2話
茨木童子とは、かつて酒呑童子という鬼と共に京を荒らしたとされる妖怪である。己の欲望のままに暴れたり、貴族の娘を誘拐したりなど多数の被害が出たため、やつらの拠点大江山での討伐作戦があった際に唯一生き残ったと言われている。
その後、渡辺綱と一戦を交えた後消息不明となり、一度も姿を現してないことから渡辺綱につけられた傷により死んだと言われているのである。
誰かが死体を確認した訳ではないが、それでも目の前にいる鬼が茨木童子であるということを、美乃里はそう簡単には信じられなかった。
「あなたが茨木童子?ふざけないで。茨木童子は千年も前に死んだの。嘘言わないで!」
その言葉に茨木童子は驚く。
「千年?そんなに時が過ぎていたのか。まぁ確かにそれだけ姿を現さなければ死んだと言われても仕方ないか…」
茨木童子は一人納得するが、美乃里はそうはいかない。
もしも本物の茨木童子ならば、ここで逃がす訳にはいかない。それは、陰陽師としての義務だけではなく、それ以外にも茨木童子を放置することができない理由が美乃里にはあったからだ。
予定変更。当初の予定では隙をついて逃げるつもりだったが、とある理由でそれができなくなった。最悪の場合、相討ち覚悟でこの鬼を仕留めなければならない。
「それで、聞きたいことってなに?」
とりあえず、美乃里は隙を窺うための時間稼ぎとして会話を続ける。聞きたいことがあるのは美乃里も同じなのだ。
「聞きたいことは二つ。まず一つ目は、あれについてだ」
そう言って茨木童子が指を指したのは、先程倒したハーピーだった。
「あのような怪鳥、俺は見たことがない。最近はあのような奴ばかりなのか?」
「その質問に答える前に、確認したいことがあるのだけど」
「なんだ。それは俺の問いに答えるのに必要なことか?」
「えぇ、でないと答えられないわ」
美乃里がその質問に答えるためには、茨木童子がどの程度今のこの国の現状を理解しているのかを把握しなければ答えられない。なぜなら、この鬼は現れた時に気になる発言をしたからだ。
ーー「俺の眠りを妨げる」ーー
そして、もう一つ茨木童子が生きていた時代からどれだけ時間がたったのか把握していなかった。つまり、茨木童子は千年前から今までずっと眠り続けていたのではないかという推測ができる。
「もしあなたが茨木童子であったとして、今まで表に出ずに千年もの間一体どこで何をしていたの?」
質問をすると、なぜか茨木童子は己の左腕を見た。そして、腕を回したり手のひらを開いたり閉じたりして動かす。ひとしきり動かして満足したのか、改めて美乃里に向き合い質問に答えた。
「寝ていた」
「なぜ?」
「俺は眠りにつく前、渡辺綱と一戦交えたのだ。その前から連戦続きで消耗していた俺は、綱と戦った時に左腕を切り落とされ、妖力もギリギリまで使い瀕死の状態だった。傷を癒すために残りの力を全て使い、陰陽師達に見つからないよう結界を張り眠っていた。そして先程、あの怪鳥の鳴き声で起こされた。まあ、この通り傷は回復しているので問題はないがな」
「そう。じゃあ眠っていた時のことは何も分からないの?」
「あぁ」
茨木童子と渡辺綱の戦いは実際にあったことだ。その戦いの後、茨木童子は消息不明になっているので辻褄は合う。
「じゃあ、何も知らないのね。いいわ、今のこの国について教えてあげる」
そう言うと、美乃里は日本の現状について話し始めた。日本妖怪が弱体化し絶滅の危機に瀕していること、他の国の妖怪に狙われていること、そして陰陽師が妖怪達を守っていること全て話す。
話し終えると茨木童子はなんとも言えない顔をする。
「情けない。妖怪でありながら陰陽師に守られるなど…。お前達陰陽師に関しては阿呆と言うか、自業自得としか言えないが。どちらも馬鹿なのか?」
その言葉に今度は美乃里が顔をしかめた。
そもそも、妖怪達を絶滅させる勢いで討伐したのはご先祖様達であるので、美乃里は関係ない。しかし、先祖が犯した罪は子孫である美乃里が償わなければならないので何も言い返せず、眉間にどんどん皺がよっていく。
ただ話しているだけに見えるが、美乃里は話しながら相手の隙をずっと窺っていた。だが、その機会は訪れない。よそ見をしている時も攻撃をすれば殺される、そんなプレッシャーをずっと感じていた。
「とりあえずこの国の現状はだいたい分かった。いろいろと思うところはあるが、それはまあいいだろう。
さて、二つ目の質問だな。こちらの質問の方が俺にとっては重要だ、なので正直に答えろ。答えによってはお前を殺す。よく考えて答えを言え」
一段と周囲の空気が重苦しくなる。先程までのプレッシャーが可愛く思えるような緊張感の中、美乃里は震えそうになる体を必死におさえつけ、言葉を待つ。けれど、聞かれた次の質問の内容にその努力は無駄となる。
「どうしてお前から我が友、酒呑童子と似た気配がするんだ?」
その言葉に美乃里の体が大きく震えた。動揺を隠すことが、表情を取り繕うことができなかった。
「……そんなに似ている?」
「まったく同じという訳ではないが、似ているな。偶然で妖怪である酒呑童子の発する妖力と人間であるお前の発する霊力が酷似することなんて普通はあり得ない。だが、お前から発せられる気配はとてもよく似ている。だから気になるんだ」
「…………………そう」
美乃里は目を閉じ、深呼吸をしてなんとか気持ちを落ち着かせる。妖怪相手に無防備もいいところだが、それを気にする余裕はなかった。
深呼吸を繰り返し、ある程度気持ちが落ち着いたところで改めて茨木童子と向き合う。
「あなたの言う通り普通であれば妖怪と人間が似た気配を持つなんてあり得ない。だけど私と酒呑童子は他人とは言いきれない。なぜなら_____」
美乃里は馬鹿だと言われた時よりも、更に顔を歪めた。そして彼女にとってはなによりも忌々しい事実、質問に対する答えを口にした。
「____なぜなら、酒上家は昔から続く陰陽師の家系でありながら、一族から鬼を出してしまったの。つまり、酒呑童子が生まれた家の一族の子孫なのだから……」
そう言った美乃里の瞳には隠しきれない憎悪と悲しみが滲んでいた。
**********
酒上家は昔から霊力が高い子供が生まれやすい血筋だったため、優れた陰陽師がたくさんいることから名門といわれていた。
しかし、その栄華は永くは続かなかった。その理由は酒呑童子という鬼を一族から出してしまったためである。並みの妖怪ならまだしも、京の都で悪逆の限りを尽くしその名を轟かせてしまったため、悪鬼を生み出した一族として他の陰陽師や貴族達の信頼を失い没落していった。
だが、能力の高さは秀でていたため命を奪われることはなかった。その代わり罰として霊力の高い子供が生まれた場合は必ず陰陽師となり奉仕をすることを義務付けられたのだった。
それは、千年経った現代も変わらない。陰陽師でありながら同じ陰陽師に蔑まれ、どんなに肩身が狭くても死ぬまで辞めることは許されない。
美乃里も幼い頃から他の陰陽師達に蔑まれ、同じ一族の仲間にさえ邪険にされてきた。その理由は美乃里の持つ瞳にある。美乃里は生まれつき青い瞳を持っていた。霊力の高い人間も妖怪と同じように外見に特徴が現れることがある。酒呑童子も青い瞳を持っていたといわれているため、不吉の象徴として忌避されているのだ。本来であれば陰陽師は二人一組で任務に行くのが基本だが、美乃里は常に一人で行動をしている。そんな不吉の象徴と誰も組んでくれる物好きはいないからだ。
なので美乃里がこのような状況を作り出した酒呑童子を恨むのは仕方のない話だった。
「あの鬼のせいで、私が……私達がどれだけ苦労したと思っているの。それは、あの鬼と共に行動し悪事を働いたお前も同罪。
目覚めたばかりで悪いけど、あなたには死んでもらうわ」
そう言って銃口を向ける。相手は悪名高き茨木童子。目覚めたばかりとはいえその力は自分よりも上である、そのことを美乃里は自覚していた。倒すことはおそらく不可能、良くて相討ち最悪一矢報いることができれば十分だろうと思っていた。
これ以上、ずっと邪険に扱われてきたとはいえ酒上家の人間として、一族の汚名を増やす訳にはいかない。
「待て、なぜ戦うことになっているんだ。」
「陰陽師と妖怪が出会えば戦うのは当然のことでしょう?」
茨木童子は美乃里の態度に溜め息を吐く。
「妖怪を守るのがお前の仕事じゃなかったのか?」
「あなたのように人に害あるものは討伐対象よ」
変わらない美乃里の態度に再度溜め息を吐く。
「まったく、話の途中だろう。人の話はちゃんと聞くものだぞ」
「あなたは人じゃないし、話しは聞いているわ」
「それは屁理屈だろう。そのように武器を構えている時点で聞く気がない証拠だ。
もし戦いになれば、お前に勝機はないぞ。それくらいは分かっているだろう。俺に戦う意思はないから、その武器をしまったらどうだ」
本当に茨木童子には戦う意思はなかったが、美乃里の態度は変わらず武器をおろす気配はない。
この状況ではゆっくり話をすることもできない。茨木童子はどうしたものかと考えて、ある作戦を思いついた。
「…………っ、誰だ!!」
茨木童子は美乃里の後ろにある林を睨みながら叫んだ。
ただごとではないその様子に美乃里は思わず後ろに振り向いた。しかし、そこには誰も居ずただ草木があるだけ。騙されたと思い振り返ろうとするも、すでに遅かった。両腕を掴まれ動きを封じられる。掴まれる力が強く振りほどくことができない、ならばと思い自由に動く足で蹴りをいれようとした。
「だから待てと言っているだろう。」
「なっ!?」
____蹴りをいれようとしたができなかった。振り向くと茨木童子の顔が目の前にあったのだ。お互いの鼻先がくっついてしまいそうなほどの距離に、美乃里の顔が赤くなっていく。恋愛経験が皆無で男性に対する免疫が全くない美乃里には、人外の美しさを持つ茨木童子との至近距離は心臓に悪かった。反撃するのをすっかり忘れて立ち尽くしてしまう。
茨木童子はおとなしくなった美乃里の様子に満足そうな笑みを浮かべる。
「ようやくおとなしくなったか。まったく、手間のかかる奴だな…」
「…………して」
美乃里がうつむきながら何かを囁くが、声が小さすぎて茨木童子に届かない。
「なんだ?」
「……話をちゃんと聞くから!お願いだから離してっ!!」
羞恥心が限界に達し美乃里は思わず叫ぶ。茨木童子は先程までと違い、顔を真っ赤にし若干涙目になっている美乃里の変化に驚きつつも、話を聞く気になったと分かり要望通りに手を離した。
「それで、話ってなによ!」
美乃里は距離を取りつつ、半ば自棄になりながら尋ねる。
「お前に提案があるのだ」
「提案?」
「あぁ。お前の様子を見るに、俺をこのまま逃がすつもりはないのだろう?」
「当たり前でしょう。ここで見逃したとしても、必ず私に討伐命令がくるはず。今戦うか後で戦うかの違いよ」
今日のことをもし報告しなかったとしても、茨木童子の存在がばれるのは時間の問題だろう。これほどまでの妖力を持つ妖怪を他の陰陽師が見逃す筈がない。
仮にここで見逃したとしても、確実に討伐命令は美乃里にくるはずだ。倒しきることなどできないと分かりながら、使い捨ての先鋒として情報を持ち帰るか、最悪死んだとしても誰も困ることなく相手の力を少しでも削るための駒として。
そんな奴等にいいように利用されるくらいなら、ここで戦って死んだ方が遥かにましだと思った。
「それなら、良い案がある。どちらも損をせずに済むがどうする?」
「その内容は?」
そんなものあるとは思えなかったが、話を聞くと言った手前、美乃里は半目になりながらも続きを促す。
そして、茨木童子は得意気な笑顔でとんでもない爆弾を投下した。
「お前が俺と主従契約を結べば良い。俺は目覚めたばかりでこの時代については全く分からないから案内が欲しい。お前は俺を式神として使役すれば、俺という戦力を手に入れ行動を監視することができる。お互いにとって利益しかない提案だと思わないか?」
「…………………え?」
その内容は、美乃里の思考を停止させるのに十分な威力を持っていた。