうこうしているうちに観客のざわめきの中演奏者、になるのだろうか、はいきなりすっくと椅子から立ち上がり、観客席に一礼、舞台を後にする。残された観客たちは何のこっちゃわからない、罵声が飛んだのかどうかはわからないが、前もって触れ込みはあったのだろうかあったのならば問題はないが、おもしろいのは触れ込みがなかった、パンフレットの類に本日の演奏は何もいたしませんそれが演奏でございといった事前の断りがなかった場合である。観客目線で考えたら滑稽極まりない、高い金を払って来たのに出て来た人は何もせず椅子に座ってぼーっとしているだけ、挙句、その時間をそのまま演奏名にしてしまうのだから、馬鹿にしてるのかという話になっても仕方ない。一体何を考えて演奏者はそんな職務怠慢みたいなことをしたのか、劇場関係者やスポンサーやらとけんかでもしたのかそれで腹いせに何もしないでいてやるとなったのか。いや確かに後世評価されたのかもしれないけど当時は何をしているんだと大バッシングの嵐だっただろう、だって楽器を使って演奏するという演奏会なのに楽器に触れもせずにはいこれが演奏ですなんて、いや、虫がよろしすぎる。でもまあ確かに言われてみれば芸術的と捉えることもできなくはないかもしれないが、単に演奏するのがめんどくさくて何となく演奏しなかったらそれが上手いこと時流に乗って評価された、なんていうのなら、運が良いの一言である。ちきしょう、羨ましいぜ。