少女、洞察をする
アゲルタムの街のいつもの訓練場では、ファスト達がいつもの様に訓練に励んでいた。だが、その中には今までには居なかった1人の少年が加わっていた。
ファストよりも一回り小さな少年、安腹亭の看板息子であるサードがそこには加わっていた。
彼は現在、ファストと組手を行っており、他のメンバーのサクラたちはそれを観戦している。傍から見ればサードが不利なように見えるが、実際は違った。
「ふっ! だあッ!!」
「ぐっ、やるな!」
サードは肉体をマナで強化し、小さくとも大きな威力が込められた拳や蹴りを次々と放っている。しかしファストはそれを全て防ぎ、サードの腕を掴んで後方へと軽く投げ飛ばす。
「そぅら!」
「うわわっ!?」
投げ飛ばされながらも空中で一回転して何とか着地するサード。その軽やかな身のこなしに見学中のメンバーも「おおー」と小さく拍手をしている。
そして、この中でもっとも驚いているのは相手をしているファストであった。
「(凄いな、この1週間ちょいでここまで動けるようになるとは)」
彼を鍛えることを約束してからまだ1週間近くしか経過していないにもかかわらず、自分よりは劣るとはいえ中々にサードは動けるようになっていた。
元々彼には素質があったようで、大した指導が無くても弱い魔獣位ならば単独で撃破できるまで仕上がっていた。それに過去を振り返れば自分が初めて彼と出会ったとき、彼はマナを使い身体を自分位の青年へと成長させるという芸当まで行っていた。しかも、今の彼には自分との訓練の間に身に着けた新たな力を目覚めさせていた。
「はあぁぁぁぁぁぁっ!」
叫びと共にサードのマナは膨れ上がり、更には彼の容姿にまで変化が表れる。
サードの頭部と臀部から獣を連想させる耳と尻尾が生え、そして小さくも立派な牙も生える。
「来たな…こい!」
「がうッ!!!」
ファスト目掛けて一気に跳躍をするサード。
それを迎え撃つべく今まで以上にマナを籠めて迎撃の姿勢をファストは取った。
サードが変身してから数分後、彼は耳と尻尾も消え元の普通の少年の姿に戻り、大の字になった地面に寝っ転がっていた。相当体力を消耗したのか呼吸も荒く、汗を掻いて少し苦しそうだ。
そこへ見学していたクルミがマナで変換した水を手の平に溜めて持ってくる。
「お水、どーぞ」
「あ、ありがとう」
クルスが水の溜まった両手を突き出すと、サードはそれを礼を言って飲み始める。
手のひらの水に顔を近づけ口を付けて飲んでいるサードのこの姿、恐らくここに安腹亭の皆がいれば相当騒いでいる事だろう。いや、この世界なら大抵の女性陣は騒いでいるだろう……。
「お疲れさま。凄かったね2人共」
サクラが事前に用意していたタオルを手渡しながら2人の戦いの感想を言う。
手渡されたタオルで汗をぬぐいながら、ファストは何やら話しているサードとクルミに目をやる。
「サードもそうだが、クルミもだいぶ周囲に馴染んできたな」
「そうだね。最初はクルミちゃんも私たち以外の人とはあまり話そうとしなかったからね」
「まあ…アイツも色々あったからな」
「うん…」
少し寂し気な目でクルスの様子を見守るサクラ。
かつて目の前で元気に話している少女は過去には奴隷として虐げられていたとは事情の知らない人間からすれば想像は出来ないだろう。
あの日、もしもギルドでイトスギの街の依頼を引き受けなければ彼女と巡り合う事も無かっただろう。
「ファストのお蔭だね」
「ん?」
「あの日…ファストがあの依頼を選ばなければクルスちゃんとも出会えなかった」
「大げさだな。お前やブレーも一緒に仕事をしていたんだ。俺だけのお蔭ではないだろう」
少し恥ずかしいのかファストの頬が僅かだが赤くなる。
そこへブレーが近づいて来て茶々を入れて来る。
「顔が赤くなっているぞ。可愛いなぁ、はっはっはっ」
「ぐ…うるさいんだよ」
視線をサクラとブレーからクルスとサードの方へと向ける。二人は相も変わらず何やら話し込んでいる。
それにしても、今の組手でファストには気になっていた部分があった。
「(…サードのあの変身)」
獣を連想させる犬と尻尾を生やし、身体能力が一気に上昇するサードの持つ変身。この場の皆もあの変身を初めて見た時は誰もが驚いたものだ。事前に話を聞いていたファストも皆ほどではないがその変化に驚きはした。ちなみにクルスはその状態のサードが気に入っており、初めて見た時には耳や尻尾を撫でてご満悦と言った表情をしていた。
ファストの推測では彼のあの変化、あれはやはり彼が卵の状態で魔獣がうろついていたエリアに長くいた事が原因だと考えられる。彼は自分の様に人間であるサクラのマナで目覚めたわけではない。自身にマナを送り込んでいた人物が居たわけでもなくマナの供給というより魔獣のマナに当てられて目覚めたのだ。故に彼の肉体も僅かに変容したと考えられる。
「(まあ、今ではあの姿になっても暴走する事は無いからその点は安心できたな)」
そんな事を考えていると、サードがクルスの元を離れて自分の元まで歩み寄って来た。
「ファスト、今日はここまででいいよ」
「ああ、もうそろそろ時間だからな」
ファストの言う時間、それは彼が安腹亭で仕事を始める時間の事である。
安腹亭の皆は訓練の後で疲れているだろうから無理はしなくていいと言っているのだが、本人は皆と一緒に居られる時間が欲しいと嘆願したのだ。
元々彼が訓練を始めた理由も安腹亭の皆とこの街で一緒に居たいと言うところから来ている。故に彼のその願いを無下にできず、その代わりにサードの休みを増やすことで解決したのだ。
「じゃ、仕事頑張れよ!」
ファストの激励に片手を上げて返事を返すサード。
ここ最近一緒に居る事が増えて分かった事であるが、彼には笑顔が増えた気がする。この特訓前までの彼はどこか少し暗いイメージが自分の中に定着していたが、今の彼はどこか吹っ切れた様に見える。
「あれは恋をした眼だな」
「突然何を言い出すんだブレー?」
何かを悟った様な瞳で小さくなったサードの姿を眺めているブレー。
ファストは別段興味はないが、一緒に聞いていた自分のマスターは別の様で今のブレーの発言に対して追及をしてきた。
「ブ、ブレーさん。今のはどういう意味ですか? サード君が恋をしているって…」
「いや、同じ恋を抱いている者として何か通じ合うものがな…いや、直接恋について話し合った訳ではないが……」
ブレーはサードと直接この手の恋愛話は一度もしていないが、彼が自分の働いている安腹亭の話題になるといつもよりも表情が柔らかくなっている様にブレーは感じ取ったのだ。まるで、同じ職場で働いている誰かを想っているかのように。
「私の見立てでは同じ職場で働いている誰かに恋をしていると思うのだが…」
「そ、そうなんですか」
「何を真に受けているんだサクラ。何の根拠も無いのに…」
結局はブレーの憶測であり、確実な根拠は何もない。しかもサクラやクルス当たりの予測ならまだしも大雑把に見えるブレーの考えが的中してるとは思えなかった。
そんなファストの信用が無いと言った発言にブレーも流石に物申す。
「おい、そこまで否定しなくてもいいだろ。本当の事ならめでたいではないか。」
「本人に好きな人がいるかどうか聞いた訳でもないんだ。結局はただの勘だろ?」
「仮にもお前を好きだと告白した女の意見だ。そう否定されると傷つくぞ」
ブレーは何気なく言ったつもりであったが、そう言えば面と面向かって彼女から告白された事を思い出し思わず頬が赤くなるファスト。強引に話題を仕事の話へとシフトチェンジしようとするが、そこで供に話を聞いていたサクラから待ったがかかる。
「え…ど、どういう事? こ、告白した?」
「(あ…そう言えば告白した事はサクラに告げてはいなかったな……)」
「(こ、こいつ。よりにもよってサクラの隣でそれを言うか……)」
少し面倒な事態になるかもしれないと、頭に軽く手をやるファストであった。




