リピートボタン
翔ちゃん……。
優しかった、翔ちゃん……。
キラキラした笑顔でよくスキップをしていた翔ちゃん……。
時代遅れの流行歌が好きで、ところかまわず鼻歌を歌っていた翔ちゃん……。
中学三年生のとき、突然病気で死んでしまった翔ちゃん……。
大人になった私は疲れ果ててしまいました。
もう、あなたのところへいってもいいでしょうか?
リピートボタン
私はペン縦にしているマグカップからカッターナイフを手に取る。
ジリジリと刃を出した。
とても無機質な刃……。
空虚で、なんの力も込められていないような――。
でも、所詮人間の死なんかこんなもの。
あんなに輝いていて、生命そのものに思えた翔ちゃんでさえ、
あっけなく死んでいったのだから。
「ふぅ」
私は小さくため息をついて、無機質な刃を手首にあてがう。
痛いのかな……。
怖いけど……。
「…………」
……………………。
……………。
……。
「くぅ――」
力を込める。
刃が薄く肌にめり込む。
痛い。
うっすらと血が滲み出てきた。
このまま右手を引けば――。
「バカッ!!」
「えっ!?」
突然聞こえてきた怒鳴り声。
誰もいないはずの部屋なのに。
振り返ると、
「うそ……」
翔ちゃんが立ってた。
「なんで……?」
「お前がバカなことしようとするからだろ!」
翔ちゃんは怒ってる。
でも、私がとっくに失ってしまったものをしっかりと携えて立ってる。
キラキラとした瞳で――生命そのものと思えた輝きで――私を見てる。
「そんな……だけど、死んじゃって――」
「ああ、俺は死んだよ。でも、死んでからもずっとお前のこと見守ってたんだ」
翔ちゃんはそっぽを向いて口を尖らせる。
照れくさがってるときの翔ちゃんの癖。
あの時のまま。
「夢の中だけど、お前の愚痴とかけっこう聞いてやってたりするんだぜ。憶えてないのか?」
「憶えて……ない……」
「まぁ、いいけどさ。それは。ともかく、悪いことはいわん!自殺なんかやめとけ」
「…………」
私は俯く。
死んでる翔ちゃんのほうが生命で、
生きてる私のほうが死みたいだ。
「だって、もう疲れたんだもん。翔ちゃんとこ……いきたかったんだもん」
「あんな。いいこと教えてやる。自殺しても俺には会えない」
「えっ?」
「死んでから世話になってる坊主に聞いたんだ。自殺して死んだやつってのは、大抵死んだときの痛みや苦しみを永久に繰り返してるって。魂になっても。もちろん、坊さんとかが供養して成仏できることもある。でも、なかなか難しいんだって。生きてるやつの協力がすごく必要だったりして」
「…………」
「だから安易に自殺なんてバカなことするな」
「バカなんて――翔ちゃんに言われる筋合いはないよ!」
私は思わず怒鳴ってしまう。
「子供の頃に死んじゃった翔ちゃんに私の気持ちなんてわかるはずないよ!」
酷いことを口走ってしまう。
「大人になって生きるの……生き続けるのって――ほんと、しんどいんだよ!?」
翔ちゃんが申し訳なさそうに目を伏せる。
涙が止まらない。
鼻水も。
私、今きっと酷い顔をしている。
私は力が抜けてしゃがみ込んでしまった。
「毎日、毎日――うんざりするくらい、人が詰まった電車で押しつぶされそうになりながら会社にいって。痴漢されても文句も言えないし。
会社では一生懸命がんばってるのに、怒られてばっかり。
同僚には素敵な彼がいて、友達は次々に結婚していく。
でも、私が好きになる人は、大抵みんな誰かのもの。
不倫だってした。でも、結局遊びだったんだって捨てられて終わり。なのに親は結婚しろ結婚しろってうるさいし。
もう、いい加減……休ませてよ――」
こういうとき、いつも考えてしまう。
翔ちゃんが生きててくれたらって。
そしたら私、こんなに惨めじゃなかったはずだって。
なんで死んじゃったのよ、翔ちゃん。
「知ってるよ。ずっと見守ってきたから」
「…………」
翔ちゃんが私の頭を撫でてくる。
子供のときのままの小さな手のひらで。
「ごめんな。力になってあげれなくて」
「…………」
「確かに生き続けるって厳しいみたいだな。子供のまま天命をまっとうできた俺のほうが、幸せだったのかもしれない」
「翔ちゃん……」
「それでも、俺はお前に生はきててほしんだ。俺の分まで」
翔ちゃんが私をぎゅっと抱きしめる。
温もりのない抱擁。
それでも私は確かに翔ちゃんに包まれている。
「いつか生きててよかったって笑えるその日まで――ちゃんと見守っているから」
「翔ちゃん」
「だから、今は――」
朝、目が覚めるとCDコンポから徳永の歌う『時代』が静かに流れていた。
手にはカッターナイフが握られている。
そうだ。
リピートボタンを押して、ずっとこの歌を聞いてたんだった。
いつの間にか眠ってしまって。
翔ちゃんがよく鼻歌を歌っていた歌。
けしてお世辞にも上手とは言えないけれど、でも翔ちゃんの優しさがそこにあった。
何でそんな古臭い歌、歌ってんの?って訊ねると、
『いいだろ?好きなんだから』って口を尖らせてから笑ってた。
「翔ちゃん……もう少しがんばってみる――」
私はカーターナイフを放り投げた。
数日後、会社の帰りに本屋に立ち寄ってみると、有線から中島みゆきの歌う『時代』が流れてきた。
そういえば、『昭和』のコンピレーション・アルバムがでたとかいってたっけ。
徳永のは持ってたけど、中島みゆきのは持ってなかった。
私は歌に誘われるようにCDコーナーへ足を運ぶ。
あった。運良く一枚だけ。
私がそのCDに手を伸ばすと、そのCDを求める別の手が私の手に触れる。
「あっすいません」
手はすぐに引っ込められて、男性の声が謝罪してくる。
私が顔をあげると、
「一枚しか残ってないすね。まいったなぁ」
若い男の人が困ったように笑っていた。
数年後、私はこの人と結婚した。