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初恋の続き

作者: 我路あさこ

時に人は偶然にも出会ってしまった人に心を奪われることがある。それが既婚者だとしたら人々は一斉に非難するだろう。だがもしそれが純愛で体の関係が一切ないものであったら?体の関係どころか口づけさえもしていない恋だったら?それでも人はその心の繋がりのある関係を不倫、浮気と呼ぶのだろうか?

もしくは「心の浮気は不倫や体の浮気よりも質が悪い」と言われるのだろうか…。

深々と降り積もる雪に逆らう事なく、ただただ静寂に包まれていた1月の夜。

家の辺りは白く輝く雪に覆われ、まるで通りを歩く人などは存在しないかの様に人々の足跡を綺麗に消していた。家の中では降雪が予想され翌日の休校が決まり、騒ぐ子供達の声が響き渡り自分の仕事もお休みになればいいのに、と冗談めかしく話す夫の姿があった。

結婚10年、2人の子供に恵まれ出産後は専業主婦として家事と育児に専念している38歳。夫は3歳年下のアメリカ人。とても頼りになり協力的で、仕事にも家庭にも一生懸命な完璧に近い夫であり父親だ。

結婚7年目の年に夫の転職ででアメリカの東海岸に引っ越してきた私達家族だが海外生活に慣れるまでにはそう時間はかからなかった。子供達の学校や習い事の繋がりでお友達も出来、出張族で夫が不在がちでも何とか在米3年が過ぎた今、私1人で対応できるようになった。

今想えば、この余裕こそが私の心に隙間を作りその隙間に入ってきたそよ風に心をかき乱される事になったのだと思う。もっと正確に言えばそのそよ風を心に入れたのは私自身だったのかも知れない。


とある夜、夫から「今週土曜日、一緒に来てもらいたい場所があるんだ」と言われた。

こんな寒い雪の中、一体どこへ行くのか見当もつかなかった。子供達はもちろんだが、夫が心から行きたい場所だと言う。自分の夫が行きたい場所、話しているだけで目を輝かせるほど楽しみにしている場所。

結婚して10年が経ったというのに夫の言うその「場所」の見当がつかない事が情けなく、また何とも言えない不思議な気分だった。

その土曜日、夫は「子供達には動きやすい服装をさせてね」と言い、自らもジャージにトレーナーという格好をしていた。「もうそろそろ行き先を教えてくれてもいいんじゃない?」と言って笑う私に夫は「あと20分もすればわかるから!」と子供の様な笑顔で私に答えた。車の後部座席では何処に行くのかとお互い好き勝手に想像して笑い合っている子供達、ハンドルを握り嬉しそうに運転をする夫、私はそんな私の家族を交互に見つめ幸せを噛みしめていた。

高速道路を北へ向かい車を走らせること約20分、その殺伐とした倉庫のような建物に到着した。

幾つかのオフィスが入っているようにも見えるが、これが一体何の為の建物なのか全く予想がつかなかった。相変わらず深々と降り続いている雪、辺りは一面真っ白でこの寒さと雪の中でこんな辺鄙な場所へやってくる人なんかいるのだろうか?そう半信半疑になりながら入口の大きな扉を開いて中へ入って行った。

扉を開けると大きな肖像画が飾ってあった。誰の肖像かはわからないが、そのいで立ちから空手か何かの師範代、もしくは創設者のような存在なのであろう事は私にもわかった。

そうだ、夫は空手の道場を探していたんだ!とひらめいた。

夫は独身の頃にアメリカのサンディエゴに駐在していたことがある。18カ月と決して長い間ではなかったがその駐在期間に同僚に誘われて空手を習っていたのだ。

アメリカという土地柄、あまり期待はしていなかったそうだが入門している人は皆、とても礼儀正しく謙虚で挨拶やお礼をするときの会釈もきちっとしていて驚いた、日本人としての本質を見直す良い機会だったとだいぶ昔に聞いたことがあった。

自分に子供が出来たらその時は必ず空手を習わせたい、婚約していた当時にそんな事を言っていたのを思い出した。子供も7歳と4歳になり、そろそろ空手を始めてもいい頃じゃないかと思い私達の住んでいる町周辺で空手の道場を探していたのだと言う。もっと近場にも幾つかの道場があったそうだが、サイトを見る限りだとこの道場が日本人の心の在り方、日本の文化にいちばん近く理解を示しているように感じた、というのが夫がこの道場に決めた理由だった。

道場は子供達の楽しそうな笑い声、和気あいあいした雰囲気の中にも背筋が伸びるような先生方の活気のある掛け声で溢れていた。そんな状況に背中を押されるように自然と稽古の輪に入って行く子供達。

どちらかと言えば寡黙な夫も初対面とは思えないような表情で先生方と談笑しながら道場の話を興味深く聞き入っていた。今日は稽古を見学に来たつもりだったが、いつの間にやら子供達も夫も90分程ほかの生徒さん達と一緒に体験稽古をさせてもらい終わったころにはほっぺたを赤くして満面の笑みで私に駆け寄って来た。「ここで空手の稽古を始めたい」という夫に私も笑顔で首を縦に振った。

その日の私達の案内役をしてくれ子供のクラスを教えている空手の先生が私達をオフィスへと促してくれた。顔を合わせてからまだほんの数字間だが子供や私達の名前をすぐに憶えてくれて、子供達への接し方もとても優しく夫も私も既に入会するという気持ちだった。

家族3人分の月謝の金額、入会後6カ月は退会できない事などの説明を一通り受け、それでも「入会を急ぐ必要はありませんよ、心配でしたらあと2,3回無料体験に来てもらっても構いません」という言葉に夫も私もとても関心した。そして先生は「家族4人目からは無料ですので、お母さんもいつでも好きなだけクラスに参加してください」と私に言葉を向けた。

24、5歳と思われるその先生の名前はシン。

とても綺麗な澄んだ目をしていて、見つめられると吸い込まれそうだった。自分の夢に向かって進みその未来を信じ、自分自身に対しほんの少しの迷いも無い、と言うような純粋で美しい、また力強い目をしている男性だった。

私は彼に「私は空手を始めるにはちょっと遅いから…」と笑って誤魔化しその場をやり過ごした。

はっきり言ってエクササイズなどには興味はなく、家の模様替えをしたりお友達とお茶を飲みに行ったりすることのほうが好きだった。37歳で空手を始めるなんて、そんなの想像できない。そんな気持ちでいっぱいだったし興味さえ持っていなかった。その気持ちは私が、「浮気なんて有り得ない、夫以外の人とどうにかなるなんて意味がわからない」と不倫というものをばっさり切り捨てていた頃の気持ちに似ていた。


それから子供達は週3回、夫は週1回のペースで空手の練習に励んでいた。練習をすればするだけ上達する、そんな気持ちが子供達の心に宿っているのが私にはとても嬉しかった。長男の顔つきはとても男の子らしくなり、長女の顔つきも凛としてきた。アメリカ生活ではお辞儀をする機会が殆どなかったが、道場では挨拶する時などは必ずお辞儀をさせていて、いつしか子供達のお辞儀も不自然ではなり、礼儀正しくなったのは一目瞭然だった。そんな子供達の成長が嬉しく、誇らしく、私も空手の送り迎えはもちろん子供達のお稽古を毎回見学していた。稽古を見学する親達にいつも優しく愛想良く話しかけてくれるシン先生。

子供達がどんなに頑張っているか、何を得意として何がまだ苦手か、細かく話してくれて聞いているこちらも「本当に良く子供達を見ていてくれる」と毎回安心するほどだった。

その日も私はいつも通り道場の見学者用の席に座り楽しそうに稽古をする子供達を誇らしく思い、軽い笑みを浮べながら見つめていた。そこへシン先生がやってきて私にこう言った。

「いつも優しい笑顔で子供達を見守っている優しいお母さんですね。」あの透き通った、一点の曇りもない瞳で見つめられてしまうと彼の優しい言葉へのお礼を言い忘れてしまいそうになった。

「あ、有難うございます。でもこれは外出用の私で、家ではいっつも子供達を怒ったりしてばかりなんですよ。もうちょっと穏やかにならないと…っていつも反省の毎日です。」そんな余計な事まで言ってしまった私にシン先生は優しく笑ってくれてこう切り出した。「子供たちが学校へ行っている間にお母さん方にも習って欲しい、という道場の思いもあって週2回午前中のクラスがあるんです。それは僕が担当している初心者用のクラスで少人数なので気軽に楽しく習えると思います。来週から始めてみませんか?」と。

私が空手?と一瞬黙ってしまった。私は小学校1年生から9年間、バレーボールを9年間やっていた。親とは中学卒業と同時にバレーボールを辞めて高校生活では学業に、また母親が茶道と華道の先生をしていたので、そちらのお稽古にも専念すると約束をしていたので高校では茶道と華道、そして本業である勉学に明け暮れていた。それに不満は無かったが、結婚して長男を出産した後に近所にママさんバレーのチームが無いか探そうとした事を唐突に思い出した。体は健康そのもの、体力もあるのにスポーツをする機会が無い。細かく言えばバレーボールをしたいのに、出来る場所やチームがない。そんな事で長男を出産してからの8年間は半ば諦めていた、というよりも自分が何かをするという事をすっかり忘れていたのだ。

本心を言えばバレーボールをもう一度したい、だけども出来る場所とチームがない。だったらいっそのこと空手を始めてみようか?私の月謝は払う必要は無いんだし合わなかったら辞めればいいし、と軽い気持ちが奥底から湧いてきた。そして私はシン先生にこう言った。「では来週、午前のクラスを体験という事で1人で伺いますね。」それを聞いた先生は「楽しみにしています!」と笑顔で答えた。


その晩、週の半ばだというのに珍しく夫が帰ってくると道場からの帰りの車中電話があった。今夜は簡単に夕飯を済ませようと思っていたが、家族の為にと一生懸命働いてくれている夫が帰ってくるのならば、夫の好きなものを献立に入れてあげようと思い、近くのスーパーに寄り買い物をしてから帰る事にした。

夕飯の支度をしながら子供達を急いでお風呂に入れ、それが終わると子供達にリビングでテレビを観させる。ママは忙しいから喧嘩はしないでね、と一言だけ子供達に言いつけ私は台所でせっせと夕飯の支度をしていた。メニューはエビとホタテ、アスパラガスがメインのかき揚げ、豆腐とわかめのお味噌汁、いんげんの胡麻和えと白米。すべての支度を終え、炊飯器にお米が炊けるまで8分の表示が出た頃に夫が帰宅した。

玄関に入るなり「この匂いはかき揚げだ!」と子供の様に満面の笑顔で台所へ入って来た。

私は結婚した当初から夫のこういうところが大好きだった。私の作る食事のメニューに素直に喜びを表し、それを口に運ぶと美味しいと言って笑顔で食べてくれる。もしその日の食事のメニューの中に夫の好みではないものが含まれていても必ず食べてくれる。そしてすべて食べ終わったときに「美味しかった!でも今日の○○はあんまり好きじゃないかも」と気遣いながらちゃんとした感想を言ってくれる。

だから飛び切りの笑顔で美味しいと言ってもらえると、ああ本当に美味しいと思ってくれて食べてるんだなと、私はとても嬉しくなった。

夫はとても仕事熱心で、上司からの評判もとても良かった。入社した年の下半期に表彰もされた。

ここアメリカでは専業主婦というのが非常に少ない。結婚後、出産後もキャリアを磨きたい、捨てたくないという上昇志向の高い妻、共働きでなければ家のローンどころか食費さえままならない等、各家庭の事情によりけりだが共働きの家庭がとても多い。私の住んでいるこの町の友人も専業主婦は私ともう1人の3児のママだけだった。私はこの一人の時間に何かしらの仕事が出来て、それがお金に換算されるなんて本当に羨ましいと思っている。でも働いているママは「専業主婦でいられることが羨ましい、子供の学校の行事をお手伝いに行けるのが羨ましい、夫1人の稼ぎですべてを賄える家庭が羨ましい」と言う。結局のところはお互いに無いものねだりなんだろう。

だが私は確かに、家で家事をして時々は友人とランチをしたり、朝ごはんを食べに行ったりお茶を飲みに行ったりして日中はとても自由に過ごすことが出来ている事にとても満足していたし、それを何不自由なく、文句の一つも言わずにそうさせてくれている夫に心の底から感謝していた。

この人を裏切るなんて事は一生ない、有り得ないだろう。そこまで言い切れる程の強い愛情があった。


食事の最中私は夫に来週から空手の午前クラスを受けることを伝えた。

夫は家族で空手を習い、空手着を着て家族写真を撮るのが昔からの夢だったからとても嬉しい、空手を始める決心をしてくれて本当に有難いよ、と優しい笑顔で私にお礼を言ってくれた。

私は「いやね、私は家でのんびり過ごしてる上に今度は趣味の一つでも欲しいって呑気な気持ちで空手を始めさせてもらうのに。お礼をいうのは私なのに、何でパパがお礼言うのよ」っと笑った。

子供達はその言葉に釣られて「そうだそうだ!ママが有難うだ!」と大笑いしながら嬉しそうに私をからかった。いつもの笑顔、いつもの笑い声。この「いつも」が崩れない様に、家族がいつも笑顔で食卓を囲める様にするのが私の仕事なんだ、と改めて思った。

週末、私は夫と子供達の空手の練習を見学しに行った。「ママも来週から始めるんだから、今日はいつも以上に集中して見学して、どういう事をするのかって全体的な流れを見ておいたほうがいいぞ」と夫に言われた。「私は初心者クラスなんだからそこまでの予習はいらないでしょ」と夫に笑顔で答えた。

「とにかく良く見てなよ」と言い残し真剣な表情で道場に上がる夫の背中を私は見つめていた。

大きい背中、広い肩幅、いつも私が不安になったり心配になる時はその大きな体をつかって強く抱きしめてくれる夫。大丈夫だよ、大丈夫だから…。夫の口から大丈夫と言われると自然と不安が解消されていくのが不思議だった。そしてそのほとんどの不安が実際に「大丈夫」になった事が何度もあった。

夫は一生私と子供達を守ってくれる、そんな思いを感じながら夫の背中を見つめていた。

練習が始まり15分程経過した頃、シン先生が私の隣に座って話始めた。夫も子供達もとても上達していて一生懸命やっている、と褒めてもらった。先生方のご指導のおかげですと言って軽く会釈をし、当たり障りのない会話をしていたらあっという間に夫と子供達の練習時間が終わった。「では来週、お待ちしています。必ず来てくださいね。空手、絶対に好きになりますよ。」そ言った彼の瞳は相も変わらず澄んでいて、私はまた吸い込まれそうな気分になった。そして同時に、来週のシン先生のクラスを受ける事がとても楽しみに思えてきた自分がいた。


月曜日の朝は慌ただしかった。その週は夫が早くに家を出発し他州へ出張だったのと毎日の私の仕事である子供達の朝食、ランチ作り。今朝はそれに加え私の空手の初レッスンの日だった。子供達を学校へ連れて行った後に家に戻る時間はない。だから出発までにすべてを済ませなければならなかった。

慌ただしく夫を送り出し、子供達を車に乗せ学校へ送り届けた。ふっと一息ついてから私はゆっくりと車を走らせ道場へ向かった。レッスンの始まる時間より20分早く到着した。ロッカールームで着替えを済ませ少しの緊張を解そうと椅子に座りペットボトルの水を飲んだ。「よし!」自分に喝を入れ、新鮮な気持ちで道場の中へ入って行くと、そこには既にシン先生がいた。彼はストレッチをして稽古に備えていたようだが、高い身長からは想像がつかない程の体の柔らかさだった。あんなに体が柔らかくなるには私にはどの位の年月が必要だろうか…今38歳、生きてるうちにあんなになるかしら、等と頭の中で考えていたら何だか可笑しくなってきて一人で笑ってしまった。

道場に入りシン先生に挨拶をし暫く雑談が始まった。まだ他の生徒さんの姿が見えないので数分待ってみましょうと言われ、たわいもない天気やら空手を始めた頃の彼の話などを10分程したところでシン先生が「今日はまだ誰も来ないみたいだけど、とりあえず僕たちで始めましょう」と言った。

シン先生は子供のクラスも受け持っているせいか、私に教えるときも非常に優しくゆっくりと教えてくれた。型を習う時は頭の先からつま先、手先まで神経を張り巡らす事に疲れ果てそうだったが、それもシン先生が丁寧に直してくれたりととても心地の良い稽古だった。

1時間の稽古が終わりどうだったから尋ねられ、私は「とても楽しくて新鮮でした。明後日のクラスにも必ず参加します」と答えた。

その日の夜、子供達をベッドに入れ眠ったのを確認してから私はお風呂に入った。空手をして体がとても気持ちがいい状態だったが、年齢の事も考えるとお風呂でしっかりケアをして、2日後に襲ってくるであろう筋肉痛対策をする必要があるとおもったからだ。

夫も出張で金曜日までかえって来ないので、私は浴室の電気を消し、キャンドルを灯してクラシックジャズを聴きながらお風呂に浸かり目を閉じた。今日習ったことを頭の中で復讐して、少しでも動きを忘れないように努めた。空手をしている時の無の感じや、久しぶりに体を動かしている時の爽快感を頭の中で思い出すと共にシン先生の事も思い出した。シン先生の手の感触や優しく教えてくれる声、笑うと出来る目横の皺、そのどれもが稽古と一体化していて楽しかった。「久しぶりに若い男の人と一緒に過ごして浮かれるなんて、年取った証拠ね」と声に出して自分に語り掛け自分に笑い、私は目を閉じた。

私は今でも覚えている。この日、この時、「恋」という私の心の奥底に沈みかけていた古い言葉が再び浮かび上がろうとしている瞬間だった。


私は週2回の稽古に必ず通うようになっていた。空手という私にとっては未知の世界に足を踏み入れた事が

私の生活そのものを大きく変えていた。空手を始めたことで運動をすることがとても好きになった。空手の稽古が無い日には近所のフットボール場へ行ってウォーキングをしたりハイキングコースを歩いたりしていた。特にダイエットの必要のある体系では無かったが、空手を始めて運動というものが私の日常に組み込まれるようになってから体重が4キロも減っていた。夫からも「最近若返ってるんじゃない?良い感じだな」と褒めてもらっていた。大量の汗をかくので肌の調子もとても良かった。道場では実年齢を言うと驚かれることも多々あり、空手を始めて本当に良かったと思えた。そして私が心の底から空手の稽古を楽しんでいることがシン先生にも伝わっているようだった。「週2回、朝の稽古で君にあえるのが本当に楽しみだよ、毎回上達している事がとても嬉しい」と恥ずかしがることなく毎回私に優しい言葉をかけてくれる事が私には気恥ずかしく、だがとても嬉しかった。そしてある時から私が空手へ通う理由の中に「シン先生に会いたいから」という事実も加わった。

自分でもわからなかった。これを恋心と呼ぶのか憧れと呼ぶのか。それともただの興味というものなのか。

そもそも恋とは一体なんなのか?結婚して10年、私は夫と共に家族を築き仲良く生活している。夫を尊敬し愛情も十分ある。しかしこれは恋とは呼ばないのか?シン先生に会う時のような胸の高鳴り、ざわめきは確かに夫には感じない。しかし夫に感じているような全てを任せられるような安心感はシン先生には一切感じないしこれからもそれは感じることはないだろう。愛情と恋心は全く別のものなのか。


寒さが和らいできた4月、私は相変わらず週2回、空手の朝稽古へ通っていた。シン先生との間にもいつしか先生と生徒という強い絆が出来、お互いに信頼し合い稽古に励んでいた。

その日は小雨が降っていたせいかシン先生と私の2人だけの稽古になった。頭の先からつま先、足先、手先にも神経を集中させて教えてもらう一つ一つの動きを丁寧に私の体に覚えさせていった。

力強さだけじゃダメ、とシン先生は関節の曲げ方や伸ばし方をいつも以上に慎重に教えてくれた。

手首はこの角度で…と私の手を握ったシン先生の動きが止まった。私の手を握ったまま私の目を見つめていた。私もその綺麗なシン先生の目を見つめたまま動けなくなってしまった。何が起こるのだろう。抱きしめられるのか、口づけをされるのか…。その時間は10秒あるかないかの短いものだった。そしてシン先生はふと我に返ったように「すいません、ぼうっとしてしまって…ではまた最初から通してやってみましょう」と笑顔で私に言った。それからの残り10分程の稽古はとても静かなものだった。正直、私は集中できなくなっていた。今の出来事は一体なんだったのか、いや目を合わせて動かなくなっただけなんだから何でもないだろう、きっと。

その晩、子供達を寝かしつけ私は珍しく1人でビールを飲んだ。リビングのカウチに座り薄暗い照明の中でお気に入りの邦楽を聴きながら今日起こったことを考えていた。

私はあの10秒間見つめ合ったという行動がシン先生にとって何かしらの意味がある事であって欲しいと思った。だからと言ってその先の何かを求めているわけではないのだ。夫や子供達を悲しませる、裏切るような行為は絶対にしたくはない、けどもシン先生とは空手を通じて一緒に居たい、そんな風に思っていたとき携帯のFacebookメッセンジャーにメールが送られて来た。送り主はシン先生だった。

彼はどんな事を書いたのだろう、期待と不安で胸のどきどきが抑えられなくなっていた。私はメッセージを読んだ。そこにはこう書いてあった。


「今日の稽古もとても集中していて本当に上達を感じられました。この調子で一緒に頑張って行きましょう」そしてその後にはこう綴られていた。

「それと、もしも不快な思いをさせてしまったらごめんなさい。でも貴方から目が離せなかった、離したくなかった。貴方といる時間はとても穏やかで、いつまでもこの時間が続けばいいのにと思ってしまった。僕は一体何を言っているんだろう?貴方には素晴らしい家族があるのに。僕は貴方の家庭をどうにかしようなんて全く考えていない。だから何も心配しないでください、ただ僕は貴方に初恋の続きのような恋をしているんだと思う。一切迷惑はかけないので、しばらくこの初恋の続きをさせてください。来週も稽古に来てくれますか?」


私の胸は一気に高まった。「初恋の続き」。14歳も年下の男性からこんな事を言われた自分が少し誇らしくもあったし、なによりもシン先生が私に対してほんの少しでもそいういう感情を抱いてくれていたことが素直に嬉しかった。そして私は彼にメールを返信した。自分も同じような気持ちを抱いている事、来週も必ず稽古には行くこと。そして最後にこれは初恋の続きであってそれ以上でもそれ以下でもなく、家族を巻き込むことは出来ないということ。


翌日、長い出張を終えた夫が帰って来た。忙しかったがスムーズに仕事が終わったと言って上機嫌な夫にお風呂に入って疲れを取るように促し、その間に夕飯の支度をの続きをした。

お風呂から上がりダイニングに来た夫が「何だこれは!今日って俺のお誕生日だった?」と冗談を言いながら満面の笑みを浮べた。ダイニングテーブルの上には夫の大好物のエビフライ、マカロニサラダ、生春巻きを並べた。「仕事で疲れて帰ってくるのわかってたから、家族の為に一生懸命働いてくれているんだもん、これくらいしないとね!」と言って私は夫に笑顔を見せた。

果たしてそれが本心なのだろうか。昨夜のシン先生とのメールのやり取り、彼と心が繋がっていることの夫への罪悪感なのではないだろうか。

翌日の土曜日、夫と子供達の4人で道場へ稽古へ向かった。正直言って気乗りはしなかった。

夫に何かを気づかれたら?夫と肩を並べて道場へ入って行く私達を見たシン先生は私をどう思うだろう?

外で若い男にうつつを抜かし、家では何事も無かったように夫や子供達と仲良く家族に戻るただの嘘つき女。浮気や不倫とは体の関係があって初めてそう呼べるものだと思っていたが体の関係がなくとも、たとえ1回でも相手と心を通わせたのならそれは十分な裏切りで浮気や不倫と呼ばれても文句は言えないのだと私は悟った。だがその土曜日の稽古中、私は夫と子供達の稽古を見学しながら、何度もシン先生と目線を絡ませた。何度も何度も、お互いの気持ちを確認するように視線を絡ませてはうつむき、また視線を絡ませる。

この時私は自分が恋と言うものに落ちているのを感じた。これは誰にも言わず墓場まで持って行くべき私の秘密で誰と共有することもなく、いつの日か自然と消化される秘密の恋に落ちているのだと。


週2回だけの淡く、後退も前進もしない初恋の続きを心に秘め、また夫や子供達とも穏やかで楽しい日々を送っていた。季節が夏から肌寒い秋へと移る頃、朝の稽古をしていた時に私の携帯の着信音が大きく響き渡った。午前中に私の携帯に着信が入るとどきっとする。それは就学児を持っている母親なら誰もがそうだろう。お子さんが熱をだしました、お子さんが怪我をしました、お子さんが嘔吐しました。私は季節の変わり目で長男か長女のどちらかが熱をだしたのだろうか?と想像しながら電話に出た。だが実際は違った。電話の主は夫の同僚だった。夫が仕事中に倒れたからすぐに病院に来てほしいと言われた。

私は一瞬、言われていることの意味が理解できなかった。夫が倒れた?病院?なぜ?それはもうほとんどパニック発作のようだった。息を吸い、吐くことをわすれ頭がふらふらし始めた。いや、今ここで私がしっかりしなければ…私は事情を先生方に断片的に話し道場を後にし、学校に電話を入れこれから子供達をお迎えに行くことを伝え義理母にも連絡を入れた。30分後、子供達を迎えに行きその足で義理母の家に寄り彼女を車に乗せて2時間程の距離にある病院へ到着した。夫は既に意識がなかった。懸命に心臓マッサージを施す医師達、慌ただしく動き回る看護師達、狼狽えているものの何とかして息子を助けてほしいという一心でベッドへ近寄ろうとする義理母を私は止めた。邪魔になると困るから、今は医師や看護師の支持に従ってここで見守ってください。少し強めの口調で言った。義理母は自分が何でも知っていて常に正しいと思い込んでいるタイプの古い女性だ。だからこういうときは強く言わないという事を聞いてくれない。

しばらくしてもモニターのピーという心肺停止を告げる音は何の変化もしてくれなかった。

泣き叫ぶ義理母、私にしがみついてシクシクと泣く子供達。私も人目も憚らず大粒の涙を流していた。これは天罰なのか。14歳も年下の男性と初恋の続きなどという秘密を抱えた事に対して神様が「夫をばかにするな」と怒ったのか。だとしたらなぜ私に天罰を与えないのだろう。私は大粒の涙を溢出し夫を失った悲しみ、心の中で夫を裏切った事、そしてそれを初恋の続きと称して楽しんでしまっていたこと、全ての事への懺悔と悲しみで何も考える事が出来なくなっていた。もしシン先生の事を心の中で想っていなければ、初恋の続きなんて言葉に浮足立っていなければ夫の体調の変化に気付けたかもしれないのに…。心の中で自問していたはずが私はなぜか義理母に向かって「申訳ありませんでした、私が夫の体調の異変に気付いてあげられず…」と言葉に出してしまった。そんな咄嗟にでた言葉も号泣している義理母には届くことはなかった。


10日後、夫や私の友人、家族ぐるみの付き合いがある子供達の同級生達のご両親、空手の道場の先生方や一緒に習っていた友人などたくさんの方々が集まり静かに、葬儀を済ませることができた。

夫が亡くなってから葬儀までの間、義理母は常に私に「私達は家族だから、何か困った事があれば言いなさい。貴方達さえ良ければ私の家に引っ越して来て一緒に住んでもいいのよ。」ととても優しい言葉を掛けてくれていた。私は義理母との仲は非常に円満だったのでその彼女の言葉に甘えてしまいたい気持ちはあった。だがこれから2人の子供を夫の分まで私が守り家族3人で強く支え合って生きていく、夫の思い出や温もりのあるこの場所で…そう心に固く誓っていた。

葬儀にはシン先生の姿もあった。私はチャペルで着席しようとする彼の横姿を見かけた。その瞬間、道場で夫や子供達が空手の稽古をしていた時にシン先生と視線を何度も絡ませ微笑み合った事を思い出し自分に幾つか自問自答してみた。夫がもし今も生きていたら?私はシン先生とどうなっていたのだろうか?

初恋の続きなのだから純愛のままだったのだろか。果たしてそうか?お互いに大人で心が通い合っている事がわかっていたのだから、世間でいう不倫、肉体関係になる事への機会はごろごろしていたんじゃないのだろうか。では何がその関係への進展へ歯止めをかけていたのか。シン先生の私への気持ちに肉体関係は含まれていなかった?結局は私が夫をいちばんに愛していて家庭を壊すことは絶対にしないと言う思いが強かったから?何度考えても正解など出てこないのはわかっていた。でも一つ、私の心の中でわかっていたこと。それは何よりも夫と子供達を愛している。そして私はそんな大事な存在を抱えながら14歳年下の男性に恋をしてしまったこと。この男性に対する気持ちが愛だったかと聞かれたら私は迷わず「違う」と答えるだろう。彼に対する私の気持ちは、遠い昔どこかに置き忘れてしまった「初恋」というほろ苦くも純粋な恋の経験の続きをしていただけなのだと思う。だが、そんな初恋の続きと言う幼い私の行動の中でも私はその男性に恋をしていた。愛とは違う恋。彼に恋をしていたのは紛れもない事実だ。

彼と出会って稽古を始めてからの約1年、私は彼に恋をした。そして私はその恋を、もうこれ以上恋を呼ぶのを止めようと決心した___。


夫の葬儀から2カ月近くが経とうとしていた。

私も子供達も悲しみはまだ癒えていなかったがそれでも親子3人、時には家族の思い出話をしながら笑い合ったり、何とか日常を取り戻しつつあった。そして長男が私に「そろそろ空手の稽古に戻ってもいいかな?」と聞いてきた。娘もちらちらと長男を見ている。きっと同じ気持ちなのだろう。

「よし!土曜日から稽古再会しようか!」と子供達に言った。そして長女が「ママも稽古に戻る?」と投げかけて来た。ほんの一瞬、ほんの一瞬シン先生の事が頭を過った。しかしこれはもう遠い昔の事。そんな思いだった。「うん、ママも来週の朝稽古から再開するよ!」そう言って子供達とハイタッチをし、いつも通り学校へ送りに言った。

その土曜日、2カ月ぶりの空手の稽古だった。道場の先生方や一緒に稽古をしているお友達やそのご両親、夫や私と一緒に稽古をしていた人など様々な人からハグをしてもらった。君たちは1人じゃないよ、君たちはこの道場の家族だ。と心強い言葉をもらい私も子供達も涙を堪えるのに必死だった。

そんな挨拶が一通り終わり子供達の稽古が始まり、私はいつものように道場を囲うように備え付けてあるブリーチャーベンチに腰を掛けて子供達の稽古を見守った。そして稽古を見守る私の視界にシン先生が入ってきた。彼は道場に上がることなく真っすぐ私の方へ向かって歩いた。彼は隣に座り静かにこう始めた。

「ご主人の事、大変でしたね。お子さんのケアなど道場で協力出来ることがあれば遠慮しないで話してください。」そして私も静かに「お気遣い有難うございます」と一瞬彼と目を合わせた後に会釈し、すぐその目線を子供達の方へ向けた。そんな私のぎこちない行動を彼はきっと心地よく思わなかっただろう。

しかし彼はこう続けた。「そのままお子さんたちの稽古を見ながら耳だけこちらに傾けてくれますか?」私は思わず彼の方に顔を向けようとしてしまったがすぐさま顔の向き、目線を子供達へ戻し彼に「はい…」と答えた。「僕は今月、この道場を辞めます。ここらから2時間離れている市の道場から良い話があって…インストラクターをしながら僕自身もそこでトレーニングをすることになりました。やはり自分も大会に出場しているので、もっとたくさんの有段者とトレーニングをして空手の世界で更に上を目指したいんです。」

と、彼は言った。そして「僕は貴方の事がとても好きです。ご主人がお亡くなりになってこんな事を言う自分が不謹慎なのは重々承知しています。僕と一緒に来てほしいとか、そういう事ではなく、ただ離れてしまう前に気持ちをちゃんと伝えたかった。自分の言葉で、どう思っているのか伝えたかった。僕は貴方が大好きです。ご主人がお亡くなりになった時、悲しむ貴方とお子さん達を見て僕は本気で貴方達親子を僕の力で守ってあげたい、一生かけて守り抜きたいと心から思いました。14歳年下の男に一体何が出来るんだ?きっと周囲はそう思うでしょう。実際のところ僕もそう感じています。守りたい、でも守るって一体何だろうって。だから僕は新しい道場へ行きます。どうしたら貴方とお子さんを守れる男になれるのか、そこに答えがあるかはわからない。だけど僕はそこで自信を付けたい。そして貴方とお子さんを、貴方のご主人がしていた様に僕にも守れる、そう確信した時に僕は戻ってきます。その日まで待っててくれますか?」シン先生はその真っすぐで一点の曇りもない瞳で私を見つめた。その目に宿った光はまるで自分の未来を信じて疑わない、迷いが一切ないという相変わらずの彼の瞳だった。

私はゆっくりと静かに話を始めた。「シン先生、私は貴方に恋をしていました。週2回、貴方にあえる朝がとても楽しみで嬉しくて。こんなおばさんが14歳も年下の男性に恋心を抱いて…みっともないと何度も自分に言い聞かせてみたけど、その恋は止まりませんでした。でも、その恋は愛に変わることは無かった。私の「愛」と言うものが100あるとすれば、50は既に夫に使ってしまった。そして残りの50の愛は子供達に費やしている真っ最中。もう私には他の人に愛情を注げるだけの愛は残っていないんです。私はシン先生の事は待ちません。私が貴方を待っているというプレッシャーを与えたくない、この年で14歳も年下の男性の重荷になるのは嫌なんです。もし私達にご縁があるのなら、ここで約束しなくても必ずまた何処かで会えると私は信じてます。シン先生、何処へ行ってもお元気で…。」私は隣に座るシン先生の手を握り彼の目を真っすぐ見つめた。あと一回瞬きをしたら涙が溢れる、そう思った私は席を立った。

これが私とシン先生の最後の会話になった。彼はその翌週に新しい道場で働きトレーニングする為に2時間ほどの距離の大きい都市へ引っ越した。


1年後___

季節はまた冬になっていた。何の音も出す事なくひたすらしんしんと降り続く雪。

子供達をベッドへ入れた後、私はリビングルームの大きな窓扉から庭を眺めていた。

夏には子供達やそのお友達の声で賑わう庭のプールも冬にはフェンスも絞められ頑丈なシートが張り巡らされていた。そしてそのシートの上に多い被さる雪。庭の芝部分にも雪がどんどん覆い被さりもう殆ど芝が見えなくなりそうだった。でも私は窓扉からみるこの雪景色が大好きだった。「いつまで続くかな…この雪」そんな独り言を言いながら扉越しにその景色を楽しんでいた。

その時だった、玄関のドアベルが鳴った。きっとお隣さんだなと思った。

降雪が予想される時は決まって我が家に来て懐中電灯、キャンドル、水、パンなどの食料は十分かと心配してきてくれるとても親切なお隣のご夫婦。1年ちょっと前に夫が亡くなった時も私を気遣い、子供達とわが家の庭で一緒に遊んでくれたりと本当に良くしていただいた。そして今でもこのお隣さんは私にはかけがえのない存在なのだ。私は「はい!」と勢いよくドアを開けた。

そこに立っていたのはお隣のご夫婦では無かった。そこに立っていたのは紺色のピーコートと頭をうっすらと雪で覆われていたシン先生だった。

「絶対にまたどこかで会えると信じてたけど、その日を待つより自分で会いに来てしまいました。」驚く私に彼は言葉を続けた。「貴方に出会った時、貴方にはご主人がいた。それはもう僕の完全な片思いから始まった恋だった。でも今ここには貴方がいて僕がいる。そして貴方の心には亡くなったご主人がいる。僕はそれで構いません。僕の心の中にも亡きご主人はいます。彼を忘れる必要はない。彼との思い出をそれぞれの心で大事にしまって、時に一緒にその思い出を共有したっていいとは思いませんか?僕はこの1年、貴方に会えない、貴方の笑顔を見れない、貴方の声を聴くことができない、貴方の手に触れることが出来ない、この事がどれだけ辛かったか。また貴方の存在が僕の中でどれだけの大きなものになっていたのか痛いほど再確認しました。僕は貴方を失いたくない。貴方にとっての僕の立場なんてどうでもいい。夫、彼氏、親友、友人、同居人、空手の先生と生徒のままでも構わない。ただ僕は貴方の存在をいつも近くに感じていたい。貴方の存在を感じられる人生を送りたい。僕は貴方に恋をしている、出会った時からずっと…」

私の目からは涙が溢れた。こんなにも素直に気持ちを伝えてくれる彼をとても愛おしいと思った。

私にはもう他の誰かを愛するだけの愛情が残っていないと思っていた。でも私はシン先生の言葉を聞いて、もしかしたら私にももう少しだけ、彼に注げる愛が残っているかもしれない。いや、残っているに違いない。私はこの1年間、いろいろな事を忘れようと努力をしてきた。そしてそんな自分に嫌気もさしていた。しかし彼の顔をみた瞬間、私がどんなに彼を恋しく思っていたか、どれだけ寂しく感じていたか、そんな思いが込みあげて来た。私は迷うことなく彼の胸へ飛び込んだ。私を強く抱きしめて彼は言った。「もう離れる事はない。僕の人生から君を失う事だけにはなりたくない」そして私も強く強く彼を抱きしめた。そして彼に言った。「シン先生が私を失う事は絶対にない、私はいつも貴方の傍にいます。でも子供達の事もある。だからゆっくりゆっくりと一緒に進んでくれますか?」私の問いかけにシン先生は笑顔で「はい」と答えてくれた。私は彼の目の横に出来る笑い皺をとても懐かしく愛おしく思い見つめた


これから先の事はわからない。数か月後、数年後にこの14歳という年の差に嫌気をさして彼が私の元を去る可能性もある。もしかしたら私が14歳年下の彼に頼りなさを感じ別れを切り出す可能性もあるかもしれない。しかし、今はそんな心配はしたくなかった、いらなかった。これから私達はどんな形に変化をしていくのだろう、そんな期待と少しの不安を胸に彼と私は手を取り合い、歩幅を合わせてゆっくりと前へ進みだそうとしていた。


               

                                         終


出会って恋に落ち、心が通じ合う。しかし「初恋の続き」という純愛を盾にしつつ自制心や罪悪感から決して一線を越えなかった2人。主人公の夫が亡くなった事が読んだ人にどう捉えられるのか。二人が運命の相手だったから起こるべくして起きた夫の死?夫以外の男性に心を奪われてしまった女への天罰?

前者ならば私は運命や神様という言葉を信じられなくなるだろう。人の命を奪ってまで結ばれなければならない2人なんてこの世にはいないと私は思う。では後者ならば?ここでも私は第三者の命を奪ってまで与えなければならない天罰などこの世にはないと思いたい…。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 愛情と恋に揺れる主人公の気持ちが、よく表現されていると思います。 [気になる点] シン先生と恋に落ちる過程が薄いと思いました。もう少し描写があった方が主人公の揺れる気持ちが強調されると思い…
[一言]  色々と深い話だったと思います。  人生で刺激は必要なのかもしれません。
2016/10/18 11:05 退会済み
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