少女、意中に思いを打ち明ける
夜も更け世界の色彩は黒く染まり空には点々と煌びやかな星々が散りばめられて幻想的な綺羅星を描いている。町の上空の夜の空では美しい光を放つ無数の星の輝きが、そして地上では町の中の家々や様々な店が明かりを灯し夜の町を点々と光で照らしている。
そんな無数の光のうちの1つ、ファスト達が住んでいる宿であるヒールからも明かりが漏れ外を照らしていた。
自分の住んでいる部屋の中から外の景色を眺めるファスト。
窓から見える点々と光る夜の街の景色を眺めながら彼は数時間前までの酒場での話を思い返していた。
◆◆◆
酒場でソードの放ったクリスタル王国内のスパイの存在はファスト達を驚かせた。
まさか有名な王国内にあれだけ危険な思想を持つ闇ギルドの人間が紛れているなど一大事だ。特にファスト達は実際に彼女達と何度も交戦をしているのでより具体的に不安に近い嫌な感覚に囚われる。
その中でもクリスタル王国出身者であるブレーの驚きは一番大きかった。
「あの危険な闇ギルドのビィトゥレェィアルの一員がスパイとして入り込んでいたなど大事だぞ。一体何のために……」
「そのスパイの狙いはクリスタル王国で採取される特殊なクリスタル。そしてそれを利用し作られる魔道具のメカニズムについての情報収集だったみたいよ」
その後のソードの話では、スパイは王国内のギルドの一員として潜伏しておりクリスタル王国で採れるクリスタルに関する情報を嗅ぎまわっていたらしい。普通の結晶とは異なりマナを含んだクリスタルは様々な事に応用できる。
さらにソードは話を続ける。
「このクリスタルを持ち入り出来た魔道具は色々な所へと輸出しているけど魔道具の作成過程は一切他の国に漏らしてはいないわ。クリスタルから魔道具を生成する特殊な技術を私たちの国が独占しているからこそ国が発展したわけだしね」
「…魔道具は全てそちらの国で作った物を売りに出しているのか」
てっきりクリスタルその物も多くの国々や町に出回っていると思っていたファストであったが、どうやらそこから生みだされる魔道具しか世間には出回ってはいないようだ。しかもその魔道具を作る特殊技術はクリスタル王国の機密事項らしい。
ファストが一人で思案しているとブレーが話の続きを促す。
「それでそのスパイは結局どうなったんだ?」
「…まんまと逃げられたわよ。最初は新人冒険者と侮っていたようで追跡に出た者達はみーんな死んだわ。まあ相手は闇ギルドの人間、素性だけでなく実力も偽って潜入していたから返り討ちにされたのも無理ないけど……」
空になったグラスの中に残った氷をストローで突っつきながら淡々と結果を述べるソード。仮にも自分の仲間が死んだにも関わらず何食わぬ顔をしているその態度に少し思う所を感じるファストとサクラ。姉であるブレーは特にその態度を快く思っておらず小さくため息を漏らす。
そんな三人の反応を気にせずソードは話を付け加える。
「とりあえずウチのギルドでは逃げたスパイを捕縛するための追跡部隊を出したみたいだけど……どうかしらねぇ。多分…返り討ちかしら?」
「……仮にも同じギルドの者が命を落とすかもしれぬのに冷淡な物言いだな」
「あら、王国を捨てたアナタがソレを言う?」
「………」
またもや流れる不穏な空気であるがブレーとしても王国を出たことに対し後ろめたさがあるのか言い返すことはしなかった。
姉妹の間で流れる不穏な空気を払拭するかのようにファストはソードに話しかける。
「とりあえずそちらの国で闇ギルドが潜伏していた事は分かった。しかしそれを俺たちに伝えてどうしろと?」
「別にどうもしないわ。ただ一応は目の前の元クリスタル王国の住人がこの町に居る間に起った事件を伝えておこうと思っただけ」
そう言いながらソードはどこか小馬鹿にしたような表情でブレーの目を見る。
その舐るような視線に苛立ち口を開きかけるブレーであったが、そんな彼女の口をファストが身を乗り出し、口に手を当て強引に遮った。
「さっき言っただろう。あまり騒ぐな」
「……」
不満そうな目を向けながらも素直に口を閉じるブレー。
素直に男の言う事を聞く姉を見てソードはぽつりと誰に言うでもなく呟いた。
「本当…変わったわね……」
◆◆◆
クリスタル王国に潜入していた闇ギルドのスパイの一件について話した後、ソードは再び自分を何度かクリスタル王国内のギルドへ移籍しないか誘って来た。勿論その誘いに対してファストはNOと答えた。サクラやブレー、クルスを置いて他の国に移り住む事などできるはずもない。
ファストに移住する意思がない事を知ったソードはこれ以上は勧誘しても無駄と悟ったのか大人しく酒場を出た。
酒場を出た後、自分たちに向けて彼女はこう言った。
『とりあえず今日は引き上げにするとするわ。でも希少な男性をいつまでもこの小さな町にとどめておけるかしらねぇ? もしかしたらウチの王国以外からすっぱ抜かれる事もあるかもしれないわよ』
そんな不穏なセリフと共に彼女は自分たちの前から姿を消した。
その時、遠ざかっていくソードの後ろ姿を見ていたブレーの瞳にはどこか寂し気な色が映り込んでいた。
初めて見た彼女の表情を思い返し夜の街を眺めながらファストはそっと呟いた。
「口では憎まれ口を叩いてはいたが実の妹…やはり思うところもあるんだろうな」
顔を向けている最中は常に険悪な目を向けてはいたが久々の肉親との再会なのだ。心の奥底ではもしかしたら再会を果たしたことに僅かばかりの喜びも感じていたのかもしれない。
そんな仲間の内情の事を考えていると部屋がノックされる。
「ああ、鍵なら空いている」
ノックの主に対して短く部屋に居る事を告げるファスト。
恐らくサクラかクルスでも来たのだろうと思い振り返ったが、扉を開けて入ってきた人物を見て少し驚いた。
「…どうした、ブレー…?」
扉の前に立っていたのはサクラやクルス、そしてこの宿に住んでいる住人ではなくブレーであったのだ。
ソードを見送った後、彼女も自分の自宅へと帰ると言って別れたはずだ。にもかかわらず自分の目の前に居るという事は途中で引き返してこの宿まで足を運んだという事になる。
途中で別れたが再び戻って来て自分の元へわざわざ訪ねに来たのか? 一体何のために……?
「入って…いいか…?」
扉を開きはしたが部屋の中には入ろうとしないブレー。
いつもは積極的な彼女であるが今はとても大人しく、そしてどこか弱弱しく感じる。普段の彼女であればノックの後に返事を待たずして部屋へと突入してきてもおかしくはない。
そんな強気な姿勢を常に醸し出しているブレーが今はとてもか細く見えた。
「とりあえず入ったらどうだ? いつもまでもそこで立っている訳にもいかないだろう」
ファストがそう言うとブレーは扉を閉め部屋の中へと入る。
しばらく無言のまま突っ立っていたがやがては腰を降ろし座り込む。
「それで改めて聞くがどうしたんだ? わざわざ一度別れるておきながら引き返してここまで来るなんて」
「いや…別に何か急用があったわけでもないんだがな。その…なんというか……」
視線を下げ床を見つめながらハッキリとしない彼女の姿を見かねファストの方から言い当てる。
「久々の妹との再会なのに冷たくしたことを気にしているのか?」
「ッ!」
ファストの投げかけた疑問に対して露骨に肩をビクッと震わせるブレー。
彼女の見せた仕草を見て自分の予想が当たった事がまるわかりであった。それに対してブレーは何故言い当てられたのかを不思議に思う。
「どうして分かったんだ? その…妹の事についての相談だと」
「あのソードの去っていく後ろ姿を見ていたお前の瞳が如実に物語っていたさ。すぐに分かるよ」
「はは…そうか。自分では別段そんな瞳をしていたつもりはないが、隠しきれんものだな存外」
溜息を吐きながら苦笑するブレー。そのどこか寂し気な笑みを見ていると普段の彼女を知っているだけにファストも気まずくなっていく。
「……私は王国を捨てた。自分の出生した国を捨てたことは事実だ」
彼女はファストから訊かれる前に自答を始めた。
「あの国だけで採れるクリスタル。そしてそこから生みだされる利益。その結果として国が豊かになるに連れそこに住む国々の者達の意識は次第に私とはズレが生じ始めた」
かつては自分もあの場所へ愛国心を抱いていた。自分の所属していたギルドも様々な依頼を分け隔てなく引き受けており、そこで働いていたことに対する誇りだって持っていた。しかし国が発展するに比例しその中身は腐敗していった。皆の金銭を最優先する考えに遂に耐え切れずに国を出ることにした。
自分の妹も随分と変わってしまい彼女すら置いていき国を捨てた。
「……国が変わった事に耐え切れず国を出た。だが、理由はどうであれ私は妹を捨てたんだ」
自分と血の分けた妹を捨てた事に罪悪感が無かったわけではない。むしろ時折ふとした時に考えてしまう。そして今日、久方ぶりに再会できたことに正直嬉しさだってあった。だが素直になれず心の奥底に閉ざした言葉を何一つ吐き出すことが出来なかった。
――独りでちゃんとやっていけているか?
――仕事で何か困ったことは無いか?
そんな心の本音は何一つとして語ることなく結局は別れてしまった。
今更ながらに何故もっと姉らしい事を言わなかったのか自責の念に囚われ思わず爪を自分の太ももに突き立てていると、何も言わずそっとブレーの肩を抱き寄せるファスト。
「……すまない」
彼の行動の真意を理解し一言だけ謝るとファストの胸に顔を押し付けるブレー。
それから数秒後、わずかに聞こえる嗚咽が部屋の中に響き始める。その悲しみの音を聞こえないふりをしてファストは瞼を閉じ自分の胸元に預けている少女の頭を優しく撫で続けた。
いつも強気で誰にも涙を見せたことが無かった少女はこの日、初めて誰かの前で涙を流したのであった……。




