少女、敵意を向けられる
ファストとサクラの二人は安腹亭の周囲の様子を見回っていた。
先程、店の店主から聞いた人物の話が少し引っかかるのだ。もしかしたらサードに良からぬ考えを抱いている輩かもしれない。この世界の現状を考えると、希少かつ自分よりも幼いサードは少し危険な境遇だと言えるだろう。
昼食もごちそうしてくれた礼も兼ねて、これぐらいは働いておくべきだろう。
「ストーカーの類なら店の周りでまだたむろっていると思ったが…さすがにそこまで間抜けじゃないか」
「まだサード君が狙われたとは限らないんじゃ…」
「まあな。だが、アイツの場合は一度経験してるからな…」
「え…それって…」
「…余り他言するなよ。実はな――――」
ファストはサクラにサードが経験した〝あの出来事〟を話した。
サードは目覚めた時には名前以外は何も解らなかった。
そんな彼は偶然通りかかった二人の女性に捕まり、監禁一歩手前の経験をしている。何とか逃げ出すことは出来たが、最悪今頃も監禁されていた可能性もあったのだ。
ファストからその話を聞かされ、サクラは思わず息を吞んだ。
「そ…そんな事があったなんて……」
「目覚めて右も左も判らない状況でそんな経験をしていれば女性不信になってもおかしくない。アイツはそれ程の体験を経験している…」
「……それは、心配になるね」
しかし、残念ながらこの日は結局二人は成果がなく終わった。
日が少しずつ沈みかけ、時刻は夕方の五時を超える。
安腹亭の営業時間終了まで間近に迫り、サードの勤務時間は五時で終了となっている。
「今日もお疲れ、サード君」
店の女店主がサードにねぎらいの言葉を掛けてくれる。
「俺だけいつも早く切り上げて…まだ働けますよ…」
「いいのいいの。サード君はまだ子供なんだからこの時間まででも十分だよ」
サードの働き出す時間帯は皆より少し遅く、その上に勤務終了時間も皆より早い。まだ子供という事で店主含め店の女性達は全員が納得しているがサード自身は少し悪い気がしていた。まあ、サード自身は自覚はないが、彼がこの店で働いてからは売り上げは伸びているのでむしろ迷惑どころか大いに貢献しているのだが……。
「ちょっと外に出てきます……」
「あっ、もうそろそろ暗くなるからあまり遠くに行かないようにね」
店主に一声かけてから店の外へと出るサード。その際、母親の様な注意を受けた。
外に出ると太陽が沈んでいき、空が赤く染まっていた。サードは変色している空を眺めながらしゃがみ込んだ。
「……まだかな」
サードが外に出た理由は、彼が見上げているこの空にあった。
今はまだ赤みの架かった空色だが、あと少し時間がたてばこの空は黒く染まるだろう。
彼は夜空の浮かぶ星空を眺めるのが好きだった。
いつも仕事が終わった後は必ず夜空に映る星を眺めている。夜空に散らばる無数の光り輝いている星々はとても幻想的で、その光景はいつも自分を引き込んでいく。
それから時間はさらに経過し、空も暗くなっていった。
そして夜空には次々と点々と星々が光り始める。
「わぁ…」
綺麗な夜空の景色に感嘆の声が漏れる。
しばらく見入っていると、横から声を掛けられた。
「まーた星空見てたんだ」
「レンゲ…まあね」
やって来たのは自分もよく知る人物であるレンゲ。
彼女はサードの隣に座り込むと、同じように夜空を見上げた。
「毎日飽きもせずに欠かさず見ているよね」
「別にいいじゃん。何か問題でもあるの?」
「いや、でもこうしてじっくり眺めるとサード君の気持ちも分かるかもね」
レンゲの遥か頭上では多くの星々が点々と輝いている。
確かに中々に美しい夜空の風景だ。ついつい見入ってしまうのも分かる気がする。そして視線を上空から隣へと傾けるとそこには自分よりも幼い一人の少年の純粋な横顔が映る。
いつもお店で女性客相手の向ける、よく見ると若干引きつっている笑みなどではない。素直に自分の感情を表に出している顔だ。
「(な~んか絵になるなぁ…)」
お店でもこのような表情を向ければお客達から、きっとより騒がれるんだろうと思わず考える。まあ、あの目をぎらつかせている女性達相手に今のような澄んだ瞳を向けろと言うのは少し無理がある気もするが。
女性の自分でも店に訪れる女性客には僅かに引いてしまう事がある位なのだから。
「サード君、聞きたいんだけどお店には慣れた?」
「え…なに急に?」
「いや、今日…というより毎日大変でしょ? サード君の場合は立場的に……」
「まあ…まだお客相手には慣れない部分もあるけど…でも、レンゲや店の人はみんな優しいし…」
サードは小さく笑いながらレンゲのことを見る。
その表情は相変わらず素直で綺麗な、何も取り繕っていない彼の素の顔。少なくとも信頼をしていない相手には向けない表情。
「だから…今はもうだいぶん慣れたよ。それに…今はもう寂しくない……」
「そっかぁ…」
寂しい…彼がそう言うのは安腹亭に来るまでは孤独に生きていたからだろう。
気が付けば一人、自分の名以外は何も知らず。その上に見知らぬ女に監禁されかけコソ泥の様に生きて来た。当然、そんな自分の傍には誰も居る筈も無い……。だが、ファストに捕まったあの日から自分の身を置く環境は変わった。安腹亭に引き取られ、今の自分の周りには大勢の人が…繋がりがあるのだ。
「レンゲにもいろいろ気を使ってもらったよな……その、ありがとう」
照れくさいのかサードは反対方向に顔を向けてそっと礼を言う。
その仕草を見てレンゲがいつもの様にサードをからかう。
「おぉ~うい奴じゃ。よしよし」
「や、やめろよ」
口ではそう言いながらも頭を撫でて来る彼女の手を払おうとはしない。
もう少し可愛がってやろうかとするレンゲであるが、その時――――背後から視線を感じた。
「え?」
サードから視線をゆっくりと外し、後ろを振り返るレンゲ。
しかし振り返ってもそこには誰も居ない。彼女の瞳には一面暗闇の世界が広がっているだけだ。
「(気のせい…? 今、見られていたような気がするけど……)」
「レンゲ…?」
「ああ、なんでもないよ。うりうり」
「ちょっ、やめろよ…」
なんでもないと再びサードの頭を撫でてやるレンゲ。
今はもう先程感じた視線は感じない。自分の勘違いだとレンゲは割り切る事とした。
レンゲは自分の勘違いだと片付けたが、彼女の感じた視線は気のせいなどではなかった。
彼女が視線に気付いて振り返るその直前まで、少し離れた距離の物陰に一人の女性は確かに居た。
黒い長髪をした一人の女性がレンゲとサードの二人を観察していたのだ。
その女性はサードに対しては愛しい者を、そしてレンゲに対しては邪魔者を見る様な眼で二人のことを見ていた。
「ああ、本当にあの女は邪魔だわ…私の愛しい光に気安く近づきそれを汚して……」
先程のレンゲとサードのやり取りを見ていた黒髪の女性はレンゲに対して毒を吐く。
彼女の名前はクライ・ヤミ。この街のギルドに所属している冒険者の一人である。
特に誰ともチームは組まず、いつも一人で仕事をこなしている。どこか暗い雰囲気からギルド内の者達は少し彼女に対しては苦手意識を持っている。だが、そんな周囲の目などヤミにとってはどうでもいい事であった。彼女は余り自分以外の存在には関心を抱かず、周囲が向ける目線など心底どうでもいいと思っていた。
だが、他人にこれまで一度も関心を示さなかったヤミであったが、今から数日前に彼女は出会った。他者に興味がないはずの自分ですら、思わず見入ってしまう存在に……。




