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一.鈍色の空

街の喧騒。

踏切の警報。

自分の息遣い。

宣伝車の拡声器。

駅の発車メロディ。

パチンコ店のマーチ。

高架下で唸る電車の轟音。

校門で賑わう学生達の足音。

高校から聞こえるチャイム音。

道路を走る車の鈍いエンジン音。

横断歩道から聞こえる人々の喋り声。


忌々しい都会の喧騒が僕の鼓膜を揺らす。


「…鬱陶しい。」


九月一日。三十五度を超える猛暑日。


夏休みが終わり、一ヶ月半ぶりに外に出たというのに、やはりというか、相も変わらずというか、とにかく呆れるくらい人で活気付いている。

街を行き交うこの大勢の人達は一体何を求めてどこへ行こうとしてるんだろうか?

仕事?学校?デート?旅行?それとも僕みたいに行きたくもないところに、無理やり行かされているのか?


他人のことなんかどうでもいいはずなのに、ついついそういうことを考えてしまう。

街行く人の顔を見ては、その人の行き先、家族構成、過去、趣味、思考、行動などを予想して一人で楽しんでしまう。

他人のプライベート事情を妄想しては一人でニヤけてしまう。


それが僕、木通圭一あけび けいいちの数ある癖の一つだったりする。


「ケビン。なに立ち止まってんの?信号青だよ?」


横断歩道の前で立ち止まっていた僕の背中を誰かが押した。

振り返ると、そこにいたのはクラスメイトの三柴猛みしば たけるだった。


「もういい加減その呼び方やめろよ三柴…。」


「え?ケビンのことか?」


ケビン。

僕が小学校の時に三柴に付けられたあだ名だ。木通という名前からモジったのだろう。

僕のその頃は三柴をミケルと呼んでいた。その由来も三柴猛をモジっただけだ。

ただ、高校を入学してしばらくした辺りで恥ずかしくなって呼ぶのをやめたのだが、こいつはいつになってもやめないし、そもそもやめる気もないらしい。


「いいじゃないか。このあだ名で呼ぶの気に入ってるし。それよりまた今日から学校だよ。」


三柴が笑顔でそう言う。意味がわからない。

学校が始まるというのになんでそんな顔していられるんだ?


「あぁ。夏休み一度も外に出てなかったから全身が痛いよ。」


「あはは...、ケビンらしいね。」


「それにしても、こんなぐつぐつ煮込まれた鍋みたいな暑い日に仕事や学校以外で外に出歩くやつははっきり言って馬鹿だな。」


「また出たよ...、ひねくれ癖。」


「実際に熱中症で倒れたとか言っているニュースを多数の人々は見ているはずだろ?道路を焦がすような日差しに、衣服が燃え上がりそうな炎天下の中、暇だからと言って自ら進んで外出するというやつは、きっと人が好きなんだ。というより人混みが大好物なんだ。都会の喧騒という雰囲気がただただ心地良くて仕方ないんだろう。」


「まぁ、間違ってはないね。」


「今もこうしてこの暑さの中、外出している人の大半はそういう部類の人だと僕は思ってる。」


「でも自分も今こうして外出してるじゃん」


「学校は別だ。」


一ヶ月半ぶりのシャバはまさに地獄の釜と同等だった。

額から滝のように流れた汗が制服の内側にべっとりとひっつく。


「…鬱陶しい。」


僕は今年で十八歳になり、高校生と呼べるのも残り僅か半年余りという所まできている。

学業に励むのも、残り半年だ。


「そういえばケビンは進路どうするか決めた?」


「あぁ。もちろん就職。」


「どうしてもちろん?」


「もう勉学に励むのは散々だから。」


「素直に学校という環境が嫌って言いなよ…。」


「その両方の意味と、もう一つの意味で大学は嫌だな。」


「そのもう一つの意味って?」


「ほら、見てみろよ。」


僕は駅前の広場に男女で固まっていた複数人のグループを指差した。


「あの連中、大学生みたいだけどそれがどうかしたの?」


「駅前であんなにたむろってワーワー叫んで道塞いじゃって、ありゃサークルかなんかだな?どうせ今から飲み屋でも言って合コンでもして酒が回りだした後、深夜に泥酔気分で意味深なカクテルを混ぜ合う二次会と洒落込むんだろうよどうせ。」


「ケビン…。相変わらず人間観察力と誇大妄想力だけは人二倍くらい優れてるよね…。」


「僕にレジャー施設と大学の違いを教えてくれ。」


「大学は労働、レジャー施設は余暇ってところでどう?」


「お前…、相変わらず上手い例え方するよな…。」


「これでも学年トップ10の頭ですから。」


三柴は小学校から何をするにも頭がキレた。

僕は密かに「IQ150」なんてあだ名も付けているほどだ。

中学、高校と学年トップ10から外れたことはないエリートで、来年からは名前は忘れたが、東京のかなり頭がいい大学へと進路を考えているらしい。


「じゃあケビン。明日からは通常授業だから。

遅れずに来なよ。」


「ん?」


などと考えていると、いつの間にかいつも三柴と別れる岐路に来ていた。


「い、言われなくてもわかってるよ!!」


三柴は僕に手を振って、僕とは違う道で帰っていった。

僕も三柴とは別の道で帰った。


都心から少し離れた、地元感を感じる少し寂れた住宅街。

そこの端っこの一角が僕の家だ。


さっきの都会の喧騒をくるっと逆さにひっくり返したような空間。


すごく落ち着く。


住宅街の中心で僕は天に向かって大きく深呼吸した。


息を吸いながらゆっくりと空を見上げる。


その空は、どこか濁ってみえた。

まるで今の僕の心境を表したような、鈍色。

不安と不満が混ざり合って、ドロドロとしたような濁った色。

そんな鈍色の空を一羽のカラスが優雅に舞っていた。


決して、気持ちのいい光景ではなかった。

これから何か良からぬことでも起きることを事前に僕に伝えているかのような、不気味な空。


…いや、考えすぎだろう。


これからの進路や学校を考えすぎて疲れが溜まって余計なこと考えてしまうんだろう。

夕立が降りそうな空、とでも平凡に思って前を向いた。


瞬間、目の前に不気味な光景が見えた。


閑静で静かな住宅街。

地元の人しか通らない静かな路地。

その路地に、一人の人間が立っていた。

その人間の周りに、まるでそこに黒い支柱があるように見えるまでにおびただしい数のカラスが一人の人間の姿を隠すように舞っていた。


…異常すぎる。


こんな閑静な住宅街のど真ん中で、ただでさえ鳥類自体苦手なのに、こんな何十羽のカラスが目の前に、しかも人間を囲んで飛んでいるなんて、僕にとっては最悪な光景だ。


思わず吐き気を覚えたが、僕はグッとその吐き気を堪え、その最悪な光景から目を逸らした。


この住宅街にカラス好きなカラス人間でも引っ越してきたのか?

だとしたら即刻、別の場所へ引っ越していただきたい。

これから先、またあんな光景を目の当たりにしてしまうなんてとても安心に住めやしない。


すぐに後ろを向いて別のルートから帰ろうと考えた、その矢先。


僕の目に、とんでもないものが写り込んだ。


カラスの大群に覆われたあの人間の右手で妙なシルエットを引きずっているのが見えた。


人間サイズの大きなシルエット。


「…え?」


その正体を知った瞬間、僕の体は凍った。

よく見るとそれは、人間サイズなんかじゃない。


人間そのものだった。


「うわぁあっ…!!」


「しーーー。」


体の奥から漏れ出た叫びが謎の声とプレッシャーによって遮られた。


声からして男性と思われるその人間は口の前に人差し指を立てた、「静かに!」とでも言いたいような仕草をしながらゆっくりとカラスの大群を連れながら僕の方へ歩いてきた。

彼が一歩前に進むと、条件反射で僕は一歩下がる。

カラスの群れの奥からギラリと光る彼の目が見えた。

その瞳の奥の虹彩もまた、どこか濁ってみえる。

今の空のような、鈍色に。


表情は何故か、にこやかだった。


「正当防衛って言葉、知ってる?」


「え…?」


突然妙なことを聞かれた。

僕は硬直した体に力を入れ、頭を巡らせて答える。


「自分の命を守る為に、止むを得ずにした行為のこと…?」


「そう。自己防衛と同じことだね。

つまり、そういうことだよ。」


何を言ってるんだこの人…?

それってまさかやっぱり…。


「人が緊張状態に陥ると、体が固まるっいうけどやっぱり本当だったんだね。」


僕の姿を見ながら彼はそう呟き始めた。


「緊張ってのは、体の生理的変化で簡単に言うとストレスなんだよ。

ストレスは呼吸が荒くなったり、発汗したり、血圧が上昇したり、筋肉が収縮したり、心拍数が上がる。

でもこれは、その緊張の原因である刺激や生命の危機から身を守る為の自然に起こる防御反応なんだよ。

だから体が固まるんだ。自分を守る為にね。」


そんなこと全く耳に入ってこなかった。

それよりも注目してしまうのは、彼の右手で掴まれた反応がない人間。

何かドス黒い色の液がその人間を伝って地面にポタポタと垂れていた。

容易に想像できてしまう。


その液が何なのかを。


「正当防衛と安楽死って、どっちの方が罪が重いんだろうね?

例えば相手が急に自分を殺そうと刃物を突きつけてきたが、慌てて自分はそれを交わし、近くにあった鈍器で相手の頭を殴り、死に至らしめたとする。それは僕の罪になるのかな?

逆に相手が死にかけていて苦しいから死なせてくれと頼まれて、相手の要望に答え、安らかに死なせてあげたとする。

これも僕の罪になるのだろうか?」


「な、何を言ってるんだ…。てか、その人…。」


「言ったでしょ?正当防衛だって。

いや、さっき言ったこと両方かもしれないね。」


「どうして…そうなったんだよ…?」


「君に、関係があるの?」


彼の冷たい目が僕の体を貫く。


ダメだ、この人。

早く逃げないと僕も目撃者として殺されるかもしれない…。


「人は常に、死の恐怖と隣り合わせに生きている。そのことを考え、不安を抱きながら日々を過ごしている。

僕はね、そういう人達の助けるボランティアをしようと思った。

だから、やった。」


「やったって…、その人を…?」


「あぁ、これで二人目だよ。」


「ふ、二人目!?」


「二人、その恐怖から救ってあげたんだ。」


もう一人犠牲者がいるのか!?

いや、そんなことはどうでもいい!

早く逃げて警察に連絡しないと!!


「僕を、見逃してくれないか?」


突然、暗いトーンで彼は言った。

悲しげに、切なげに。

彼の周りにいたカラスは舞うのをやめ、羽をしまい、地上へ足をつけた。

カラスが地上へ降りたせいか、見えづらかった彼の姿と、その右手で掴んだ血塗れの人間の姿がはっきりと見えてしまう。

気のせいか、空もだんだん暗くなっていき、より鈍色が強調していたように見えた。


「救世主になれるのは、僕だけなんだ。」


彼は続けてそう答えた。


僕は…、彼の言葉を信じていいのか?

見た目は僕と同じくらいの歳のこの人を。


正当防衛で殺したところもまだ見てないし、そもそもそんなこと知ったこっちゃない。

僕は人を常に疑ってみるタイプだ。

初対面の人に同情も義理もクソもへったくれもない。

もし本当に正当防衛だとしても、殺人は殺人だ。しかも正当防衛だとしてこんな血塗れになるまでにするか…?やっぱりこれは罪だ。見逃すわけにはいかない。


...でも、見逃すわけにはいかないなんて言ってしまっていいのか?

目撃者である僕は、呑気に逃げ切れるのか?

これは、もしかして彼の台詞になりえるんじゃないか?


…僕は、どうしたらいい?


「もう一度言う。僕を見逃してくれ。」


僕はポケットにこっそり手を突っ込み、入れてあった携帯に電源を入れた。

電源を入れた後、110という番号を打ち込んだ。

当然事前にマナーモードにしてあるからダイヤル音は鳴らない仕様にしてある。

この会話を聞かせて、警察をここへ呼ぶという作戦だ。


「それは、本当に正当防衛なの?」


「うん。正当防衛だよ。」


「もう…その人は、死んでるの?」


「あぁ、死んでる。」


「その人は…岬丘住宅の住民?」


「あぁ、そうだね。」


よし、場所と容疑は明らかにさせた。

あとは警察の仕事だ。これ以上の深追いはよそう。


「み、見なかったことにするよ!僕は今日、学校で寄り道をしてこの時間にはここへは帰っていなかった!僕はこれを見なかったし、聞かなかった!

それで、どう?」


そう言うと、彼はニコリと笑った。


「ダメに決まってるじゃないか。」


彼はギロリと目を尖らせた。


「え…?」


「君が、百パーセントこのことをみんなに話さないという確証がない。」


「ほ、本当にちゃんと守るよ!」


「僕は、人を常に疑って見るタイプだ。」


なっ!?


こいつ…、僕と同じことを!!


「しかも、僕が言ったのはそういう意味じゃない。」


「何…?」


「僕の責任を、君に押し付けるという罪を見逃してくれと言ったんだ。」


「ど、どういう…っ!?」


瞬間、彼の周りにいたカラスが一斉に空へ舞い上がった。

あの鈍色の空へと。


そして軽く上空へ飛んだ後、一直線に僕の方へと何十羽が突っ込んできた。


「うわぁぁぁっ!!」


無数のギラリと光る眼と鋭いクチバシが僕の頭上から落ちてくる。

突然の出来事で僕はそれを交わすことができなかった。

僕は一瞬にしてカラスの大群に囲まれた。

黒い羽がバサバサと舞い、視界が真っ暗になる。


「おい!何すんだやめろォ!!」


僕はめちゃくちゃに手を振り回し、カラスに抵抗した。


まるで黒い渦潮に巻き込まれてるみたいだ...。


そのカラスの大群を必死に撒いていると、頭上から何か別のものが飛んでくるのが見えた。


それは鈍色の空を背にして飛んでくるあの彼だった。


「悪いね、ケビン。これも止むを得ない行為なんだよ。」


「なっ!?」


その言葉の意味が全く分からないまま、カラスが空を覆い尽くし、完全に光が遮断された瞬間、僕の意識は途絶えてしまった。


次に目覚めたのは、それから5分後だった。


||||||||||||||||||||


体が焼けるように痛く、頭も潰れるように痛い。体も全く言うことを聞かない。動かす力すら入らない。

なんだこれ…?不思議な気分だ。


まるで、自分の体じゃないみたいだ。


微かな意識の中、遠くでパトカーのサイレンが鳴り響いているのが聞こえた。


よかった。警察がきてくれたんだ...。


まぶたに力を入れ、うっすらと目を開けた。

住民が慌てふためいて僕を見ていた。

あれ?ということはすでに解決して警察が彼を連行した後なのか?

なら尚更これで一安心…、


「この子がやったの…?」


「さ、さぁ,,,。私は見てないから何も...。」


え?


住民みんなが言葉を交わし合い、僕を指差してはそう言っていた。


まだ解決してない?

ていうか何言ってるんだみんな…!?僕じゃない!やったのはあいつだ!!


周りを首を捻って必死にその人物を探した。

しかし、どこを見回してもあの彼はいなかった。

周りにいるのは、僕とあの血塗れで死んだ人間と、それを囲んで遠目で倒れた僕を見ている住民だけだった。


「そう。この子がやったんです。」


その住民達の声の中に、どこかで聞いたことあるような声が住民の中から聞こえた。

それもよく耳にする声。


気弱そうで、アホそうな、僕みたいな声。


………、僕だって?


僕はバッと顔を上げ、声の聞こえた辺りを確認した。


そこには、


僕と同じ身長で、


僕と同じ体つきをしていて、


僕のような姿をした、


僕みたいな人間が立っていた。


「それ見たの?圭一君!?」


「いや、実際には見てませんけど、正当防衛とかなんとか言って、一応殺人は認めてました。」


圭一君!!?


あれは近所のおばさんだ。なんで僕はここにいるのにそいつのことを圭一って呼ぶんだ...?


圭一と呼ばれた人間は、僕を見下ろし、ニヤリと不気味な笑みを浮かべた。


まさかと思い、僕は自分の体を見た。


そこに、僕の体はなかった。


あるのは、さっき見たあの彼。


カラスを纏い、血塗れの人間を引きずっていたあの人間だった。


「あ…あぁ…!!」


圭一と呼ばれた人間は僕に近づいてきて、小さく呟いた。


「見逃してくれてありがとう。あとは任せたよ。」


「おい…!待て、行くな!!」


必死にもがいても何故か体はなかなか言うことを聞いてくれなかった。


クソッ!クソッ!なんだよこれ!!

冗談にもならない!これは夢か!?

なんで僕があいつの体に!?


ボヤけた視界で最後に見えた自分の体は、僕に後ろ姿だけ見せながら手を振り、住民達のギャラリーの中へと消えていった姿だった。


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