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え? 誰もいないのに綺麗な街ですか!?

私は誰だ……?

私は人間だ。

違う、これは質問の答えになってない。

私は誰だ……?

私は日本人だ。

これも違う、やはり質問に答えていない。

私は誰だ……?

私は……


誰なのだろうか?

人間には名前があるはずだ。

しかし思い出せない。私は何をしていた人間だろうか? 学生? それとも労働者?


いや、当分はなんでも良いのかもしれない。

私はあたりを見回してそう思う。街だ、ここはたしかに街である。


レンガ造りの建物が並び、道路もアスファルトではなく石を敷きつめて舗装されているが、紛れもなく街である。


私の知らない街だ。およそ日本的ではない街。そして何より不気味だったのが、この街から人の気配を感じないことだ。


時間はわからない。しかし太陽は登っている。昼間だ。本来なら誰かが経済活動をしているであろう時間。


しっかりと舗装された道を少し歩くと、市場らしき場所に出る。しかし、そこにも人はいない。店はきちんと清潔に保たれている。本来は誰かが居るべき場所なのだ。


ここが廃墟ならば、人がいないことにも納得がいく。しかし、清潔で、整備され、破壊された痕跡の無いこの街に人がいないのは何故なのか?


私は好奇心に任せて、パン屋の中に足を踏み入れる。看板には日本語で「ジェファーソンのパン屋」と書かれていた。なぜ日本語がここに……?


出入り用の扉のないそのパン屋は、やはりホコリひとつない清潔さを保っていた。木で整えられた床は、泥ひとつついていなかった。しかし、肝心のパンは陳列されていなかった。


誰もいないのだ。パンが陳列されていないのも当然、なのだろう。


当然、なのだろうか……?


誰もいない、パンを陳列する人もいない。ならば、パンは陳列されないはずだ。これは正しい。


しかし、それはこの街の状況と矛盾する。では、誰がこの街を、この店を清潔に保っているというのだろうか?


私はその謎と格闘しながら、パン屋の奥へと進んでいく。そして、扉を抜けると厨房に着いた。まだ生っぽいパン生地が適当なサイズで、並べられていた。かまどに入れれば、直ぐに美味しいパンになるだろう。


そして、かまどの方には焼きあがったパンが山積みにされている。そのうちの一つに触れると、暖かかった。


そう、暖かかったのだ。


誰かがついさっき、かまどから出した……では誰が?誰もいないのに。


私は手に取ったパンを1口かじった。どうやら、中にマーガリンかバターが入れられていたようで、甘い味が口に広がる。


見咎める人もいないのだ、そして私は空腹なのだ。そういうわけで私は、そのパンを3つ食べる事にした。


食べながら私は考える。パンはついさっき、かまどの中から取り出された。つまり、誰かがここにいたはずだ。


一方で、この時間までパン屋は陳列をしていなかった。つまり、まだ営業時間ではない……そんなはずはない。太陽の角度からして、既にお昼は回っている。パン屋が余程怠惰でないかぎり、既に開店しているべき時間である。


私は誰で、どこにいるのだろうか……?


「手を挙げて」


考えふけっていたからだろうか、後ろから近づいてくる足音を聴き逃していた。そして、その声でようやく私以外の存在に気づいた。


手を挙げて、と語りかけるとき、その発話者の手元には人を殺せるような道具が握られていると考えるのは当然。


私はすぐにでも声をかけてきた彼女に、様々なことを尋ねたかったが、興奮を抑えて、両手を上げて立ち上がる。そしてゆっくりと振り返る。


ようやく、誰かに会うことが出来た。この感動は何にも変え難い。私は誰か? というアイデンティティも、他の誰かがいないと成立しないのだ。


もちろん、私は警戒を怠らない。たとえ、目の前にいる女の持っている物が、木の枝だとしてもだ。


「なぜ、この街には誰もいない?」


私は女にそう尋ねた。


「あなたはどこから来た?」


女は私にそう尋ねた。


会話にならない、が努力しなくてはならない。


「私は自分がどこから来たのか、ハッキリとは覚えていない……自分が誰なのかすら、曖昧だ」


「質問の仕方が悪かったわね、あなたは日本人?」


「僕達は今、日本語で会話しているじゃないか? なぜ、そんな質問を?」


私がそういうと、女はため息をつきながら、木の枝を下げた。西部劇ごっこ、だろうか……?


「そう、まずは日本人、と。では次の質問よ」


「あんたは何を言ってるんだ? まず、私の質問に答えろ。なぜ、この街には僕と君しかいない?」


「それは、あなたが私の質問に答えてくれたら、教えてあげるわ」


そういうと、女は再び木の枝を私に向けた。警戒させてしまったのだろうか? しかし、そんな木の枝がなんの役に立つというのだろうか。


「あなたは、いつの時代の日本人? えぇっと、日本人という言葉を解している感じ、明治以降の日本人だというのはわかってるわ」


「いつの時代、だと?」


質問の意図が理解できなかった。しかし、その質問に答えようとして愕然とする。私は自分が日本人だということは覚えていたが、いつの時代の日本人かは全く思い出せなかったのだ。


「すまない……思い出せない」


「困ったわね。仕方ない。ついて来て、あなたの質問にはそこで答えるわ」


女はそういうと、私に背を向けて歩いてゆく。最初は枝を人にむけるほど警戒されていたというのに、あっさりと背中を見せられるというのは、違和感を覚える。


多分、この女は人を警戒するような場面に出くわした経験が少ないのだろう。だから、詰めが甘い。


逃げ出そうと思えば逃げ出すことも出来たが、逃げた先に宛がある訳でもない。なによりも、この女が私に危害を加えるといった予感もない。


私は、女について行くことにした。



私と女は無人の街を無言で歩いている。目的地に着いたら説明してくれると言っていたので、わざわざ女について聞くこともしなかった。話すこともないような気がして、ずっと私自身について考えていた。


私は誰なのだろうか?


私は既に、何度もこの問を自らに向けている。何度も何度も、ことある事に向けている。これからも、そうだろう。


不安なのだ。


自らが誰であるかを規定できない、私自身の存在を定義できない。宙ぶらりんな存在であることが、不安なのだ。


民族主義者や神秘論者が、民族や神にその規定を求め、自らを定義しようとしたのは、おそらく本能的な振る舞いだったのだ。私は今、そのことを非常に強く認識している。


そういう意味では、私が自らを「日本人」と自覚していたことは幸運だったかもしれない。自らの失われた規定を「日本人」に置き換えることが出来るのだ。


しかし、それがなんの役に立つのだろうか? ここは恐らく、日本という国ではない。それはあの女との会話からして明白だ。ならば、日本人であるという規定は、無意味だ。誰も私を日本人として認識しないのだから。


いや、あの女はそうだった。私にたいして「日本人か?」と尋ねた。その意味はおそらく、アイデンティティーを共有する存在かを測りたかったのだ。そうして、日本人という膜で外敵と「私達」を区分する事で、安定を保っている。そう考えるのが自然だろう。


逆に考えれば、私自身について、求められる自覚は「日本人」ということに限られる……はずだ。いつの時代か? などと訳の分からぬ事を聞かれたのは忘れよう。そう、忘れるのだ。


とにかく、私は「日本人」と自覚することによってアイデンティティーを共有する友好的な存在を獲得できる。私とあの女は、ある意味でひとつの共同体を組織できるということだ。


ここで、私の思考は現実に戻った。同じ道をぐるぐると回っているように感じたのだ。


「迷子になったのか?」


私はつい、そう尋ねた。


「確かに、同じ道ばかりを通っているようで不安になるよね。でも、この道であっているよ。この町全体がひとつの魔法陣になってるんだ。えぇっと例えばこうして……」


魔法。あったな、そんなもの。


私は女の話を聞きながら、そんなことを思った。


魔法陣が一体何かは知らないが、魔法なら身に覚えがある。道理を自身の中でより抽象化して、ねじ曲げる。本人が出来ると思っていることは、大抵実現できる便利な物だ。


「さて、着いたわ」


女はそう言って、マンホールを持ち上げた。


この道は数度通ったが、マンホールは1度も見かけなかった。というより、この街のどこを見てもマンホールなどない。つまり、これは女の言っていた魔法陣による効果なのだろう。


中に入ると、これまたなんとも言いようがない空間が広がっている。


まだ1話ですけれど、コメント、ブックマークをいただければ励みになります。

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