少年、年下の少年に頼み事をされる
安腹亭の店内は未だせわしなく賑わっており、時刻は間も無く正午になろうとしていた。
今ですらも客足が途切れていなかったこの店も昼食の時間帯となりここからさらに忙しくなることだろう。当然、店内で接客をこなしているサードの負担もさらに増えることになる。
懸命に接客をしているサードの様子を厨房からこっそりと眺めているファスト。
サードの様子を確かめに来たと言う名目でこの店の店主であるメイシから許可を貰い、厨房で彼の働きぶりを観察している最中なのだ。
「サードのヤツ、随分と女性に対しての接客がサマになっているな」
かつて彼は見知らぬ女性に捕まり、あやうく監禁されそうな過去を持っている。しかし今では女性に対する苦手意識を感じさせないまでに成長していた。今だってなにやら絡んでくる女性客を上手くあしらっている。
「この分だともう過去のトラウマも乗り越えたと見てもいいのかもな」
女性相手でも見事に接客業をこなすサードの姿を見て一安心するファスト。
安心し胸をなでおろしていると、この店の店主であるメイシが近づいてきてサードの様子を見守っているファストに話しかける。
「どうですか? 彼も大分慣れてきているでしょう」
「ああ、これならもう心配して様子を見守る必要もないかもしれないな」
今も視線の先で女性客達を軽くあしらい業務にも支障をきたさない立ち振る舞いを見て、今後は彼の様子を見に来る必要は無いだろうと思うファスト。
「どうやら女性に対する恐怖心はもう無いだろうし…今日でもうあいつの心配は不要なようだ」
「ええ、随分としっかりして…どこか寂しさも感じますが……」
少し残念そうな表情を醸し出すメイシの様子にファストが目を細める。
「一応念の為に訊いてはおくが、アンタをはじめこの店で働いている者達もあいつに何も変な事はしていないよな?」
店内の様子を観察するに客だけでなく、従業員達も明らかにサードの事で過剰な反応を示している。
仮にも客商売であるにも関わらずお客相手に強気な態度を今も取り続けるも女性店員達。その様子を見れば外から訪れる客だけでなく、店の内側である同僚達も何かサードにちょっかいを出しているのではないかと勘繰ってしまう。
わずかに疑念を籠めた視線に貫かれたメイシは少し慌て気味で両手をワタワタと振り身の潔白を証明する。
「いえいえいえ、私たちは何もやましい事はあの子にしていませんよ! それに彼を誘惑しようとしている子でもサード君は軽く受け流していますし……」
「誘惑…。ちょっかいかけているヤツも居るんじゃないか」
ため息交じりにメイシを見るファスト。どこか冷めているその眼に突き刺された彼女は話題を強引に変えようとファストに話を持ち掛ける。
「そ、そう言えば時々サード君に特訓を着けてくれていますけど、正直どんな様子ですかね?」
「……一緒に特訓するたび思うよ。もっと鍛錬の方に時間を割けば成長するだろうとな……」
サードにとっての本業はあくまでこの店の従業員として働くことであり、自分の様にギルドに所属し様々な依頼をこなす事ではない。彼を鍛えているのはあくまで彼に自信を植え付けるため。そして何より彼にとって大切な物を守るために鍛えている。
彼にとって大切なこの安腹亭やそこで働く従業員達、メイシやレンゲを守るため……。
しかし、ファストには一つだけ不安に思う事があった。
「俺がアイツを鍛えるきっかけとなった女……ヤミとか言う女があれからサードの前に訪れはしなかったか?」
「…いえ、あの日以降は彼の前には姿を現してはいないようです。サード君本人に時々確認も取っていますがあの日以降あの女を見かける事は無いとの事です」
「…そうか。まあこの町そのものから消えたわけだ。ノコノコと戻ってくるとも思えんが…」
精神面が強くなったサードは日常生活においてはもう心配する必要は無いだろう。しかし、未だに懸念に思うことはサードに対し異常に執着していたヤミと呼ばれる女。かつてサードに対し異常な執着心、そして歪な愛情をぶつけてきたあの女が再びサードの元に姿を現わすのではないかとファストは不安を感じていた。
この店の従業員であるレンゲを襲い、そしてサードがこのアゲルタムを出ていこうと苦悩する事となった女。今はどこで何をしているかは分からないが、もしかすればまだ性懲りもなくサードを狙っている可能性はある。
ファストがサードを鍛えようと思った理由の一つは彼に自分自身を自衛する程度の力をつけるべきと判断したからである。
しばらくメイシと話し込んでいると厨房へサードがやって来た。そしてファストへ歩み寄る。
「ファストさん。あともう少しでオレ休憩に入るんで少し話とか良いですか?」
「ん、ああ分かった。じゃあ俺は上の階で待っているよ」
「はい。それじゃあ後でまた」
そう言うとサードは完成していた料理を受け取ると注文を待っているお客へと運んでいく。
その後姿を見送った後、いつまでも厨房に居てはこの混雑している中では邪魔になるだろうと思い2階へと上がりサードを待つことにする。
「メイシさんこのままここに居ても邪魔になる。2階の方でサードが来るのを待っていていいか?」
「ああどうぞどうぞ。何でしたら今すぐ私がサード君と交代するので少し待っていてください。サード君も数少ない同性同士、色々と話したいこともあるでしょうし」
この安腹亭の店主であるメイシから2階に上がる許可を貰うと先に上へと上がりサードを待つ事にするファスト。
彼にしばらく遅れ、メイシと入れ替わったサードも店の制服はそのままで2階へと上がって行った。
◆◆◆
2階へと上がったファストとサード。二人はサードが現在使用している部屋に居た。この店でメイシと共に生活し、空き部屋の1つは現在サードの部屋となっているのだ。
部屋の内装はとてもさっぱりとしており、本当に生活で必要最低限の物だけを置いているといった感じだ。年頃の少年が持っていそうな娯楽の類は特に見当たら無い。
「随分と殺風景な部屋なんだな。何か趣味の1つもないのか」
ファストが部屋の中身を見てそう訊くと、サードは少し頬を膨らませながら言い返してきた。
「そういうファストさんの住んでいる所はどうなんですか? 何か代わり映えのする物でも置いてあるんですか」
「いや…まあ取り立てて何も無いが……」
人の部屋の中身に不安を言っておきながら自分も大して変わらない内装をしているので言い返す言葉も見当たらないファスト。そんな様子を見てサードが口を尖らせながら呟いた。
「その分だとファストさんの部屋もさぞや殺風景なんでしょうね」
どこか小馬鹿にしたかのような口調でそう言ったサードは少し不敵な笑みを浮かべる。
年上相手にも全く臆さないその自信溢れる様子を見て本当に出会った頃と比べて逞しさが増したと思った。かつては女性だけでなく同性である自分に話しかけられても少しビクついてはいたものだが……。
――特訓を着けるようになったあの日から一皮むけたな。それとも大切な人を守るためか…。
サード自身が公言している訳でないが彼がレンゲに対し好意を抱いている事はファストでもすでに気づいている。大切な者を守るために強くなりたいと思い、自身を鍛える事は漠然と単に強くなりたいと思い鍛える以上に成長を促してくれる。それを証明するかのように今のサードの強さはもうギルドに所属し仕事を任せられても大丈夫なレベルだとファストの見解では思っている。
まあ彼の恋路はさておき、まずは要件を聞くことにするファスト。
「それで話とは何だ? わざわざ俺と二人きりになってまで…」
ファストが要件を尋ねるとサードは正座しながらも上半身だけを僅かに前のめりにして本題に入る。
「ファストさん。オレを鍛えるようになってからそれなりに時間が経ったわけですけど……どうですか?」
「…? いや、そんな漠然と『どうですか』と言われても…もっと具体的に…」
不確かすぎる質問に首を傾げるファスト。
自分の質問が少し曖昧過ぎた事を理解したサードは再度、質問なの中身を丁寧にして投げかける。
「ファストさんに鍛えられてそれなりに時間が経って以前よりは力が強くなった気はするんですけど、今の俺の強さはファストさんから見てどの程度のレベルなのかと…」
「ああそういう事か。まあ今のお前は随分と強くはなっていると思うぞ。筋もいいし才能もそれなりに備わっているようだしな」
これは世辞でもなくファストの素直な感想であった。
元々初めて出会った時から彼の身体能力は高く、そして変身した状態の力も制御出来てきているので少なくとも絡んでくる怪しげな女性達の撃退くらいは訳ないだろう。
ファストから中々に高い評価を貰い少し嬉しそうな顔になったサードであるが、すぐにキリッとした真面目な表情になる。
「ファストさんから見て今のオレって…魔獣退治もこなせるくらいは強いですかね?」
「ああ、まあそれくらいの力は……ちょっと待て。お前もしかして……」
最後まで言い切る前にサードが何を言いたいかを理解するファスト。わざわざ自分に魔獣が倒せるかどうかなどと確認を聞いてくるという事は……。
そして思った通り、サードは自分の考えた通りの頼み事をしてきた。
「お願いですファストさん。オレを魔獣討伐の依頼に連れて行ってくれませんか」
頭を下げながら自分の予想通りの頼みごとをして来たサード。
飲食店の少年からのその頼みを聞き、また面倒な事になったと思わず頭に手を置き溜息を吐くファストであった。