少年、今更ながら恋を自覚する
夜の街でサードはただ、目的の場所を目指して足を動かし続けていた。
彼の向かっている先はこの街の外の孤独な世界。安腹亭に拾われる前と同じ孤独な世界に彼は再び舞い戻ろうとしていた。
本当は…この街を出たくはない。
本当は…この街でこれから先も生きていきたい。
本当はもっと……レンゲと一緒に居たい………。
「…あれ?」
足を運びながらも、サードは自分が無意識に考えた最後の思考に疑問の声を小さく漏らした。
何故、自分はレンゲのことを強く考えているのだろうか? 確かに安腹亭の皆ともっともっと居たいという気持ちはあるのだが、その中でも一際レンゲを強く意識していた。現に今も、レンゲと一緒に…と、考えている自分がいる。
「…どうして…?」
どうして自分は…この街を出ていく事よりもレンゲともう会えなくなる事の方を優先的に考えているのだろうか? 確かに彼女とはそれなりに付き合いがあるが、それを踏まえても自分は少し彼女を特別視しているように感じる。
いつもいつもからかわれて、それでも仕事での対応に困った時には助けてくれる。
「不安な時には抱きしめてもくれたなぁ…」
不安定で脆い自分の心を包み込むかの様に優しく自分を抱きしめてくれることもあった。
とてもムズかゆく、恥ずかしくあったがそれが心地よいと感じた自分もいた。そして、抱きしめた後は決まって彼女は自分をからかって来た。だが、彼女のそんな振る舞いはいつも自分を安心させてくれた。
安腹亭の皆の中でも彼女はとりわけ自分にとって大切でかけがえのない存在に成っていた……。
「そうか…俺は――――レンゲのことが好きになっていたんだ」
最初は姉の様な存在と認識していた…いや、それすらも誤魔化しだったのかもしれない。そう思う事でこの想いを殺していたのかもしれない。年が離れている事や自分が拾われた身分であること、そのような事実が自分の想いを家族愛の様な感情で上塗りしていたのかもしれない。
今頃になって…自分の本当の気持ちに気付くことになるとは……。
「でも…もう手遅れだよ」
サードはついに街の出入り口付近までやって来た。
出入口付近の街灯から漏れる光がこの街の中と外の境界を照らしている。
「今更好きだったなんて…なんで気付いてしまったんだろう」
レンゲが好きである事実、それを何故よりにもよってこんなタイミングで気付いてしまったのだろうか。この街から出て行こうとしている自分がこの気持ちに気付いたところで、自覚した所で無意味であるのに。
いや…この街から出て行こうと決心をしたからこそ、この気持ちに気付いたのかもしれないが……。
「皮肉なもんだな……」
その言葉を最後にサードは街を出ようとその足でこの街の内と外の境界を超えようとすると――――突然背後から勢いよく何かがぶつかって来た。
サードの背中には柔らかな感触と少し荒い呼吸が聴こえて来る。
何者かが背後に張り付いてきたことでサードの顔が青ざめる。自分にこうも無遠慮に密着し、さらには首筋に当たる荒い呼吸は背後の人物が不審者であると思わせるには十分であった。
「……」
少し前…先程に自分はあのヤミという女に狂愛を伝えられた。
この背に張り付いている人物があのヤミか、それとも見知らぬ不審者か? そこまで思考がいくとサードは無意識に拳を握りしめ、背後の人物に先制を仕掛けようと考えるが、彼が手を出すよりも前に声を掛けられた。
「やっと見つけた…」
「…!」
振り返って確認をとっている訳ではないがその声を聴いてサードの握りしめていた拳は緩み、力が抜けていった。それは自分の背に張り付いている人物が誰なのかが分かっているからだ。
「もう…ふらふらしていけないんだゾ」
「……」
「さっ、戻ろう?」
自分の背に居る彼女は優しくそう言ってくれる。きっと、その顔もいつもの様な優しさが溢れるものなのだろう。だが、だからこそ自分はこのまま戻るなんてできない。
「怪我してるのに…なんで此処に居るの?」
「何でって…サード君が居なくなったからに決まってるじゃん」
「息切れしてる…どんだけ必死に探し回っていたんだか」
「あーっ、こんなくたくたになるまで探してあげたのにそんな言い方ないんだ~」
片方の腕で自分を抱き寄せながら、空いているもう片方の手で頭をグシグシと無遠慮に撫でまわす。
「さっ…帰ろ?」
優しい彼女の言葉に思わず首を縦に振りそうになってしまう自分がいるが、それは許されない。
サードは首を横に振って自分を連れ戻しに来た彼女の誘いを拒否する。
「俺がいたら…また同じ事が起きるかもしれない……」
自分が原因で周りが傷ついていく事など、とてもじゃないが許容できない。仮に安腹亭の皆が気にしないとしても、張本人たる自分は別なのだ。自分が原因でこのような事態に陥ったにも関わらず周囲が気に留めないから自分も気にしない。そんな考えが許されるわけがない。
「このまま店に戻っていつもと同じ日常を過ごす…そんな厚顔無恥な事が出来る訳がない」
「……」
「いっそのこと、出て行ってくれと言われた方がまだマシだ……」
自分は何て醜いんだろう。
彼女は病み上がりのその体で自分を心配して駆け付け、探し出してくれたにも拘らず自分はその想いを不要だなどと、差し出された彼女の手を振り払っている。
その上に自分を追い出してくれた方が楽などと……ただ、逃げているだけだ。
「もう…放っておいてくれ」
サードは自分を抱いている彼女の腕を剥がそうとする。
だが、そうは問屋が卸さないと彼女はサードの体をより力を籠めて抱き寄せる。
「は~い、だめだめ。いいから帰るよ」
「なんで…」
自分の背後に居る彼女は自分が発端で傷つけられて間もないというのに、まるでその出来事を忘れたかのようにいつも通りに振る舞ってくる。
その態度は僅かばかりにサードを苛立たせる。自分がそのように怒りを覚える資格など一欠けらたりとも無い事は重々承知しているが、それでも自分が街を出るかどうかと苦悩している中でこのような振る舞いをされると何も思わない方が無理があった。
「どうして……」
下唇を噛みながら、僅かに怒りをにじませた声色でサードは背後でいつもと変わらぬ彼女へと疑問を投げかける。
「どうしてそんなに……いつも通りに振る舞えるんだよ? 俺の…俺のせいで罪も無い自分が怪我を負わされ、それなのに……どうしてお前はそんなにも俺を温かく抱きしめてくれるんだよ、レンゲッ!?」
サードは強引に自分を抱き寄せる腕から抜け出し、振り返りながらそう叫ぶ。
振り向けば、そこには自分が最も信頼を寄せており、数分前に恋を自覚した自分にとって姉の様な存在である少女が立っていた。
そしてその表情は自分がいつも見ている普段通りの物。怒りも、哀れみも、特別変わった変化の見られないいつもと変わらぬ……自分の大好きなレンゲがそこに立っている。
だが、その何も変わらぬ彼女の表情は今の自分にとっては最も心が痛んで仕方がないのだ。
いっそ激しく糾弾してくれた方が良かった。お前のせいで自分は怪我をしたんだと…そう言われた方が気が楽だった。
それなのに…それなのに――――
「どうして…いつも通り俺の相手をしてくれるんだよぉ…」
こらえきれず零れてしまった彼の涙は地面へと落ちて行き、涙のシミを地面へと作って行く。
「サード君……」
レンゲはゆっくりと、俯き涙を流しているサードに歩み寄り、無言のまま右腕を掲げグーを作ると――――
「おりゃあッ! このバカたれがァーッ!!」
特大の拳骨をサードの頭部へと叩き落すのであった。




