9.
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少女の考えた商策は、早熟的とは言えど十歳の女の子が考えるには歪なものがあった。
その歪は、作戦のほつれが大きいとか、実現不可能だというものではない。
少女らしさの欠片もない、という意味での歪さだった。
十二月三十一日の真昼。
路地を通りかかる一人の男性がいた。彼の名前はこの話に関与しない。関係があるのは、彼がお金を持っていて、かつ男であるということだけだ。
裕福な男性が公園を散歩するための近道に路地裏を通ると、まるで幽霊さえもおそれおののく美女に声をかけられた。
「……あの」
「! どうしましたマドモアゼル。こんなくらい道で」
彼女の服装はボロ布ではなかった。だから裕福な男性も、一目で少女が売り子であるとは見抜けなかった。
暗がりから一歩ずつ、女性が近づく。
それは時計の針のように、ゆっくりと。
そして長針のようにスラリとした体と、扇情的な胸の圧にのされて動けなかった裕福の男性の傍までやってきた女性――エミーナ。
「……今日は、お寒いでしょう。すこし、こちらで、わたくしの鍋をつつきませんか」
裕福な男性はそれが売り文句であることにすぐに気づいた。
どうするか、などの逡巡は、答えも訊かずにコートを脱がそうとするエミーナの前には無力だった。
「き、きみ!」
エミーナは見上げる形で、訴えかける。
「……もう、鍋の水が溢れていますの」
裕福な男性に火がついた。
ポケットにつっこまれていた手先がエミーナに忍び込む寸前、エミーナの細い腕がそれを拒んだ。
「……暗いのは、怖いの」
「大丈夫さ、怖いのは最初だけだよ。すぐに周りなんて見えなくなる」
「……怖いから、これ、買って」
エミーナは懐から、マッチを取り出しました。
「いくらだい?」
「三百クローネ」
男性は払いました。三百クローネで妖艶な女性とまぐわえるなら安いものです。
女性は嬉しそうに三百クローネを受け取り、そこらに投げ捨てました。
とうぜん、男性は驚きます。
そして、男性は二度、驚きました。
お金を拾う少女がいたのです。十歳ほどの金髪くるくるカールの少女。目は黒く、路地のなかで闇に同化しているようでした。
驚く男性なんてなんのその、エミーナは嬉しそうに微笑み、路地の奥へと連れて行きました。
しばらくすると、ゴミ収集箱の上で膝を立て、頬杖をつく少女のもとに、肉がぶつかり合う音、飛沫が立てる波音、すえたメスの臭い、栓の開いた喘ぎ声が届きました。
少女は耳を塞がず、鼻を覆わず、目を開いて、空を見上げていました。
天国というのは、きっとここから山を三つほど連ねても、まだ足りない頂にあるのだろう。
少女を呼ぶ声がした。
「マッチ! マッチ! ああぁ!」
エミーナの叫び声に、少女はマッチを暗がりに放り投げる。
代わりに、三百クローネが風に乗って足元に落ちます。
少女はお札を拾いながら思う。
エミーナは、いまだれに、いや、何人にその身を支配されているのだろうかと。
女を売る少女は、感情を殺す術を身につけてしまいました。
また、少女は天国から遠のくのでした。
「はぁ、はぁ、はぁ……」
結局、裕福な男性はマッチを五つ、買っていきました。
これは、要するに、チャージ料です。
男性は快楽を得る。
女性は欲望を満たす。
少女はお金を手にする。
誰もの夢が叶う魔法のシステム。
不備があったとすれば、エミーナが気持ちよくなりすぎて、二回目がないことでした。
少女にとっての大誤算。
「……もう、今日はいいや。気持ちいい」
十二月三十一日はまだあるというのに。まだマッチは売れ残っているというのに。
売り少女の切り替えは早かった。
仕方ない。他の売女――リリーかシーナに頼むか。
「あれ、エミーナ?」
そこに通りかかったのは、知らない女でした。
褐色肌。身なりは一般的。しかし、メスの臭いがすれ違うだけでぷんぷんと。
知らない女は、少女を指さしながら路地に倒れるエミーナに質問をする。
「あっれー。この子は? エミーナって産んでたっけ?」
「わたしはマッチ売りの少女です」
少女はすぐに、目の前の女性にエミーナと同じ仕事をしないかと持ち掛けることにしました。
女性からは、女性らしい匂いがぷんぷんと漂ってくるからです。この人はエミーナと同族だと思うことに、躊躇いはありませんでした。
「ねえ、あなた、夢を見る気はない?」
「夢?」
「ええ、夢よ」
「どんな夢?」
「どんなものでもいいわ。この魔法のマッチを擦ると、あなたの願った物を出すことができるわ」
「あ、それ、デップのマッチでしょ。この間、馬鹿な男に胸を揉ませたらしこたま買っていったから覚えてるよ」
少女はその男について邪推することをやめ、目の前の女性に集中しました。
「なら、試してみたらどう?」
一本、マッチを差し出した女性。
「先に、あんたがやりなよ」
「ええ、いいわ」
マッチが一本、勿体なかったですが、まあ、一本くらいいいでしょう。
少女は何を願おうかと考え、いま最も欲しいものを思い浮かべました。
少女はマッチを擦りました。
お金はどこにも現れませんでした。
少女は魔法のマッチが使えないことに酷く驚きました。どうして、どうして。
魔法のマッチ自体が使えなくなったわけじゃないことは、さきほどまでのエミーナさんの喘ぎ声が証明している。
じゃあ、なんだ。なんだ。
なんだっていい。
今は夢でできたお金より、目の前の女性を騙さないと。
少女は少女らしいはしゃぎ方を目指して、声を上げました。
「わー、おかねだー」
女性は少女の三問芝居を鼻で笑いました。
気分を悪くした少女は、女性に皮肉を言いました。
「あなたは夢を見れなさそうね」
「魔法なんてあるわけないんだから、当然でしょう」
しかし、この世に魔法があることは、少女自身が証明しています。
「にしても、エミーナがクタってるのはどうして? あの子があそこまでバテるなんて、百人斬りでもしたの?」
「そうよ」
「魔法のマッチで?」
「魔法のマッチやで」
女性はいぶかしみながら、マッチを擦りました。
やはり、夢は見られませんでした。
「残念」
「残念ね」
少女はこの女性を売り子にすることを諦めて、シーナたちの元へ行こうとしました。
「まあ、待って。慌てんぼうはサンタクロースだけで十分よ、お嬢ちゃん」
「なにかしら。わたし、これからまだマッチを売らないといけないの。お客じゃないなら――」
「えらい懐に抱えてるじゃない、あんた。エミーナだけじゃあそこまで払えないよね。どんな仕組み?」
「商売の仕組みを教える商売人はいないわ」
話してもいないというのい、訳知り顔でトーナは少女にすり寄りました。
「それに乗っかってもいいわ。あなた、女が必要なんでしょ」
「見てたの?」
「どうだろう?」
「……まあ、どっちでもいいわね。ええ、そうよ。必要なの、女性の体」
少女が真面目に答えると、「やっぱり」と女性は笑いながら、自前の大きな胸の位置を調整しました。露骨に谷間が見えるようになります。
「分け前は8:2ね」
女性の提案に、少女は食い気味で否定しました。
「ふざけないで。折半か10:0よ」
「あこぎな商売するねえ嬢ちゃん。わたしは普通に売りをしたっていいんだよ。嬢ちゃんのマッチなんて付属品もいいところなんだから」
「じゃあそうすればいいじゃない。そうしないってことは、なにかしら私のマッチに思うところがあるのでしょう?」
売り少女の当て水量に、女性は苦笑い。
そこいらの騙せるガキとは違うなあ。
「……下手な男が多いのよ。特に、年の境は下手な男が慌てて駆け込むことがある。今年の厄払いでね。そういう下世話な奴らにはマッチの品切れを言い訳に、早く切れるでしょ」
「そう」少女は興味がなかった。「折半でいいわね」
「お金にしか興味ないのね」
少女は無視して話をすすめた。
「じゃあ早速、サインを決めておきましょう。あなたが中止を願うときのサインを」
「そうね。あ、それより自己紹介をしないと。わたしの名前はトーナよ」
これにはさしもの少女であっても、驚きを隠せませんでした。