少女、さらに深い深い闇に沈みゆく
サードの頭部に勢いよく振り下ろされた一撃は彼の脳を激しく揺らし、見ている景色を歪めた。グワングワンと景色が歪み、頭頂部には鈍い痛みが残る。
頭部に走る痛みと視界に入って来る歪んだ世界にサードは思わずその場で頭を抑えながらうずくまる。
「~~~~~っ!!!」
声を押し殺しながら拳骨を受けた場所を押さえて痛がるサード。
そんな彼を前に両手を腰に当てて、いかにも怒っているとアピールしながらレンゲは厳しい目で彼を見ている。
何気にこの世界で男相手にこのように振る舞えることは中々に凄い事ではないだろうか? まあ、こんな夜遅くの人気のない場所だから現場の二人以外騒ぎ立てる者がいるわけでもないので問題にはならないが…いや、彼女の性格ならば白昼堂々でも周りの目お構いなしにサードの頭部に拳骨を落としていたかもしれないが……。
まあ、それはさておき年下相手だろうと拳骨をお見舞いする程にレンゲは怒っていた。
「まったく! 思い詰めていたとは思っていたけどここまでとは思わなかった!!」
「ぐぐぐ…」
片手で頭を抑えながら涙目でレンゲを見るサード。
その表情はこれまで同じ職場で働いているサードも見たことがない怒りの表情であった。いや、そもそもレンゲが怒っている場面すらサードは見たことがないのだ。
初めて見るレンゲの一面にサードは思わず何も言い返さず黙ってしまっていた。
「どう? 少しは目が覚めた?」
眉を吊り上げながらサードに目が覚めたかを聞くと、サードは上げていた顔を再び俯かせてしまう。
その様子を見てレンゲは大きくため息を吐いた。その表情は先程までの怒り、ではなく呆れの色が強く表れている。
「あのねサード君、今回サード君は自分が原因で私が怪我したなんて考えているんだろうけど私に怪我させたのはサード君ではないでしょ?」
「……それは」
「見方を変えればサード君もストーカの被害者ともとれるし」
「そうだけど…でも…今レンゲの言った通り見方次第では俺のせいともとれる…」
「も~~~」
いい加減面倒くさくなったのか、レンゲはサードを強引に抱き寄せる。
「!? レ、レンゲ!!」
抱き寄せられたサードは顔を赤く染めて軽いパニックを起こしそうになる。というのも、現在サードはレンゲの胸に思いっきり顔を押し付けている状態だ。柔らな感触がサードの顔を挟んでおり、顔から思わず湯気が出そうな想いであった。
しかも、その相手が自分の意中の相手であるならば尚更である。
一方、レンゲは自分から抱きしめているだけあって特に恥ずかしがっている様子も無い。それどころか自らの胸を押し付けたその状態のままサードに話し掛ける。
「サード君…私はべつに君が悪いとは思っていない。でも、それじゃ納得できないと言うなら自分の中にある罪の意識を消さなくてもいいよ。でもね…人が人に迷惑を掛ける事なんていたって普通のことなんだよ?」
「……」
「私もそう、数え出したらキリがない。例えば作業中に店のお皿を割った、料理を運んでいる最中にお客の頭の上に思いっきり零した事、何気ない一言で同僚を傷つけたこともある。サード君なんかよりもよっぽど迷惑かけ続けたよ」
「(レンゲ…)」
「でもね……」
レンゲは優しい顔をしながら、自分が抱き寄せている少年の頭を優しく撫でる。
それはまるで、自分の子や弟をあやしている母親や姉のように慈愛溢れる姿であった。
「私は間違いの度に喧嘩したり怒られたりとして、今度はこんな事が起きないようにと、失敗しないようにと、そんな風に考えることが出来たんだ。そう…失敗や迷惑を掛けない人間なんていないと私は思うけどな」
「ぷあっ…でも、それは個人的失敗の話。今回の様な外部が原因となる失敗や迷惑にはレンゲのその理論は余り適用され…わぷっ!」
「あ~も~年下の子供がそんな小難しく考えない!」
サードの発言に上手い返答が思いつかず彼を再び自らの胸の中へと沈めて静かにさせる。
モゾモゾ動いているサードを大人しくさせようと先程以上に強い力で抱き寄せるレンゲ。
「だったら対策でも考えようって! ウジウジへこたれて自暴自棄になることが正解って訳でもないでしょうが!」
「ん~ん~~っ!」
顔面を満遍なく柔らかな胸に先程以上の力で押し込まれている為、呼吸が上手く出来ないサード。少しずつ顔が青くなっているのだがそれに気付かないレンゲ。
「とにかく一度帰っておいでって。メイシさんも心配して……聞いてる?」
強烈なハグからサードを介抱してその顔を覗き込んでみるレンゲ。
胸の中に埋もれていたその顔を確認すると、そこには目を回して顔を恥ずかしさの余り赤く、そして苦しさの余り青くしているという器用で不思議な状態の初心な男の子がいた。
「うわぁ! えらいこっちゃ!!」
サードがレンゲに引き留められなければ今頃彼は街の外に出ていた事だろう。
あの時、レンゲがサードを引き留められていた事はある意味彼の命を救ったと言えるだろう。何故なら、街の入口より外から少し離れた場所には二人の女性が歩いていた。もしもサードがあのまま街を出ていればこの二人がその存在に気付き襲い掛かっていた可能性もある。
その二人組の女性は一人はサードをあわよくば殺害しようとしていた魔女であり、そしてもう一人はサードを我が物にしようとしていたヤミである。
「どう、アゲルタムの街に未練はありませんか?」
ヤミよりも数歩分先を歩いている魔女が顔だけ背後に向けながら尋ねた。
「街に未練なんてないわ。でも…あの彼には未練が少しあるわね……」
「少し、ではなく大分なんじゃないのですか?」
「うるさいわよ」
ギロリと魔女を睨み付けるヤミ。その眼光はとても鋭く、並大抵の者では思わず委縮してしまうだろう。だが、彼女の前を歩いているこの魔女には当てはまらない。
事実、魔女はヤミの表情にむしろ喜びすら感じていた。
「安心しましたわ。その貌…今の貴女なら例え恋心を抱いていたあの少年すら殺せるでしょうから」
「……」
「私たちは貴女を歓迎致しますわ。ようこそ…闇ギルドへ」
「ふん…」
ヤミは歩みを止め後ろを振り返った。
彼女の視線の先に在るアゲルタムの街が小さく映っている。
今日まで身を置き生活をしてきた街を捨てる…その事には一抹の未練すらありはしない。だが、一つだけ…たった一つの未練は僅かばかり残っている。
「さようなら…」
ヤミはそう言うと再び前を見て歩き始める。
彼女の別れの挨拶、それは街ではなく人に向けて放ったものだ。
最初で最後、自分が心底惚れた少年に向けて放った別れの言葉。
「(私は諦めた…この世界で彼と結ばれることを……)」
あの場で自分だけを取り残してサードはあのレンゲという女を選んで消えた。
あの瞬間、自分は理解してしまった。サードは自分を選んではくれなかったという悲しき事実を……。
「(なら、この現世で結ばれることはもうあきらめよう…)」
自分をメンバーに引き入れたこの魔女は闇ギルドの人間らしく、彼女は世界に残っている僅かな男を全て消し去るつもりらしい…随分と大きく出たものだ。
その理由に関してははぐらかされたが、彼女の動機などは正直に言えばどうでもいい。そして、自分は彼女のその誘いを受けた。
サードを愛している彼女がこの誘いを受けた理由、それは現世でサードと結ばれることを諦めたからである。ならば、彼を殺して自分も死に黄泉の国で結ばれる未来を選んだ。
その為、彼女は仲間になる条件としてサードの殺害に関しては自分に一任することを要求し、目の前の魔女はそれを承諾した。
前を見ながらも、魔女は自分に付いて来ているヤミのことを考えて小さく笑った。
「(歪んだ愛はその人の心の中にまで浸透して行く。そして、気づけば彼女は愛していたものを殺す事も一つの愛情だと思い、最後には私と同じ闇に沈んで行った……)」
闇の中に沈むこの少女、その行く末がどのようになるのか非常に興味に駆り立たれる。
「(見届けますわ、あなたのこの先の道…そして、その歪んだ愛が成就し黄泉で結ばれることも…ね……)」
笑い声を押し殺しながら、魔女は自分と共に闇の世界に沈んでいく少女に心中で応援をした。
彼女がこの先どれだけ堕ちていくのか、本当に愉しみに思う魔女。その命を持って精々、自分を満足させられる劇を演じてくれればいい。
何故ならあなたは、私の傀儡なのだから……。
手綱を、人形の手足に付いている糸を操るのは自分。
巧く操ってあげようではないか。そして、彼女の悲願を叶えて上げよう。まずは、とびっきりの喜劇になるように台本でも頭の中でかくことから始めようかな。




