少年、未知の料理を試食する
「ふあ~…よく寝たっと…」
目元をこすりながら欠伸をして上の階から降りて来たサード。
昨日の夜は遅くまでこの店の新たなメニューをメイシと共に考えていた為に就寝時間がズレてしまい、いつもよりも遅めの起床となった。
メイシからは今日は店を休みにすると事前に聞いているので寝巻のまま下の階へと降りていく。
だが、階段を降りる途中で彼はその足を止めた。
「…何だこの臭い…」
鼻をクンクンと鳴らして異臭を敏感に感じ取るサード。
なにやら形容しがたい強烈な臭いが下の階から放たれているのだ。
「…ぐっ…クサ…」
異臭を感じてから更に2歩階段を降り足を進めると、ほんの僅かな移動でも異臭の濃度はガラリと変わった。
「うぐ…なんだよ…」
両手で鼻を押さえて口で呼吸をするように試みるサード。
鼻を押さえしかめっツラで下の階へと降りると、そこには机の上で突っ伏しているメイシとそれを不思議そうな顔で見ているレンゲの姿が在った。
サードが降りて来た事にレンゲが気付き、こちらへと手を振って来る。
「おはよーサード君。よく眠れた?」
「オ、オハヨ…それよりもレンゲ、この臭いは…」
「ああ、これは私が持ってきた新作料理の臭いだよ。中々食欲をそそる匂いでしょ!」
そう言って彼女は笑顔で異臭を放つ鍋を手に持って満面の笑みを浮かべる。
しかしそれとは対照的にサードはその鍋を見て表情が歪む。間違いなくこの店の中を包んでいる臭いの根源はあの鍋である。今は蓋をされているが、それでもあの鍋からは異臭が漏れている。
「メイシさん…机に倒れ込んでいるけど……」
「それが私の料理を食べた途端にこうなってね~…体調でも悪かったのかな…」
「いや…その料理を食べて体調を崩されたんじゃないの?」
サードがそう言うとレンゲは頬を膨らませて否定する。
「私の料理のせいじゃないよ! だってその証拠に私は味見したけど美味しかったんだもの!」
「……」
レンゲの言葉はハッキリ言って説得力が微塵も感じられなかった。
まだ料理の正体を見ていないにもかかわらず、臭いだけでここまで食欲を失せさせる料理なのだ。
「どんな料理を作って来たの…?」
ここまで逆の意味で注目を集める料理はある意味どんなモノか知りたい。
するとレンゲは鍋の蓋を取ってその中身を露わにした。
「じゃ~ん、レンゲさん作、イロイロお鍋! ひとしきり女性客の喜びそうな物な甘いものを取り入れ女性受けを狙った一品です!」
「うぐっ!?」
鍋の蓋を取った瞬間腐臭が一気に襲い掛かって来た。
鍋の中身は何やら紫色の液体で満たされており、その中に目を凝らすとイチゴが見えた。他にもいくつか変色しかけている果物が確認できる。
「……鍋を作ったんだよね? なんでイチゴが浮かんでいるの?」
「決まってるよ! 女の子はスイーツに目がないでしょ、だからだよ!」
「…今の短い文章で鍋の中で不憫に泳がされている果物たちの気持ちを理解することは出来ない…」
何とか頭を振り絞って出た答えは女の子は甘いものが好き、だからその甘いものをいっしょくたにする事でよりおいしい料理が出来上がるとでも思ったのだろうか? 悪ふざけでこんな危険物を持ってこられても困るが、もしも本気でこの料理を自信をもってメイシに出したのならば彼女は飲食店で働いている人間かどうか疑ってしまう。
だが、彼女はこの異臭を前にしても笑顔でいる。恐らく演技ではなく本気でこの料理の臭いを不自然だと一ミリたりとも思っていないのだろう。そもそもメイシに振る舞う前に自分で味見をして美味しかったと言っていたし……。
「でもなんで鍋を中心に考えたの? 果物を使う料理ならデザート方面で考えれば……」
「最初はそう考えていたんだけどね~。でもさ、料理って皆で食べると美味しく感じるでしょ。でも今までそう言う皆で箸をつつく類の料理の中には甘くて大人数で食べれる料理が無かったからさ。だからソコに目を付けたんだよ」
「それで鍋をチョイスしたんだ。まあ、確かに鍋物は大人数で囲んで食べるイメージがあるかもだけど……」
しかしだからと言って汁の中に果物をぶち込むのはいかがだろう?
「う~ん…私は美味しかったんだけどなぁ…」
そう言ってテーブルの上に置いてあるスプーンで鍋の中身をすくって口に運ぶレンゲ。
「うん、甘くて人気でそうだけどなぁ…ダメかな?」
「…一口くれる?」
できれば鍋の中身を直視したくはなかったが、一応店の為にと作ってくれたのだ。傍で突っ伏しているメイシの存在が気になるが、一応一口だけ味見する事にするサード。するとレンゲは嬉しそうに自分の使ったスプーンをサードに手渡した。
「うん、食べて食べて。せっかく作って来たんだから」
「え…あ…」
スプーンを握らされるサード。
たった今まで自分が好きな女の子が使っていたスプーン。思わぬところで関節キスを体験する事となった事に内心動揺していると、レンゲがからかってきた。
「おやおやぁ、もしかして関節チュー位で緊張しているのかなぁ」
「!? べ、別にそういう訳じゃないし…」
「も~、可愛い奴め」
ヨシヨシとサードの頭を撫でるレンゲ。
図星を突かれ恥ずかしくなったサードは誤魔化すようにスプーンを勢いよく鍋の中に突っ込み、その中の紫色の汁を勢いよく啜る。
怪しげな臭いと色を放つ液体が舌の上に運ばれた瞬間、サードは眼を大きく開く。
「うげぇッ!? 不味い!!」
「ええ、そんなオーバーな!」
「全然オーバー表現じゃない! まっず~~~~ッ!?」
サードが口に含んだ汁はとても甘ったるくあり、それとは正反対の苦みという味覚、さらには辛みまであり、最早味の統一が取れていなかったのだ。その上、風味までハッキリ言って臭いのだ。
ほんの少量飲んだだけでこの始末なのだ。御茶碗一杯でも飲む事が出来る人間など居ないと断言できるほどだ。
「もっと良く味わってみてよ~、はい」
「もういらないわ!」
鍋の中の廃棄処分確定の液体をスプーンですくいサードの口元にもっていくレンゲ。ほんの少量舐めただけで舌が麻痺する程の衝撃が与えられたのだ。こんな物は二口食べればどうなるか分かりはしない。
顔を背けて拒否するサードにレンゲが頬を膨らます。
「もぉ~、メイシさんはお椀一杯食べてくれたのに」
「お椀一杯!?」
こんな危険なシロモノをお椀一杯食べたと聞いて未だ顔を上げないメイシのことを驚愕の色を籠めて凝視するサード。
自分とは体内に取り入れた量がまるで違う。御茶碗一杯食べれば今の様に意識を失って当然である。恐らくわざわざお店の為に頑張ってくれたレンゲの気持ちを無下にしたくはなかったのだろう。その優しさが彼女の意識を刈り取って行ったのだ。
それにしてもここまで酷い料理を作る腕前もそうだがそれ以上にこの失敗作の料理を本当に美味しそうに食していたレンゲの味覚は果たしてどうなっているのだろうか?
「(これで美味しい美味しいと言えるなら不味いと感じる料理なんかないんじゃないの?)」
恐らく味覚が普通の人とはズレているのだろう。もしそうだとすれば今後は正直レンゲの力は当てには出来ない。この類の料理を店で出せば閉店コース一直線は間違いない。
「レンゲ…とりあえず、うぷっ…その鍋は片付けて」
「え~せっかく「片付けてくれる?」…はい」
渋っていたレンゲであるが、サードの光の消えた瞳ですごまれて大人しく鍋に蓋をして厨房へと持って行く。そして空気の換気の為に店の窓と入口をしばらく開けておく。それからしばらくしてメイシも目を覚ますのであった
「……ハッ! サード君…」
「おはようメイシさん」
「あれ…私は確か……」
途切れた記憶を遡ると、確か自分はレンゲの持ってきた料理を口にして……。
そこまで思い出すと先程の甘ったるい料理の味が蘇り思わず身震いしてしまう。そんな彼女を気の毒そうに見ていると、そうさせた製作者が厨房から戻って来た。
「あっメイシさん。良かったぁ~起きたんですね」
「え、ええ…時にレンゲ、あの料理はどうしたの?」
「サード君に言われて勿体ないけど処分しましたよ。もう…」
不満を滲ませるレンゲとは対照的にメイシはホッとした表情をする。
そんな彼女の反応に納得が出来なかったのか、ぶーっぶーっと文句を言うレンゲ。
「もう、どうしてそんな「あ、助かった」みたいな顔をするんですか?」
「当然の反応だと思うけど……」
食べるだけで意識を飛ばす料理が処分されたと思えばメイシの反応が一番正しいはずだ。少なくとも自分が同じ立場ならほっと胸を撫で下ろす。
まあ、それはさておき自分も何も良いアイディアが浮かんでいないが、レンゲが作って来た料理は完全にアウト。何一つ進展していない状況という訳だ。
「(いや…レンゲには悪いけどむしろマイナスかも…)」
レンゲの味覚がズレていることはあの鍋という名の味覚や嗅覚を狂わす破壊兵器を普通に食せる事からもう明白だ。そんな彼女が他にアイディアを出しても果たして役立つかどうか……。
つまりは同僚がアイディア貢献出来そうにない以上、自分がより知恵を振り絞らなければならない。
「(前途多難だなこれは…)」
小さくため息を吐きながらサードはメイシの方を見た。
彼女もレンゲに任せるのは危険だと判断しサードに小さく頷き同意する。
「(レンゲの気持ちは嬉しいけど、私たちが中心で考えて行かないと……)」
少なくとも彼女の意見を気軽に採用すれば店が潰れる。
そんな風に思われていると思っていないレンゲは気を取り直し新たなアイディアを二人へと熱弁し始めていた。




