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11.

11.


 少女の変遷など、最早ない。

 少女はこのときには、もう完成した。


 少女自身が気づくか否か。全てはそこに委ねられた状態で、世界は十二月三十一日を繰り返した。


 何度も、何度も。


 あるときはエミーナに殺されかけ、あるときはリリーに殺されかけ、あるときは街の見知らぬ暴漢に襲われそうになり、またあるときはデップやカリオストロとはち合った。

 幾重のパターンを見極め、彼女は延々と、やり直しを願った。 


 やり直しを。

 やり直しを。

 やり直しを。



 少女は赤色のマッチを擦っても、何も生み出すことができない。


 いつか味わったターキーの味を、もう思いだせない。


 いつか見た電灯の明かりを、もう思いだせない。


 思いだせないものばかりが増えて、やがて少女は思いだす。


 いや、思い直す。



「どうして私は、マッチを売っているの」



 それはマッチ売りの少女だから?

 マッチ売りの少女だからマッチを売るなら、マッチ売りの少女がマッチを売らなかったら何になるの?


 わたしは色々な人から色々な名前で呼ばれいる。

 でも、誰一人として、私の名前を呼ぶ人はいないの。


 わたしの名前を。


 私の名前を。


 ……。


 少女はマッチを擦りました。

 願い事があったからです。


 それは、人間の原理的な欲求「知りたい」に属するお願い事。


「わたしの名前を教えて」


 魔法のマッチは応えてくれませんでした。


「……」


 路地を見る。シーナがあんあん言ってる。

 カゴを見る。マッチ箱がまだいくつか残ってる。

 袋を見る。溜め込んだ小銭がたんまり。

 空を見る。遠い。


「わた、わたしの、わたしの……名前、は……なんだっけ……」


 少女は自分の身を抱きしめました。


 十二月三十一日はよく冷える。


 小さなマッチの明かり程度では、少女の冷え切った身は暖まらない。

 もっと、強くて、大きな、火が欲しい。

 それがわたしの願い……?


 違う、お金が欲しい。どうしてお金が欲しいの……?

 お金が欲しいのは、どうしてだっけか。


 なんだか、買いたいものがあったはずなのだ。ターキーだ。


 そう、ターキー。

 ……どうして、ターキーを欲しがったんだっけ?

 もう思いだせない。


 少女は路地裏で空に向かって手を伸ばす。冬の空は高かった。


「大きな、大きな火が欲しい」


 それは少女の切なる願い。


「凍える身体が芯から燃えるくらい強い火。太陽さえも兄弟を見つけたと勘違いするくらい大きな火。魔法のマッチを擦ったくらいじゃ足りない」


 少女は金色マッチ箱から赤いマッチの一つを擦る。

 闇に溺れた黒い瞳で夢は見られない。


「シーナさん、マッチ一箱、タダで置いていきます」


 喘ぎ声の隙間を潜り抜けてシーナの声が届く。


「守銭奴の嬢ちゃんにしては珍しいじゃないか。どうしたんだい」

「少し用事ができました。今日はもうここまでです」


 そうだ。今日は、もうこりごりだ。


 終わらない十二月三十一日。


 終わらないのなら、始まりをなかったことにしよう。


 大きな大きな火で、約束をくべて歴史を燃やそう。




 少女はそうして、一軒の家の前に立った。

 みずぼらしい家。隙間風と仲良くなれる家。

 笑っちゃうくらい貧しい家。私が十二月三十一日に稼いだ全てのお金を足せば、きっとこんな家は買えてしまう。


 マッチを売ったぐらいで買えてしまう安い、チープな、家。


 赤いマッチは、現実に火を灯す。

 現実の火は、少女の顔を照らす。

 少女の顔は――。


 少女は、手のひらよりも小さい火を、我が家へと投げ込んだ。


「……」


 木造の壁を鼠が走るように、少女の放った火は瞬時に回る。


 家屋の壁は脆く、崩れてドアもひしゃげた。あれでは誰も出られないだろう。


 中からは誰も出てこない。


 飲んだくれの父と、力に付き従う母。

 家にいることは、過去に戻って調査済みだ。


 出てこないのなら、燃えたんだろう。


 マッチ売りの少女は、屋根から立つゆらめく火から目を反らしました。

 マッチの火のように芯の通った一本の火じゃないから、火事の火の手は風に吹かれて形を変える。


 それがまるで、自分の胸の内を表されているようで、不快だった。

 わたしは迷ってなんかいない。


 火事に集まってきた野次馬に紛れながら、マッチ売りの少女は唇を噛む。


 わたしは迷ってなんかいない。

 お金を稼がせるために冬の日に子供を追い出す大人だ。


 大人は汚い。


 相手の事情なんて考えない。皆が皆、自分の欲望のためにしか動かない。

 わたしは大人になったんだ。


 だから、迷わない。

 自分の欲望のために動くんだ。


 お金を手に入れた。魔法のマッチを売ったお金でどこかに家を建てよう。わたしならどこでも生きていける。今日という日を繰り返した私は、同年代の女の子の誰より、抜きんでて、卓越して、逞しい女の子だろう。


 背を向ける。


「さいなら」


 少女は歩き出す。


「おっと、そう慌てなさんな、嬢ちゃん」


 少女の視界は滲んでいた。だから後ろで待ち構えていた男の存在にきづけなかった。


 銀ピアスが炎を反射する。


「カリオストオロ……!」


「おう、嬢ちゃん。生憎だねえ、さっき売りに来てくれたマッチだが、どうやら外れだったみたいだ。リコールっていうのかい、魔法のマッチなのに夢が見られないんだから詐欺だろう? もう一本、マッチを貰っていこうかねえ」


 カリオストロのギラギラとした目には現在進行形で轟轟と燃える家が入っていない。獲物を捕らえた蛇の目は、少女を逃がさない。


「かんにんな。今日のマッチ売りはもう終わってしもたねん。明日また出直してや」

「それはねえだろう。今日は年末だ。少しくらい優しくしてくれたって、バチは当たらねえだろ」

「優しくしてくれる人にしか優しくできない性格なのよ。ひねくれててゴメン遊ばせ」


 少女は目線を動かす。カリオストロの隙はないか。私を覆うように立ち塞がるこの男から逃げ出す術はないか。


「優しくしてやるって。親切は後払いって相場は決まってんだよ」


 カリオストロの声のトーンは段々とさがっている。衆目の目がある。ここで手を出すことはないだろう。

 けど、体格は大人と子供だ。口を塞がれて体を抱えられたら一巻の終わりだ。


 少女はカゴの下から、一つのマッチ箱を取り出した。


「そう。しゃーないなあ。じゃあマッチを一箱、プレゼント」

「おう、話が早いじゃねえか」


 少女はマッチ箱をカリオストロに渡した。

 カリオストロが金色のマッチを欲しがっていることはわかっている。


 マッチ箱の中を一目したカリオストロは、口が裂けるほどの笑みを浮かべた。


「あっひゃっひゃ、どうやらアタリみたいだ」


 少女は何も言わない。


「嬢ちゃん、悪いな。金色のマッチは俺がもらっていくぜ」


 少女は素知らぬ顔で言う。


「金色のマッチなんてあったんかいな」

「ああ。ほらよ」


 カリオストロが手にしたマッチ。それの頭は、確かに金色に光っていました。

 驚き顔の少女。


「度々、不良品を押し付けてしまってえらいすまへんな。マッチは赤と相場が決まっているのに」

「相場なんて気にする必要はねえさ」


 どの口が言うんだと思ったが、放火魔の少女は余計な口を挟まなかった。


「それじゃあ。またどこかで」


 少女はうやうやしいお辞儀をして、今度こそ十年間を過ごした我が家から立ち去りました。





 少女はこの先の未来について考えていました。


 十二月三十一日の呪縛は、これで解かれた。


 なんせ、叶える目標を焼いてしまったのだから。

 このさき、わたしがどれだけ魔法のマッチを売ったところで、魔法のマッチを売り尽くしてマッチ売りの少女ではなくなったとしても、わたしが帰る場所はなくなったのだから。


 マッチを売るという目標は、もうなくなった。


 少女は大通りから、自然と足を路地裏に運びました。それが彼女にとっての普通となっていたからです。


 そして、それは虎の巣穴に飛び込む行為であることを、少女はもっと自覚すべきでした。


「はーい」


 暗い路地に入った少女を待ち構えていたのは、褐色肌のトーナでした。


「あなたが魔法のマッチを持ってる子ね」

「ええ。あなたはどなた?」

「わたしはトーナ。エミーナは知ってる?」

「いいえ」

「じゃあリリーかシーナは?」

「シーナさんは知っています」

「じゃ、シーナの知り合い。よろしくね」

「はい。それではさようなら」


 少女は足早に彼女の横を通ろうとしましたが、トーナは腕を広げて通せんぼの恰好をとります。


「まあまあ、少しは落ち着きなって」


 トーナを睨みつける少女の背に、男の声が飛びます。


「トーナが捕まえたんだ」

「でかしたぞ、トーナ」


 振り向くと、見慣れた二人組――デップとカリオストロが路地の入口を塞いでいました。

 少女はすぐさま罠にはめられたことを理解しました。


 似たようなことが、前にもあったからです。


「少女虐めに加担するのは心が苦しいけどさあ、あんたを捕まえたらデップがエミーナの借金を代わりに払ってくれるらしいのさ。悪いね」


 トーナは悪びれずに、そう言いました。


 デップは、


「エミーナの分だけだからな。他のまで払ってたら魔法のマッチを手に入れても売らなきゃいけなくなる」


 と、世間話をしていました。


 魔法のマッチを持つ少女は馬鹿話に付き合っているのも煩わしくて、ポケットの金色のマッチを握りしめ、マッチを擦ろうとしました。


「おい嬢ちゃん、すこしたのしい話をしねえか」


 その寸前、カリオストロが少女に話しかけます。


「たのしい話? なにかしら?」

「親を殺したら、いつか絶対に金色のマッチが欲しくなるって話だよ」


 カリオストロは少女に勢いよくタックルをかますこともなく、パイプをふかしはじめました。


「俺はな、嬢ちゃんよりかは年上のとき、親父をぶっころしたんだ。あいつは酒酒酒でうるせえし、働きもしねえ。それだけなら我慢ができたが、俺の女を奪いやがった。別段、いい女でもなかったが、腹が立ってた。気づいてたら殺してた」


「それがなにかしら。あなたの昔話に興味はないのだけれど」


「長い話でもねえよ。話はこれで終わりだしな。俺はあのときを後悔してる。クソな親父だったが、死ぬ間際に母さんが会いたいとかぬかしやがった。ボケてんだろうな。地獄で会えばいいが、合わせてやるのが親孝行ってもんだ。ほれ、金色のマッチをよこしな」


 少女は同じ言葉を吐きました。


「それがなにかしら。その話を聞いたからといって、わたしが金色のマッチを手放す理由にはならないのだけれども」

「だよなあ。俺もそう思うわ。金色のマッチで人生をやり直したところで、どうせまた女を取られたときに俺はあの親父を殺すだろう」


 少女は、会話のキャッチボールが成り立たない男との会話をやめようと、今度こそマッチを擦ることにしました。


「そうなの。ご愁傷様ね」

「ああ。だからな、親を殺したお前にもやり直しはさせない」

「な……!」


 少女の背にはトーナがいました。トーナは少女の腕を抑えつけ、ポケットから金色のマッチを熟練のスリ師の手際で抜き取りました。


「か、返せ!」

「悪いね。私もお金にこまっているのさ」


 トーナは金色のマッチをデップに放り投げました。デップは大きな体格のくせに、繊細にマッチを扱いました。


「その金色のマッチはわたしのだ!」

「そうかい。じゃあ、嬢ちゃんはこの金色のマッチを擦って、両親を生き返らすのか」

「生き返らさない!」

「それは無理だろう。やり直したら、嬢ちゃんはまた両親を殺さないといけなくなる。金色のマッチを擦る目的はなんだ? 嬢ちゃんは親を殺すためにやり直すのかい?」

「ち、違う! わたしがやり直すのはお金の、じゃなくてターキーの、でもなくて……」


 少女は自分の願い事がわかりませんでした。

 カリオストロはデップから金色のマッチを奪い、トーナに組み伏せられている少女の眼前に置きました。


「ちょ、カリオストロ! なにしてるんだい!」

「賭けだよ。

 嬢ちゃん、金色のマッチを擦ってみな。ただ、やり直せなかったら俺たちにそいつを渡せ」


 慌てるデップと言い争うカリオストロ。トーナは未だに少女の上に乗っていた。



 少女は考えました。


 わたしが金色のマッチを擦ってやりなおせない可能性について。

 ゼロだ。わたしは必ず、やり直しができる。


 なぜなら、少女の推測では、条件がある赤いマッチと金色のマッチは根っこから違うものだ。


 赤いマッチは人によっては発動しないことがある。だが、赤いマッチを擦っても夢を見られない少女でも、金色のマッチは作動した。


 この場でも、確実に金色のマッチはやり直しができる。


「ええ、いいわ。もし私が時間を戻すことができなかったら、魔法のマッチは全て、あなたたちにあげるわ」


 カリオストロは笑いました。


「ああ、そうだ。さっきもらったこの偽物の金色のマッチは、もちろん使わないぜ。上から金色に塗っただけのこんな嘘マッチに騙される馬鹿もいないだろうが、ここに誘い込むために一芝居うたせてもらった。嬢ちゃんがこれから擦るマッチは、正真正銘の本物だ」


「もう信じないわよ」


 もう、という言葉の意味合いをはっきりと理解しているのは少女だけだったが、誰もつっこまなかった。


 トーナが少女の上からどく。

 少女は落ちている金色のマッチを手に持った。


「チャンスは一度だぞ」

「ええ。じゃあ、行くわよ」


 少女は目をつむった。

 瞼の裏には、見慣れた景色が既に映し出されていた。


 そして少女はマッチを構えて、擦った。



 世界は動転する。


 ――はずだった。



「……ほらな」


 カリオストロの勝ち誇った笑みが、瞼を閉じていても見えるようだった。


 視界は変わっていない。

 燃えた家は復元されていない。

 路地裏で、わたしは大人に囲まれている。



「世界はそんな都合よくできていないのさ。罪を消すために時間を巻き戻すことも、目標を忘れた嬢ちゃんに猶予を与えるだけのやり直しも――親をもう一度ころすためにチャンスを与えることなんて、魔法のマッチ程度じゃ無理な話さ」


 呆然と立ちすくむ少女からは、生気が消えていた。


 カリオストロは少女の手から、一部が焼けた金色のマッチを取って、路地から出て行った。


「じゃあな、親殺しの犯罪者。罪をつぐなって大人になったら、煙草屋をご贔屓に」


 路地には何もかもを失った少女が立っている。

 マッチを手放した少女は、マッチ売りの少女ではない。

 売り物がなくなった少女は、その商才を発揮する術を失った。

 そして最後に持っていた少女の――。


「おかしいな。涙が出ない」


 少女は口に出しました。親を殺して、親を生き返らせる方法さえなくして。

 それでも、少女は泣きませんでした。


「わたしが二人を殺したのは事実だ。その罪を背負っていくのが正しい生き方かもしれない。でも……私は、私が一番大事だから、こんなに汚れた私ではいたくない」


 少女は歩き出しました。

 ひときわ大きな、火の近くへと。



 少女の家は、まだ燃え盛っています。



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