少年、笑顔で頼み事(要求)をする
身勝手な理由で少女を痛め続けているその光景を見て、ファストはゆっくりとデーブに歩み寄って行く……。
もう分かった。もう十分だ。もう結構だ。もうたくさんだ。もうこれ以上この男とは一秒以上の会話などをする価値、それすらまるでない事が十分に理解できた。
自分と同じ男が罪も無い少女を己の憂さ晴らしの為に使役しているこの光景をこれ以上眺めていたくはない。
拳を握り、あの愚か者を全力で殴り飛ばそうとするファスト。
だが、ファストが踏み出すよりも早くデーブに駆け寄った人物がいた。
「もうやめてッ!!!」
それは自分のマスターである少女、サクラであった。
「ぶへっ!?」
突然横から突き飛ばされて体勢を崩し地面に倒れ込むデーブ。
サクラは自分と歳も変わらぬであろう少女を抱き寄せると、倒れ込んだデーブを睨み付ける。
「こんなのひどいよ! この娘がいったい何をしたっていうの!? あなたがあの女に蹴られた事も、トランクを奪われた事も、全てはあなた自身の過失が原因じゃない!!」
「お、お前! いったい誰に手を上げているのか分かっているのか!?」
「さあな、脂ぎったブタの区別などいちいちつかんさ」
「ふえ?」
背後から聞こえて来た声に間抜けな声を漏らす。デーブの後ろにはいつの間にかブレーが移動していた。 そして、デーブが振り返ると同時に彼の顔面に思いっきり蹴り込みを入れた。
凄まじい衝撃がデーブの顔面へと叩き込めれ、勢いよく彼の肥満体が転がって行く。
「ぶびぃぃぃぃ!? はにゃ!? はにゃが折れた!!」
ブレーの蹴りを、ただの人間がピンポイントで顔面の中心に叩き込められ無事でいられるはずもなく、彼の鼻は歪に変形をしており、その壊れた鼻からは大量の鼻血が滝のように流れ出ている。
ブタの様な悲鳴をあげながら無様を晒すその姿にブレーは堪えきれずに嘲笑する。
「はははっ、なんとも情けないな。蹴りの一発で餓鬼の様に泣くとは…いや鳴くか? まあ少なくともウチのギルドには誰一人としてそこまでの軟弱者は居ないぞ」
鼻を折られ、さらには嘲られたデーブは涙交じりになりながら、鼻を抑えてブレーとサクラの二人に喚き散らし始める。
「く、国の、この世界の宝である〝男〟を殴りつけてどうなるか分かっているのか!? そこのお前も俺様を突き飛ばしていたな! どうなるか分かっているのか!?」
「そうだな。ああ、その通りだ。正確には蹴りつけてだが…」
「ああんッ!?」
ここでファストがデーブのセリフを一部訂正しながらも、彼の言い分に納得をし同意の言葉を掛ける。
「残念ながらこの世界では男と女の価値観は色々と違う。お前の言っている事もそれなりに理解はしているしできている」
「ははっ、なんだ…お前もやっと俺たちの価値について理解できはじめたようだな」
「ああ…だからブレーもサクラもお前には手を出せずに悔しがっているな…」
「ああん?」
ファストの言葉に眉をひそめるデーブ。
手を出せずに悔しがる? この男は一体何をトチ狂った事を言っているのだ? この二人は自分にもう手を出しているにもかかわらず。特にあのブレーとかいう女は自分の大事な大事な鼻をへし折ってくれた。
ファストの発言にはサクラも首を傾げていたが、ブレーに関しては気が付いた様で、下手に今はしゃべらない方が良いと判断し心の中で感謝する。
「(すまないな、ファスト…)」
「デーブとやら…お前の発言や行動には心底吐き気がした。だから俺がお前を突き飛ばし、俺がお前を蹴り飛ばして鼻をへし折ってやった。手が出せないサクラとブレーに変わってな……」
「はあッ!? お前は何を言って……」
「いやースマナイなファスト。私とサクラに変わってその男を懲らしめてくれて」
「なっ!?」
「(……あっ、そう言うこと!)」
ここでようやくサクラもファストの企みに気付いた。
自分たち女性が男であるデーブに手を出せばクリスタル王国から何かを言われる可能性がある。だが、被害者であるデーブと同じ立場のファストが手を出せば問題はない。なにしろ、相手は結局性別だけが重宝されている存在なのだから。
「お前、なんでそんな奴らを庇う!? この世にゴロゴロいる女なんかどうだっていいだろうが!!」
「………」
「俺と同じ上位種が何故こんなどこにでもいる様な……がびぃッ!?」
デーブの言葉は最後までは言い切ることが出来なかった。その前にファストの強烈な顔面パンチが薄汚れているその口を強制的に黙らせたからだ。殴られた拍子に彼の前歯がへし折れる。
「ひい! は、歯が折れ…ひいいぃぃぃぃ!!」
情けなく泣きわめきながら折れた歯を眺めるデーブ。
ただでさえ醜かったその顔は、鼻が変形し前歯も無くなり不細工により一層磨きがかかっていた。
「お前よくも!! 絶対に許さ……」
許さない、と言い切る前にデーブの頬を何かが掠めていった。
これ以上の無駄話をしたくなかったファストが、彼の頬スレスレに風で出来た小さな槍を投げつけたのだ。
通り過ぎた風の槍はデーブの頬を薄く切り裂き、血が僅かにしたたる。
「もうこれ以上はお前に質問はしない。だが、一つ頼みがある」
「な…た、頼み…だと?」
「ああ、別に難しい事じゃない」
ファストはサクラが抱きしめている少女をそっと横目で見ながらデーブに言った。
「あの娘はこちらで保護させてもらう。お前の元に置いておくとロクな目に合わないだろうからな。それから、今後あの娘の様に女性を意味なく虐げる行為はやめてもらおうか」
「な、何を馬鹿な事を!! そんな一方的なもの言い、取引でも何でも……」
「そうだ、これは取引じゃない。頼み込んでいるんだ……」
ファストは自分を中心に先程見せた膨大な風を再び引き起こす。
「ひいっ!」
デーブの体がその暴風で後ろへと僅かに吹き飛んだ。
「もう一度…お前に頼むぞ?」
ファストは圧倒的な力を見せつけながら、ゆっくりとデーブの元まで歩み寄る。そしてそのまましゃがみ込み、顔を至近距離まで近づけそっと囁いた。
「俺の力はさっきのあの仮面の女以上だ。もしも俺の頼みが…要求が聞き入れないならそうだな…。この場でお前を原型が留まっていない程この風で全身を切り裂いてみる…なんてどうだ?」
「ひっ…ひっ…」
脂汗がダラダラと流れ出るデーブ。
余りにも強大な力を何の力も無い自分に突き付けられ、恐怖の余りに今までの威勢は完全に消え失せガチガチと歯を鳴らしている。
「お前がクリスタル王国に住んでいる事はよく分かった。なら、今度直接赴いてお前の様子を街の人間にでも窺ってみればお前が俺の頼みを聞いているかどうかがすぐ分かる」
「ううう……」
「なあ、俺の頼みを聞いてくれるよな?」
今までで一番の笑顔でそう言ってデーブに改めてお願いをしてやるファスト。
笑顔の筈なのに、デーブの眼には彼が笑っているようには見えなかった。もしもここでこの男の頼み事をきかずに無下にしてしまえば……。
その先を考える勇気も。それを実行に移す勇気もこの男などにあるはずもなかった。
「わ、分かった…その要求を…受け入れる」
「頼み事、と捉えてくれるか。要求という言い方だと脅しているイメージが強いからな」
実際には脅している訳なのだが、そこはあえて何も言わないファスト。
デーブの方も先程の力を目の当たりにしているので、とてもじゃないが何かを言うことなどできなかった。
「(とりあえずこれで依頼の方は達成…あの娘も保護が完了したわけだが……)」
闇ギルド……今回の依頼で初めてその存在を認識したファスト。
「(この世界で仕事を続けて行くなら…またぶつかるかもな……)」
まあとりあえず今は依頼を達成できた事を喜ぶとしよう。
そしてこの後は…あの娘のことも考えていかなければならない……。




