少年、秘めた力が目覚める
突如として自らの胸が苦しくなり、地面に膝を付くサード。
そんな彼に心底心配そうに声を掛けてくるヤミ。意識がもうろうとしているので、頭上から投げかけられる彼女の言葉は上手く聞き取ることが出来ない。だが、内容は分からずともヤミの声は聴いているだけで心底嫌気がさす事は変わらない。
身勝手で独善的な理由でこの女は自分の一番信頼している人物を傷つけた。それによって自分が喜ぶはずもないのに。
そして今は血濡れのレンゲをまるで見えてすらいないかのように自分の身を心配している。自分の隣で横たわっているレンゲを傷つけておきながらのうのうと……。
「ふ…ける……」
「え?」
なにやらボソボソと呟いているサードに耳を近づけるヤミ。
耳を澄まし、彼が自分にいったい何を伝えようとしているかを確認する。
「ふ…ざ…けるな…!」
俯いていた顔を上げ、ヤミの眼を見て改めて想いをぶつける。
「お前の…お前の勝手な理由で……レンゲは…ぐっ!」
自分の体がどんどん熱くなるのを感じる。
突然訪れる肉体の変調、この原因は間違いなく怒りではない。何かが、自分の中のナニかが暴れまわり自分を支配しようとしている錯覚に陥る。
「ぐ…がはっ……!」
「ああサード君! 大丈夫!?」
「触…る…なっ! ぐうぅぅぅ……!?」
自分の体に触れて来るヤミが不快だが、それ以上に体の奥底で暴れるナニかが自分を苦しめ構う余裕がない。動悸がどんどん激しくなり、嫌な汗も大量に流れ落ちる。そして体温がどんどんと上昇して行き、遂に意識が靄の中へと沈んでいく。
「(レン…ゲ……)」
サードはそのまま地面へと倒れ込み、隣で同様に倒れ込んでいるレンゲを見つめる。
切り裂かれた背中の苦痛に必死に耐えているその表情を最後にサードはそのまま意識が沈んで行った……。
「ああサード君、どうしたの!?」
サードの突如の体調の変化に見るからに焦りを見せるヤミ。
彼の隣に倒れているレンゲを突き飛ばし、サードを自分の宿に連れて行こうとする。路上に彼を放置しておくわけにはいかない。
そしてサードの体に手を伸ばした――――
「きゃっ!?」
しかし彼女がサードの体に触れた瞬間にヤミの体が弾き飛ばされた。
彼の体に振れた手がジンジンと熱を持ち、ヒリヒリと痛みが走る。倒れているサードに目を向けると、彼の体からなにやら靄の様な物が漏れていた。
「な、なに…?」
サードの身に起きた現象に戸惑っていると、彼の体が一瞬震え、そのままゆっくりと立ち上がる。
無言のまま地面を見つめ、顔を俯かせているサード。そのまま微動だにしないが、彼の体からは煙の様に靄の様な何かが漏れている。
しかし、彼の変調はそれだけではとどまらなかった。
彼の頭部からは何やら獣の様な耳が生えて来て、それと同じく臀部からは同じく獣を連想させる尻尾が生えて来る。
彼の容姿が変化すると体から出ていた靄の様な物は収まった。
サード達から離れた住宅街、その内の一件の家の屋根上からその光景を眺めていた魔女は、サードの身に起きた変化を冷静に観察していた。
「あれは…やはり彼は普通の坊やではなかったですわね……」
彼の体内から感じ取れたマナが異質な物であるとは思っていたが、今の瞳に映る異彩な光景を見るからに彼が普通の少年、というより人間ではないことは十分把握できる。しかし、今の彼のあの容姿はある種族を連想させる。
「あの姿…まるで〝亜人〟ね…」
かつて自分が戦った、人ならざる種族との戦いを思い出す魔女。
その時の戦いで自分は腕一本を持っていかれ義手にされた。そう思いながら彼女はパッと見では義手とは分からないような自分の右腕を眺める。
「さて…あの坊やを殺す事が目的であった訳だけど、この展開はこれはこれでおもしろそうね」
義手となった右腕を擦りながら、視線の先に映る少年の行方を観察し続ける魔女。
その顔は心底この先の展開を楽しそうな顔で見つめ、待ちわびていた。その結果あの場に居る自分が操ったヤミがどうなろうがこの魔女にとってはどうでもいい事であった。
遠くから自分たちが観察されている事など気付いていないヤミは目の前の変化した愛しの少年の姿に戸惑っていた。
本来人間には存在しない獣の耳と尻尾、目を凝らせば爪も尖っている様に見える。
「サ、サード君?」
今だヒリヒリと痛む手を抑えながら、ヤミはゆっくりとサードに歩み寄る。
だが――――突然彼の姿がヤミの目の前から消えた。
「え……?」
その場から突然消えたサード、その行方を追おうと周囲をキョロキョロと見回すヤミ。
だが、次の瞬間、彼女の体が遥か前方へと吹き飛ばされる。
「ごがっ!?」
背中に走る衝撃に肺の中に取り込んでいた空気が外へと吐き出される。
弾き飛ばされた衝撃でゴロゴロと地面を転がって行くヤミ。地面の砂によって彼女の服が汚れて行く。
地面を転げながら衝撃が加えられた方角を見ると、足を突き出しているサードの姿が回る視界の中に入って来た。恐らくあの体制から背中に蹴りを入れられたのだろう。
「ぐっ、ごほっごほっ…」
目に涙を溜めながらせき込むヤミ。
ゆっくりと呼吸を整えて体を起こすと、離れた位置から自分を見ているサードを同じように見返した。
「(サ、サード君のあの姿は…? そ、それに、今の彼の動き…まったくと言っていいほどに反応すらできなかった)」
目の前に居たはずのサードの動きはあまりにも速く、ヤミの目では捉えることが出来なかった。まるで瞬間移動でもしたかの様に一瞬で背後に回り込まれたのだ。
突如として姿や戦力が変化したことに戸惑いを隠せないヤミ。自分の調べではサードにはそこまで高い戦力は無いものだと思っていたのだが、まさかの秘めた力が宿っていた。
「(でも、関係ない)」
ヤミにとってサードが特異な力を宿しているという事実はどうでもいい事であった。何故なら彼女にとってサードは戦うべき対象などでは決してないからだ。
ヤミのとってサードは愛おしい存在、それに自分が牙を向ける必要も警戒する必要も無い。突然の変化に戸惑いはしたが、彼女の目には彼の存在は今も輝いて見える。
だが、それはあくまでヤミの一方的な想い。その対象者が自分と同じ想いである保証はない。
「サード君大丈夫。私はあなたの敵ではないわ♡」
たった今危害を加えられたにもかかわらず、彼女は無防備にも彼に近づく。
そして彼との距離があと2メートル程まで近づくと、今まで反応のなかったサードがここで動きを見せる。
「グルルルル……」
サードはまるで獣の様なうめき声を出し、近づいて来る敵に威嚇をする。その姿はまるで野生の獣が人間に対して見せる威嚇行動そのものであった。
再び攻撃を繰り出して来る気配を感じたその時にはヤミの体は再び吹き飛ばされた。
「ごふっ…」
口から一筋の血を流しながらヤミはサードを見る。
「もう…私は敵じゃないのよ」
笑顔で彼に理解をしてもらおうとするが、サードは今も警戒を解こうとはしない。
そんな彼に対しヤミは小さくため息を吐き、全身にマナを籠めて肉体を強化する。
「もう…悪い子だね……本当はあなたに手を出したくはなかったんだけど…仕方ないわね。少しお灸をすえておとなしくさせましょうか」
ヤミは怪しげな笑みを浮かべながらゆっくりとサードへと近づいて行く。
「ガウッ!!!」
大きな吠え声と共に、サードはヤミへと一気に飛び掛かって行った。
それを迎え撃とうとヤミは魔法を発動し、迫り来るサードを無力化しようと攻撃を繰り出した。
夜の街に一人の少年の拳と女性の魔法がぶつかり合い、その衝撃音が小さく夜の街中に響き渡った。




