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※どなたかあらすじ書き直して
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逆三角形の口ヒゲに雪をのせた恰幅のいいおじさんは、見下げた先にいる十くらいの年の少女に言った。
「ごめんよ。マッチは要らないんだ。のこり一時間ほどで終わる今年、わたしは一本もキセルを吸わなかった。今更、その信念を変えることはできないよ」
スーツにコートを合わせる口ヒゲのおじさんは申し訳なさそうに視線を下げて、もういちど謝った。
「ごめんよ。マッチ売りのお嬢ちゃん」
お嬢ちゃんと呼ばれたマッチ売りの少女は、立ち去ろうとする口ヒゲのおじさんを見送る――ことなく、コートの背を両手でわしづかみした。
「いやいや、そう慌てんと待ってーな。確かにキセルを吸わんなら、マッチは要らんわなあ。でも、家に帰ったら蝋燭用のマッチが切れとるかもしれん。暖炉も点けずに過ごす冬は寒いやろ? 明日は新年やさかいに、店なんてあいとらへん。いま、うちから買うのが買い時や!」
「え、なんだいこのマッチ売りのお嬢ちゃん、ぐいぐい来る」
口ヒゲのおじさんは、商魂たくましい少女に困惑しました。
「とにかく、わたしは要らないよ。マッチを買って欲しいなら他をあたりなさい」
「そうさみしいこと言いなさんなって。もう一時間もしたら新年ってときに、外をほっつき歩く人なんて誰もおらんねん。おねがいやさかい、後生!」
「悪いね。健康のためにキセルはもう吸わないんだ。よいお年を、金色の瞳のお嬢ちゃん」
マッチ売りの少女の懇願も空しく、口ヒゲのおじさんは家路へと急ぎました。
少女は大通りの傍らで、ひとり空を見上げた。
大粒の雪を降らせるデンマークの寒空は、いまにも黒い雲をかきわけて悪魔の歯が見えるようでした。
野ざらしの少女の髪の毛に雪が積もります。くるくるカールだった金髪ヘアーは、雪が解けて小川のようになってしまいました。
赤いほっぺにまとわりつく髪の毛がことさらに少女の体温を奪う。
このままでは、少女は寒さのあまり死んでしまうだろう。
「マッチ、マッチは要り用じゃありませんか? 四十クローネです」
少女はたまに通る厚いトレンチコートを着た道行く人にマッチを売り込みます。
今日は十二月三十一日。
家に帰れば誰もが幸せなひと時を家族と過ごすのでしょう。
これから幸せが待っているのなら、マッチの一箱くらい買ってあげればいいのに! マッチ売りの少女が可愛そうだ!
と、読者諸兄のみなさまは思いますよね?
「アカン! 誰も買うてくれへん」
けれど、誰も買わないのです。
マッチ売りの少女が口にするマッチ一箱の値段を耳にして、避けて通るか顔をしかめるかしてしまいます。
それもそのはず。
蝋燭に火を灯すかパイプのために一瞬だけ使うマッチなんて、十クローネでも高級品。
四十クローネのマッチを売らされている少女に同情すれど、大損の無駄遣いをする人はいません。
「マッチ、マッチ使うやろ……? 要らんか? 四十クローネなんです。売らなきゃ帰られへんねん……」
吹雪に吸い込まれたマッチ売りの少女の声は誰にも届きません。
次第に人の足音はなくなり、犬の遠吠えだけがどこかから聞こえてきます。
白い吐息で感覚のなくなった手を暖めながら、少女は街灯の下に座り込みました。
「寒い、アカンめっちゃ寒い。年越しのためのターキーさえ買えればそれでええねん。おとんとおかんはコーヒーで、わたしはターキーを食べられればそれでええのに。はぁ……」
マッチ売りの少女の頬を流れた涙は、宝石のように凍ります。
お客もいなくなって、少女の商魂もその闘志が消火されてしまいました。
「体を暖めないと、家に帰るだけの気力も尽きてしまうわ」
少女は腕に下げていた木編みのカゴから、一箱四十クローネのマッチ箱を取り出しました。
そのマッチ箱は、少女の父親が『魔法のマッチ』だという売り文句に騙されて仕入れたものでした。
なんでも、夢を見られるのだとか。
そんな嘘に騙されるほど、少女は自分を馬鹿ではないと思っていました。
しかし寒さを和らげるために暖を取ろうとマッチを擦ったとき、それが本当であったと知るのです。
「ターキー! 目の前にターキーが現れたの!」
吹雪に混じって上手に焼けた七面鳥の香ばしい匂いが。皮の上をおどる油の躍動感までもが、少女の瞳には克明に映ります。
「ああ、やっぱり年越しにはターキーよね。ターキーのない年越しなんて、タコのないタコ焼きか悲劇のないアンデルセン童話よね、ほんとに」
パラドックスの起きかねない発言はさておき。
少女は若鳥の丸焼きにかぶりつきたくてたまりません。立ち上がろうとしたとき、少女は願いを叶えるために擦った火のマッチを雪の上に落としてしまいました。
地面の雪に触れたマッチは消沈。するとなんと、ターキーも消滅してしまいました。
「なんでや!!」
慌てて手を伸ばすも、見えるのは吹雪と寒さで腫れた少女の手だけ。
「……まさか、このマッチが夢を見せてくれていたの?」
マッチ箱にはニ十本のマッチ。
少女は二本目のマッチで、またもやターキーの夢を見ました。
「凄い、凄い! ほんとうに魔法のマッチだったんだ!」
驚くことに、魔法のマッチが作り出したターキーは食べることが出来ました。
「美味しい、おいしい。こんなに美味しいものを食べたのは、いとこのクヌートが結婚式を挙げたときの素揚げされた子豚以来だわ」
クヌートのお嫁さんの連れ子みたいな子豚やな、と陰で言ったらお母さんに叱られたのだっけ。
マッチ売りの少女がターキーを食べられるのは、マッチの火が点いている間だけでした。
マッチの火が消えると、口の中からターキーのお肉も匂いも油もスパイスも、全てが嘘のように消えてしまいます。
口の中のご馳走が消えてしまう悲しみといったらありません。マッチ売りの少女は涙をこらえて、次のマッチを擦りました。
マッチの火が消えるたび、また次のマッチを。
デンマークの吹雪は強く、こんな夜遅くに外を出歩く人もいないだろうと、少女の頭上の街頭さえも働くことをやめています。
右も左も、上も下も。
帰る場所も忘れてしまったマッチ売りの少女。
「最後のマッチはターキーじゃなくて、消えない蝋燭をお願いします。そうすれば、わたしはおうちに帰れるわ」
四十クローネのマッチ箱から、最後のマッチを取り出す少女。
デンマークの街の片隅。
消えた街灯の下で、白銀の明かりが少女を優しく包みこみました。
「………………あら?」
マッチ売りの少女は小首を傾げる。
なにか、いや、全てが。先ほどまでと違うのだ。
何が違うのかというと、まず、夜じゃない。空が明るいからまだ朝だ。
続いて、寒くもない。
少女の体は、まるでストーブの前を一時間ほど陣取ったあとのように温かだった。
それと最後に……。
「これ、アンタ。まだ行ってないのかい!」
振り向くと、少女の家があった。
コンクリートや石造りじゃなくて、木造建築。
ケーキの苺みたいに小さな家。
穴だらけの屋根には干し草を詰めてある。この家に住んでいたら、三日で隙間風と仲良くなれるだろう、ぼろい少女の家だった。
そしてマッチ売りの少女のお母さんが、家のドアから少女を覗いていた。
「そのマッチを全部売るまで帰ってくるんじゃないよ」
ドアを強く引いた少女の母が、鍵をかける音をする。
鍵をもたない少女がこの扉を開けることはもはやできない。
そして、決定的な違い。それは…。
「どうして! ぜんぶ、ぜんぶぜんぶ! 残ってるなんて!」
腕から下げた木編みのカゴには、最後の一箱まで売ったはずの魔法のマッチ箱が山盛り積まれていた。